第101話 鬼のささやき

文字数 548文字

 懸念した通り、藤音の行き先はあの岩だった。
 月明かりに照らされ、藤音が大岩の前にたたずんでいるのが見える。
 波音が幾重にも響き、風がひゅうひゅう鳴っている。その中で、

 ──姉上、可哀想ナ姉上。
   
 桜花は鬼の声を聞いた。厳密にいえば、聞いた、というより直接頭の中に入ってきた、という方が正しいのだが。
 声は少年だった。おそらくは戦死した藤音の弟のものだろう。
 鬼は弟を(かた)り、藤音を惑わせているのだ。

 ──ドウ綺麗事ヲ並べヨウトモ、姉上ハ所詮ハ人質ノ身。
 
 虚ろな瞳で、藤音は岩の周辺を行ったり来たりしている。長い髪が生き物のようにゆらゆらと風になびく。
   
 ──九条家ガ憎クハナイノデスカ。討タズニ良イノデスカ、コノ弟ノ仇ヲ。

 ──我ヲ解放シテクダサイ、姉上。共ニ懐カシイ故郷ニ帰リマショウ。

 いけない、と桜花は感じた。藤音の心はすでに魅入られかけている。これ以上、鬼のささやきを聞かせては、取り返しのつかないことになる。
「藤音さま!」
 夢中で飛び出していき、藤音にすがるようにして桜花は叫んだ。
「いけませぬ! 鬼の声に耳を傾けてはなりませぬ!」




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登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

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