第119話 まなざし

文字数 659文字

「あの、今朝は奥方さまはいかがなさっていました?」
 話題を変えたくて、さりげなくたずねてみると、
「奥方さまはあまり気分がすぐれないご様子で、今朝もお部屋にこもられたままだと聞いていますが」
「さよう、ですか」
 昨夜の件といい、藤音の身はずっと桜花の気がかりである。なかば鬼に魅入られた状態、それが今の藤音なのだ。
 しかし藤音は今度こそしっかりと護衛をつけて館にいるはずだ。藤音が封印を解いたとは考えにくい。
「桜花どの」
 もの思いにふけっていた桜花は不意に名を呼ばれ、顔を上げた。すぐそばに和臣の瞳が迫り、深い想いのこもったまなざしにうろたえてしまう。
「奥方さまの件はわたしも知っています。このような大変な時期に言うべきではないのでしょうが、例の話は考えていただけたでしょうか」
 桜花は押し黙った。もちろん考えなかったわけではない。だが、あまりに一度に多くのことが重なって、何ひとつ結論は出ていないというのが実情だ。
 和臣は桜花の沈黙をどう受け取ったのか、真剣な顔で言葉を紡いでいく。
「わたしは父とは違います。決して側室など持たず、桜花どのひとりを生涯、大切にします」
 外では雨が激しく降り続け、波の音をかき消している。
「わたしの両親はいわゆる武家同士の婚姻でした。それでも母は父を深く愛していた。が、父が愛したのは母の侍女、伊織の母だったのです」
 そのあたりの事情はおぼろげながら桜花も知っている。




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登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

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