第29話 幼子のように

文字数 665文字

 桜花は吐息をひとつこぼすと、再び藤音に思いをはせた。
「藤音さまはわたしにはお心を開いてくださらなかった。この国の者など信用できない。話し相手などいらぬと一蹴されてしまったわ。隼人さまにも頼まれていたし、お力になりたかったけれど……」
 さっきまで笑っていた伊織も真面目な面持ちになって、考えこむ。
「ここ数日、隼人さまのご様子が沈んでおられたのも、そのためか」
「きっとそうだと思うわ。わたしね、藤音さまにお目通りする前に、隼人さまに花を渡すように頼まれたの」
「花?」
「ええ。この春の最後の八重桜の枝。でも、口には出さなかったけど、どうしてわたしに託したのか不思議だった。隼人さまがご自分でお渡しになった方が、藤音さまも喜ばれるでしょうに。今になってようやく理由がわかったわ」
「もうしばらく時間がたてば、藤音さまのお心も変わっていくかもしれんが……」
 伊織の楽観的な意見に、桜花は沈黙するだけだ。
 心を閉ざしたままの花嫁。
 そんな花嫁に対してどうしていいかわからず、とまどうばかりの夫。
 二人の間に横たわる溝を、本当に時が解決してくれるだろうか。
 桜花は人の心の機微に鋭い娘だった。時として相手の想いがじかに伝わってくるのだ。
 あの時、自分にむけられた敵意ともいえる感情の奥に、深い哀しみと絶望が隠されているのを、わずかにではあるが感じとっていた。
 藤音の心は、幼子が助けを求めて泣いているかのように切なかった。




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登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

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