第34話 海辺の村

文字数 540文字

「あの、ひとつご提案があるのですが」
 しばらくの沈黙の後、桜花はおそるおそる申し出た。
「確か海辺の村──遠海(とおみ)には九条家のお館があったかと存じます。そちらに皆さまで行かれてはいかがでしょうか」
 桜花の唇からこぼれた遠海という地名に、隼人は懐かしげに眼を細めた。
「子供の頃、夏になるとよく行ったものです。あの頃は父上も母上も存命で、とても楽しかった」
 ひととき、遠い日々を追うように、瞳が虚空に向けられる。
「あのお館なら海がすぐ間近。海風が吹き、城下よりは涼しいかと思います」
「夏の間、遠海の館で過ごす。よい考えかもしれませんね。白河は海のない国。海を見て波音を聞けば、少しは藤音の気も晴れるでしょう」
 ひとつ、いい策が見つかった気がして、二人が微笑みあった時。
 部屋の向こう、廊下で何やら騒がしいやりとりが聞こえてきた。
「いきなりおいでになられても困りまする。まずはお取次ぎを……」
「ええい、無礼など承知の上! 火急の用件ゆえ、ぜひ殿にお会いしたくまかり越しました」
 何事かと思っていると、障子が開かれ、思いがけない人物に隼人と桜花は眼をしばたたかせた。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み