第169話 暗転

文字数 449文字

 経緯はよくわからないが、まあ今回は、あの奥手な殿にしては上出来だろう。
 如月は額に手をかざし、鮮やかな群青の海に視線を投げた。
「やれやれ、後であの部屋を片づけるのは大変ですわねえ」
 ぼやきつつも顔には満足げな微笑が浮かんでいる。
 庭の端まで来て、桜花と伊織は並んで立ち止まった。生垣の向こうはすぐ砂浜だ。
 そっとつないだ手のぬくもりが、自分たちは生きているのだと実感させてくれる。
 今度、伊織と一緒に花を摘みに行こう。
 そして花束にして海へ流そう。
 浅葱と唯姫。現世では哀しい結末に終わった恋人たちへの、せめてもの手向けに。
 手を結んだまま、二人は彼方の水平線を見つめ続ける。
 これで終焉だと誰もが思った。恐ろしくも哀切な鬼の物語はすべて。
 しかし異変は突然、桜花を襲った。
 眼の前が暗転して力が抜けていく。まるで地の底に吸いこまれていくような感覚。
 身体がゆらぎ、結んでいた指先がふわっとほどけていく。
「桜花── !?
 自分の名を呼ぶ声がひどく遠くで聞こえ、桜花は伊織の胸に倒れこんでいった。




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登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

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