第100話 海の方角

文字数 644文字

 中から出てきたのは白い夜着姿の藤音だった。
 裸足で、ためらう様子もなく庭に下り、海の方角へと向かっていく。
 ある程度の距離が開くと、桜花と伊織もこっそりと外へ出る。
「そういえば、侍女たちは……」
 障子が開けられたままの藤音の居室を見て、二人は息を呑んだ。
 侍女たちはある者は壁にもたれ、またある者は床に横たわり、みな眠りこけてしまっている。
 声をかけ、肩を揺すってみたが反応がない。まるで何かの術にでもかけられたかのような、不自然な深い眠り。
 しかし長居はできなかった。見失ってしまわないよう二人は居室を出て藤音の後を追う。
 藤音はまっすぐに海辺へと進んでいく。
 とても体調を崩しているとは思えないほど、足どりは軽く、歩くというよりは(くう)をすべっていくようだ。
 その速さは、伊織はともかく、桜花の足では追うのが精一杯だ。
 呼吸が苦しい。無理に足を動かしてはいるが、もつれて転びそうになってしまう。
 と、よろけた桜花の腕がぐいっとつかまれた。伊織だ。
「大丈夫か?」
 桜花はかすかに笑み、ええ、とうなずいた。
 伊織がいてくれれば、きっと大丈夫──。
 月明かりだけを頼りに藤音を追い、伊織は桜花の手を引いて浜辺を進んでいく。
 桜花もまた力強い腕に支えられ、必死に砂を踏んでいく。
 いったいどこへ……とは、二人とも口にしなかった。この先には鬼封じの岩がある。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み