第106話 負の呪縛

文字数 569文字

 が、薄手の掛け布団をそっとめくり、藤音の右手に触れようとして、桜花は躊躇した。
 触れても、よいのだろうか。
 一度は拒絶され、払いのけられた手。
 母の記憶に導かれ、瘴気を受けた子供を癒した時から、ささやかではあるが桜花は治癒の力を使えるようになっていた。
 しばらくためらっていたが、藤音の苦しげな様子に、思い切ってその手を両手で包む。
 そうして藤音に自分の手を重ねた瞬間。
 幾つかの光景が一気に桜花の頭の中を通り過ぎていった。
 満開の桜の下、まだ幼い少年と手をつなぎ、微笑んでいる藤音。
 成長して武具をつけた馬上の少年を、悲愴な面持ちで藤音が見上げている。そして(むくろ)となって帰ってきた少年にすがりつく姿……。
 悪い夢でも見ているかのように藤音は首を振り、唇から名前がこぼれ落ちる。
「……まさき……」 
 その名には覚えがあった。
 直接、藤音から聞いたわけではない。
 隼人と如月の会話の中で知ってしまったのだ。
 先だっての戦で亡くなった藤音の弟。藤音は今もその傷みが消えず、負の呪縛から逃れられないでいる。
 祖父の言ったように、ひとの心は(から)みあい、深すぎて。何もできず、桜花はただ藤音の手を握り続ける。




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登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

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