第108話 本当のこと

文字数 594文字

 岩の中の鬼は言っていた。藤音は所詮、人質だと。
 しかし、違う。鬼の言葉は事実ではない。桜花は本当のことを知っている。だから真実を伝えなくては、と思ったのだ。
 だが、藤音はあっさりと言ってのけた。
「わかっているわ、そのくらい」
「え?」
 意外な返答に、桜花は再び眼をまるくする。
「最初こそ疑っていたけれど、すぐにわかったわ。殿はそのようなことは全く思っておられないと」
 とまどう桜花にはかまわずに、藤音は半分ひとりごとのように続ける。
「あの方はとてもまっすぐで、のびやかで、輝くような方。わたくしにはまぶしすぎるほど」
 藤音は眼がしらに手を当てた。でないと涙がこぼれてしまいそうで。
「では、ご承知でおられるのですね」
「ええ」
「でしたら、もうお二人を隔てるものは……」
 桜花が言い終わらないうちに、藤音は横になったまま、かぶりを振った。
「だめなの。どうしても忘れられない。柾が許してくれないの」
 柾とは、先刻、藤音がうわごとで口にしていた弟の名だ。
 桜花は沈黙するしかなかった。弟の件は偶然に知ってしまったことだ。自分が軽々しく口にするわけにはいかない。
 隼人の誠実な優しさと、討死した弟の無念さ。ふたつの狭間で藤音の心は揺れ動き、引き裂かれそうになっているのだ。




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登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

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