第99話 本当の気持ち

文字数 591文字

 館の人々の動きから隔絶され、二人きりの部屋の中はひどく静かだった。
 桜花は壁に寄りかかって座り、伊織は一心に外に眼をこらしている。
 兄の桜花への求婚は、伊織にとってもまったく予期せぬ出来事だった。
 和臣は桐生家の嫡男で、思慮深く見目もよい。申し分のない縁談相手だ。
 別に卑下するわけではないが、自分は庶出で、継ぐ家も財産もない。あるのは、この身ひとつくらいのものだ。
 桜花はどうするつもりなのだろう。兄の申し出を受ける気があるのだろうか。
 もちろん決めるのは桜花本人であり、自分がどうこう口をはさむ権利はないのだが。
 知りたい。桜花の本当の気持ちを。
 さんざん悩んだ果て、思い切ってたずねようとして振り返ると。
 桜花は壁にもたれ、眼をつむって静かな寝息をたてていた。

 黄昏が少しずつ色を変え、あたりはすっかり闇に沈む。藤音の居室に灯が点され、やがてそれも消える。
 闇の中、長いこと動きはなかった。
 襖の隙間からずっと見守っていた伊織も、もういいかげん何も起こらぬのでは、と思い始めた矢先。
 藤音の部屋の障子が音もなく開き、伊織は、はっとして小声で桜花を呼ぶ。
 壁に寄りかかって浅く眠っていた桜花は、弾かれたように飛び起きた。伊織と一緒に隙間からのぞきこむ。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み