第151話 泉のほとり

文字数 506文字

 娘は大きく息を切らせていたが、その時の浅葱には手を貸すなどという考えは思いつかなかった。あまりにも長い間、ひとりきりだったのだから。
 木々が少し開け、屋敷が見えてくると、浅葱は脇の小屋を指さした。
 ──あれでよければ使うがいい。
 納戸にしていた小屋だが、野宿よりはましだろう。
 ありがとうございます、と娘は何度も頭を下げ、父と共に小屋へと入っていく。
 結局、男の傷が癒えるまで浅葱は二人をかくまうことにした。娘の面ざしが少し母と似ていたせいかもしれない。
 不思議と娘は自分を怖がらなかった。深い森の中、澄んだ泉のほとりで彼は娘と言葉をかわした。
 ──父の具合はどうだ?
 ──おかげさまで少しずつ良くなっております。
 不慣れな手つきで水を汲む娘と代わり、桶を持つ。屈託なく礼を述べる娘に、彼は問いかけた。
 ──そなた、恐ろしくはないのか? 我は鬼ぞ。
 いいえ、と娘はたおやかに微笑んだ。
 ──最初は少し驚いたけれど、あなたはわたくしたちを助けてくれた恩人。感謝こそすれ、怖いなどとは思わないわ。




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み