第94話 奇妙な噂

文字数 614文字

「奇妙な噂が流れています。藤音が夜な夜な海辺をさまよっていると」
 まさか、と桜花は息を呑んだ。
 とてもすんなりとは信じられない。
「夜ということは、隼人さまは藤音さまとご一緒ではないのですか?」
「いえ、わたしとは寝所はずっと別なので……」
 桜花と伊織は黙って顔を見あわせた。二人の間には夫婦(めおと)として越えられない溝が、まだ横たわっているのだ。
「では、侍女たちは? 藤音さまには如月さまを初め、常に侍女たちがおそばについておられるはずですが」
「わたしもたずねてみましたが、侍女たちは決してそのようなことはない、と口をそろえて否定していました。
 特に如月は『殿はわたくしが藤音さまを夜中に放っておくような怠慢をすると仰せですか !?』と烈火のごとく怒っていました」
 そうだろう、と桜花も思う。
 如月は忠義心厚いしっかり者だ。務めを怠り、夜中に藤音が外へ出るのを放置しているとは考えにくい。
「ですが、村の者が何人も藤音らしき姿を見たと証言していて……」
 言いずらそうに隼人は一度、言葉を切る。
「その姿は、まるで物の怪に憑りつかれているようだと」
 桜花はああ、と得心した。だから内密に巫女である自分が呼ばれたのだ。
「藤音さまにはお会いになれますでしょうか」
 とにかく様子を見てみなければ対処のしようがない。




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登場人物紹介

天宮桜花(あまみやおうか)


始祖が天女と言われる家系に生まれた巫女。

破魔の力を受け継ぐ可憐な少女。

大切な人たちを守るため、鬼と対峙していく。

桐生伊織(きりゅういおり)


始祖が龍であったと言われる家系に生まれる。桜花とは幼馴染。

桜花を想っているが、異母兄への遠慮もあり、口にできない。

九条隼人(くじょうはやと)


草薙の若き聡明な領主。趣味は学問と錬金術。

心優しい少年で藤音を案じているが、どう接してよいかわからず、気持ちを伝えられないでいる。

藤音(ふじね)


和睦の証として人質同然に嫁いできた姫。

隼人の誠実さに惹かれながらも、戦死した弟が忘れられず、心を閉ざしている。

鬼伝承が残る海辺の村で、いつしか魔に魅入られていく……。

浅葱(あさぎ)

愛しい姫を奪われた鬼。世を呪い、九条家に復讐を誓う。

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