第82話 談笑

文字数 1,003文字

 翔は、ソファに座ったまま、虚空に目をやる。今起こったことは、現実なのだろうか。昼寝の最中に夢を見て、まだ寝ぼけているのでは……。
 突然やって来て、激しいキスをして、風のように去って行ってしまった基樹。……でも、夢なんかじゃない。たしかに今、基樹はここにいて、僕を抱きしめて……。
 基樹の香りや、胸のぬくもりや、舌の感触が、こんなに生々しく残っている。その余韻はなかなか消えず、長い間、翔はソファから立ち上がることが出来なかった。
 
 
 インターフォンが鳴って、翔は我に返った。
「お茶の用意が整いました」
 久美だ。ここに来てから、洋館では日課だったティータイムが復活していた。
 未だシャツ一枚だった翔は、その上にセーターを着て、部屋を出た。
 
 
 一階に下りて、大広間に向かう。大広間の一角にあるソファセットでお茶を飲むのが常だ。
 長い廊下を抜けて、そちらに目をやると、思いがけず、藍と基樹がソファで向かい合って談笑している。翔に気づいた藍が顔を上げると、その視線を追って、基樹が振り向いた。
 おずおずと近づいて行く翔を、二人は笑顔で見ている。
 
「今、日本支部でのことを聞いていたのよ」
「増永さんに、食事とティータイムは、二人と一緒にしていいって言われたんだ」
 なんと言っていいかわからず、ぼんやりと藍の横に腰を下ろす。藍が、翔の肩に手をかけて言う。
「よかったわね。基樹くんは、ほかの信者とは訳が違うんだもの、当たり前よ」
「うん……」
「ねぇ、後で基樹くんの部屋を見せてもらいましょうよ」
 そこに、久美が、お茶とお菓子をワゴンに載せて運んで来た。ティーカップは三つだ。
 
 
 久美が出て行った後、ティースプーンで角砂糖を溶かしながら、藍が言う。
「教義は、私たちと同じように、パソコンで勉強したんですって」
「クリアしないと先に進めないっていう?」
 基樹が笑った。
「そうそう、クリアしても全然うれしくないんだけどな」
 つられて翔も笑う。
「俺はてっきり、学校の授業みたいに、講師が黒板に向かって教えてくれるのかと思ったけど」

「あれが教団お得意のシステムなのね。長年、信者に使われていたシステムが、私たちの勉強にも応用されたってわけね」
「使いまわしか」
「ひどいわ」
 その後も、藍と基樹が楽しそうに話すのを、翔は、紅茶を飲みながら、黙って聞いていた。それだけで、とても幸せだ。また、こんな時間を過ごすことが出来るなんて……。
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