第35話 タクシー

文字数 1,004文字

 泣いている場合ではない。そう思い、パーカーの袖で顔を拭って、翔は言った。
「わかったよ。でも、行くのは、家の手前までにして」
 それ以外、何も思いつかなかった。
 
 森に入る少し手前でタクシーを降り、藤崎にはそのまま帰ってもらう。今頃はもう、みんな翔がいないことに気づいているだろうが、鍵を使ってゲートを通り、洋館に戻って、あとはひたすら謝るしかない。
 そう思っていたのだが。
 
 
 タクシーが停まったところで、ばらばらと駆け寄って来た数人の男たちに囲まれた。一瞬、自分を拉致するためにやって来たのかと思ってぎょっとしが、その中に、増永の姿があった。
 一人タクシーを降りた翔に、増永が言った。
「翔さん、心配しましたよ」
 翔は、藤崎を振り返って言う。
「行って。早く!」

 だが、男たちが、タクシーの行く手をはばむ。増永が、後部座席をのぞき込みながら、藤崎に言った。
「翔さんのお友達ですか? 一緒に降りていただきます」
 翔は、藤崎に言う。
「だめだよ、このまま行って!」
 増永が、翔をぐいと押しのけて、有無を言わせぬ口調で言った。
「降りてください」


 翔と藤崎は、道路の脇に停めてあった増永の車に乗せられた。ほかの男たちは、もう一台の車に乗り込む。
 翔の視線を追って、増永が言った。
「心配いりません。彼らは同胞です」


 最初のゲートに着き、増永が車を停めた。
「あっ、鍵」
 翔がパーカーのポケットから鍵を取り出そうとすると、増永が苦笑した。
「鍵なら、スペアがここにありますよ」
 車を降りる増永の背中を見つめながら、翔は思う。言われてみれば、スペアキーくらいあって当たり前だし、だからこそ今、増永がここにいるのではないか。
 自分が鍵を持って帰らないと、誰も外に出られないなどと思っていた自分は、なんとおめでたいのか……。
 
 藤崎は、翔の隣で、緊張の面持ちで押し黙っている。結局、最悪の形で、彼を巻き込むことになってしまった。
 独りよがりな感情で会いに行った自分のせいだ。今さら後悔しても遅いが、一度ならず助けてくれた彼に、恩を仇で返すようなことをしてしまった……。
 
 
 車が玄関ポーチに着くと、藍が駆け出して来た。だが、翔の後から降りた藤崎を見て、はっとしたように立ちすくむ。
「翔?」
 翔は、藤崎の背中に手を添えて言う。
「同じクラスの藤崎だよ」
 車をその場に停めたまま、増永が降りて来た。
「みなさん、リビングルームに参りましょう」
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