第122話 春

文字数 690文字

 やがて季節は流れ、少しずつ、春の気配が感じられるようになってきた。藍は、この場所が、日本のどの辺りにあるのか知らないし、尋ねることもしていない。
 それを聞いたところで、意味がないし、そもそも、あの屋敷がある山がどこにあったのかも知らないのだ。自由のない自分たちには、知っても仕方がないことだから。
 
 ここで暮らし始めてから、ずいぶん時間が経った。最初の頃こそ、教団や反対派が、場所を突き止めて押し入って来るのではないかと、びくびくしていたものだが、未だ、そのようなこともない。
 翔はどうしているだろう。もう、私のいない生活に慣れただろうか……。
 
 そんなことを思いながら、暗い窓の外に目をやっていると、ドアをノックする音がした。入浴後、パジャマに着替えて、そろそろベッドに入ろうと思っていたところだ。
「どうぞ」
 静かにドアが開く。真佐が洗濯物でも持って来てくれたのかと思ったが、そうではなかった。
「藍さん……」
 ドアノブに手をかけたまま、陸人が立っている。
 
「どうしたの?」
 藍は微笑みかける。後ろ手にドアを閉めて、陸人がゆっくりと近づいて来る。
「藍さん、好きです」
 ベッドのそばまで来た陸人は、そういうなり、立ち上がった藍をひしと抱きしめた。
「大好きです。もう、我慢出来ない……」
「陸人さん?」


 二人は、裸のままベッドの上に横たわっている。部屋の隅にあるヒーターと、たった今、愛を交わしたばかりで体中が火照っているせいで、寒さは感じない。
 まだ肩で息をしながら、陸人がつぶやいた。
「すいませんでした」
「謝らないで」
 藍は、陸人の骨ばった肩にしがみつく。
「ねぇ、抱きしめて……」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み