第158話 パーカーとスーツ

文字数 1,466文字

 食事が終わり、教祖とは、そこで別れた。この後ホテルを出て、すぐに空港に向かうという。反対派に居場所を特定されることを警戒しているらしい。
 別れ際に、教祖は、再び二人を抱きしめて言った。
――私が不甲斐ないばかりに、たくさん辛い思をさせて申し訳ない。必ず連絡するから、待っていてほしい。
 もう一度、顔をよく見せてくれないか?
 
 顔を上げると、涙を滲ませた切なげな目で、教祖が見下ろしている。
 目が合った瞬間、翔の胸にも熱いものがこみ上げ、涙がこぼれ落ちた。藍も目元をぬぐっている。
 正直なところ、自分でも、教祖に対する気持ちも、涙の意味も、よくわからない。だが、この人が、間違いなく自分たちの父親なのだということは、肌で感じた。
 その人に、今日、生まれて初めて会い、今また、早くも別れのときが来たのだ。
 
 最後に教祖が言った。
――翔、藍。愛しているよ。必ずまた会おう。


 翔たちは、ホテルに一泊することになった。藍の体調を考慮してのことだが、もとより急いで帰る理由もない。
 当然のように、翔と基樹は同室にされた。夕食を藍と一緒に取ることを決めた後、それぞれの部屋に別れた。
 
 ネクタイを緩めながら、翔は、ベッドに腰を下ろす。ずっと緊張のし通しで、ひどく疲れている。
「翔」
 基樹が来て、隣に座った。もたれかかると、腕を回して肩を抱いてくれる。
「大変な一日だったな」
「うん……」
「大丈夫か?」
「うん……」

 基樹が、くすりと笑った。
「それにしても、驚いたな」
「……うん?」
「世界を股にかけるカルト教団の教祖だっていうから、どんなカリスマかと思ったら」
 翔も、少し笑う。
「僕も驚いた。まさかパーカーにデニムとはね」

「そう言えば……」
 基樹が、記憶をたどるように、遠い目をした。
「翔が俺に会いに来てくれたときも、同じメーカーのパーカーとキャップだったな」
「あぁ」
 洋館を離れることになって、基樹が電車に乗る駅まで行ったときのことだ。
 
「久美が用意して、ずっとクローゼットに置いてあったけど、身に着けたのは、あれが初めてだよ。ああいうの、僕には似合わないと思うけど、あのときは一応、変装のつもりで」
「そうだったのか。久美さんは、教祖のファッションのこと、知っていたのかな」
「どうだろう……」
 それについては、何も聞いたことがない。久美も、教祖の姿を見たことがないのだとばかり思っていたけれど……。
 
「それはともかく、教祖が、俺のことを信用してくれたみたいで、よかった。それに、翔と俺の関係を認めてくれたらしいことも」
「僕も」
 結局のところ、こうして愛する人と寄り添っていられる自分は、とても幸せなのだと思う。だが、二度も愛する人を、一度はお腹の子供をも失い、今また、一人で子供を産もうとしている藍にも幸せになってほしいと思う。
 
 
 基樹が、不意に体を離して、翔の全身をまじまじと見た。
「うん。スーツ姿もなかなかいいな」
「そうかな。ぶかぶかで、いかにも着せられてるって感じで、かっこ悪いと思うけど」
 基樹が苦笑する。
「本当に翔は自己評価が低いな。そういうところがいいんじゃないか」
「え……?」

「まぁ、翔にはわからないか。
 俺にしてみれば、着慣れていない感じが、返ってそそられるんだよ。真新しいスーツの中で、細い体が泳ぐ感じとでも言うか……」
 翔はうつむく。基樹が言う通り、聞けば聞くほどよくわからない。
 基樹が、戸惑う翔の耳元に顔を寄せてささやいた。
「もっとも、俺が一番好きなのは、裸の翔だけど。なんなら、俺がスーツを脱がせてやろうか?」
「バカ……」
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