第60話 涙
文字数 1,451文字
藍は、涙をぬぐい、長い髪を払いのけて続ける。
「鮎川先生のことが好きだったのは本当よ。でも、その一方で、先生が、窮屈な世界から私を救い出してくれたらって期待していたのも事実。
翔を置き去りにして、自分だけ逃げ出そうとしていたの」
あぁ、やはり、そういうことだったのか。忘れかけていた痛みが、翔の胸によみがえる。
「私、妊娠したのよ。うれしかった。先生と二人で、子供を育てながら暮らす未来を夢見たわ。
でも、罰が当たったのね。増永に、子供を堕すように言われて、私、錯乱して、一晩中、洋館の敷地内の森をさまよったの。
あそこから逃げ出したい一心だったの。でも私、馬鹿だから、翔みたいにゲートの鍵を開けようなんて、思いつきもしなかったわ」
藍が、あふれる涙をぬぐいながら言う。
「子供は流れたの。私のせいよ。後から、鮎川先生が失踪したことを知ったわ。それもきっと、私の……」
「藍……」
翔は、藍の肩を抱きしめる。翔の目からも涙がこぼれる。
基樹がつぶやいた。
「そんなことがあったのか……」
「私、翔を裏切ったの。だから、優しくしてもらう資格なんてないのよ。
……でも、基樹くんがいてくれてよかった。翔は、本当に優しくていい子よ。だけど、とても繊細で傷つきやすくて……。
だから、基樹くんが、ずっとそばにいて守ってあげて。これ以上、翔に辛い思いをさせたくないの」
「俺も、そのつもりだよ」
二人して泣きじゃくっているところに、チャイムが鳴った。基樹が、ドアを開けに立つ。
入って来た久美が、二人を見て声を上げる。
「どうなさいました?」
それから久美は、問いかけるように基樹を見た。
「いや、俺は何も……」
藍が、大きくため息をついてから言った。
「こんなところに閉じ込められて、私たち、悲しくなって涙が止まらなくなったのよ。基樹くんが慰めてくれていたの。
まだ食事の途中なの。もう少し、三人だけにして」
「はぁ……。承知いたしました」
戸惑いの表情を浮かべながらも、久美は出て行った。
「さぁ、食べちゃいましょう」
藍は、目を真っ赤にしながらも、食べかけのハンバーグにナイフを入れる。基樹も再び食べ始めるが、翔は、胸が苦しくて、もう食べられそうにない。
藍が、基樹に向かって言った。
「あなたたちの関係は理解しているつもりだし、翔の気持ちもわかっているわ。だから」
「……だから、何?」
「私のこと、いちいち嫉妬に燃える目でにらまなくても大丈夫よ」
「え……」
「私たち兄妹は、もともとスキンシップが多いのよ。ただそれだけ」
そう言うと、藍はすまし顔でハンバーグのかけらを口に運ぶ。基樹の顔が真っ赤になった。
結局、翔は、料理の半分ほどを残したまま食事を終えた。ベッドに腰かけてうつむいていると、藍たちを送り出した基樹が戻って来て、翔の横に座った。
「大丈夫か?」
肩を抱かれ、引き寄せられるまま、基樹に寄りかかる。なんのせいなのか、自分でもよくわからないけれど、まだ涙が止まらない。
もしかすると、今まで生きて来たすべてのことが原因なのかもしれない。この数日間、泣いてばかりだ。
ただ一つ、こうして、隣に基樹がいてくれることだけが救いだ。初めは、自分のせいで、とんでもないことに巻き込んでしまったことがショックだったけれど、基樹が自分を思ってくれていたことも、さっきの言葉も、とてもうれしかった。
基樹の腕は、とても温かい。翔がそうしてほしいと思ったように、基樹は、翔の涙が止まるまで、ただ静かに寄り添っていてくれた。
「鮎川先生のことが好きだったのは本当よ。でも、その一方で、先生が、窮屈な世界から私を救い出してくれたらって期待していたのも事実。
翔を置き去りにして、自分だけ逃げ出そうとしていたの」
あぁ、やはり、そういうことだったのか。忘れかけていた痛みが、翔の胸によみがえる。
「私、妊娠したのよ。うれしかった。先生と二人で、子供を育てながら暮らす未来を夢見たわ。
でも、罰が当たったのね。増永に、子供を堕すように言われて、私、錯乱して、一晩中、洋館の敷地内の森をさまよったの。
あそこから逃げ出したい一心だったの。でも私、馬鹿だから、翔みたいにゲートの鍵を開けようなんて、思いつきもしなかったわ」
藍が、あふれる涙をぬぐいながら言う。
「子供は流れたの。私のせいよ。後から、鮎川先生が失踪したことを知ったわ。それもきっと、私の……」
「藍……」
翔は、藍の肩を抱きしめる。翔の目からも涙がこぼれる。
基樹がつぶやいた。
「そんなことがあったのか……」
「私、翔を裏切ったの。だから、優しくしてもらう資格なんてないのよ。
……でも、基樹くんがいてくれてよかった。翔は、本当に優しくていい子よ。だけど、とても繊細で傷つきやすくて……。
だから、基樹くんが、ずっとそばにいて守ってあげて。これ以上、翔に辛い思いをさせたくないの」
「俺も、そのつもりだよ」
二人して泣きじゃくっているところに、チャイムが鳴った。基樹が、ドアを開けに立つ。
入って来た久美が、二人を見て声を上げる。
「どうなさいました?」
それから久美は、問いかけるように基樹を見た。
「いや、俺は何も……」
藍が、大きくため息をついてから言った。
「こんなところに閉じ込められて、私たち、悲しくなって涙が止まらなくなったのよ。基樹くんが慰めてくれていたの。
まだ食事の途中なの。もう少し、三人だけにして」
「はぁ……。承知いたしました」
戸惑いの表情を浮かべながらも、久美は出て行った。
「さぁ、食べちゃいましょう」
藍は、目を真っ赤にしながらも、食べかけのハンバーグにナイフを入れる。基樹も再び食べ始めるが、翔は、胸が苦しくて、もう食べられそうにない。
藍が、基樹に向かって言った。
「あなたたちの関係は理解しているつもりだし、翔の気持ちもわかっているわ。だから」
「……だから、何?」
「私のこと、いちいち嫉妬に燃える目でにらまなくても大丈夫よ」
「え……」
「私たち兄妹は、もともとスキンシップが多いのよ。ただそれだけ」
そう言うと、藍はすまし顔でハンバーグのかけらを口に運ぶ。基樹の顔が真っ赤になった。
結局、翔は、料理の半分ほどを残したまま食事を終えた。ベッドに腰かけてうつむいていると、藍たちを送り出した基樹が戻って来て、翔の横に座った。
「大丈夫か?」
肩を抱かれ、引き寄せられるまま、基樹に寄りかかる。なんのせいなのか、自分でもよくわからないけれど、まだ涙が止まらない。
もしかすると、今まで生きて来たすべてのことが原因なのかもしれない。この数日間、泣いてばかりだ。
ただ一つ、こうして、隣に基樹がいてくれることだけが救いだ。初めは、自分のせいで、とんでもないことに巻き込んでしまったことがショックだったけれど、基樹が自分を思ってくれていたことも、さっきの言葉も、とてもうれしかった。
基樹の腕は、とても温かい。翔がそうしてほしいと思ったように、基樹は、翔の涙が止まるまで、ただ静かに寄り添っていてくれた。