第69話 Tシャツ

文字数 919文字

 久美が出て行くと、基樹が、そばに来てしゃがんだ。
「なぁ、何か一つ、翔のものをくれないかな。それを見て励みにするから」
 そう言われ、また涙が出そうになるが、ぐっとこらえる。
「じゃあ……」
 立って行って、衣装ケースの上に置いてあった、「平安の三百年」という本を持って来る。いつか、基樹が真剣な顔で読んでいたものだ。
 
「これ」
「あぁ、ありがとう」
 差し出した本を受け取り、基樹が微笑む。
「牛若丸って、ちょっと翔みたいだよな」
「え……。僕は牛若丸みたいに身が軽くないし、それに、義経は出っ歯の小男だったって聞いたことがあるけど」
「えっ、そうなのか?」

 うろたえる基樹を見て、翔もちょっと笑った。
「ねぇ、僕も基樹のものがほしい」
「そうか。何がいいかな。って言っても、服以外に何もないけど……」
「それでいいよ。シャツがいい」
 基樹がおどけて言った。
「パンツじゃなくていいのか? あっ、俺もやっぱり翔のパンツにしようかな」
「バカ」

 結局、Tシャツをもらった。いつもコットンのシャツやネルのシャツの下に、肌に直接着ていたものだ。
 思わず抱きしめると、やっぱり、また泣いてしまった。基樹が優しく言う。
「翔は泣き虫だな。今生の別れじゃないんだぞ。しばらくは離れ離れになるけど、それが済めば、その後は、ずっと一緒にいられるんだ」
「うん……」


 夕食も、やはり、あまり食べられなかった。ともすると、涙ぐみそうになる。こんなに泣き虫だったかと、自分でも呆れるが、どうにもならない。
「今日は朝からまともに食べていないじゃないか。倒れたりしないでくれよ」
 基樹の言葉に、藍も同調する。
「そうよ。しっかり食べなくちゃ。基樹くんに心配かけちゃいけないわ」
「うん……」

 藍が、基樹に向かって言う。
「大丈夫よ。しばらくの間は、翔は落ち込んでめそめそするかもしれないけれど、私がついているから。
 ……あっ、基樹くんが心配するようなことにはならないから、安心して。翔の頭の中は基樹くんのことでいっぱいで、私が入る隙間なんてないもの」
 基樹が、憮然とする。
「そんな心配してねぇよ」

 二人に心配をかけて、申し訳ないと思う。大変なのは基樹なのに。自分は、本当にどこまで情けないのか……。
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