第51話 唇

文字数 764文字

 それぞれシャワーを浴びてしまうと、ほかにすることもなく、小さな灯りだけを点けて、翔と基樹はベッドに入った。パイプベッドは、洋館のベッドに比べ、狭くて硬く、ひどく寝心地が悪い。
 体を丸めてじっとしていると、この二日余りの出来事が、ぐるぐると翔の頭の中で繰り返される。こうしている今も、見知らぬ場所の殺風景な部屋で、硬く冷たいベッドに横たわっていることが信じられない。
 いろいろな思いが胸に迫り、涙があふれて止まらなくなった。
 
 
「翔、どうした?」
 布団を被って泣いていると、基樹に声をかけられた。翔は、涙をぬぐいながら、布団から顔だけを出す。
「……ごめん、起こしちゃった?」
「いや、ずっと起きていたよ」
 やはり、基樹も眠れないのか。
「なぁ、そっちに行ってもいいか?」
「……うん」

 ベッドの上で起き上がると、基樹が来て、横に腰かけた。
「大丈夫か?」
「うん……」
 肩に手をかけられ、思わずうつむく。基樹の前で何度も泣いてしまい、とても恥ずかしい。そう言うと、基樹が笑った。
「そんなこと、気にするなよ」

「だけど、基樹は、こんなことになっても毅然としているのに、僕ばっかり醜態をさらして、情けないよ」
「俺が図太過ぎるんじゃないか? 何があっても食欲も落ちないしな。だけど……」
 基樹が、肩に回した腕に力をこめる。
「お前のことが心配でたまらない。俺、ずっと……」
 それきり黙ってしまったので、どうしたのかと顔を上げると、突然、基樹の顔が近づいて来て、唇と唇が重なった。
 
 そのまま基樹は、何度か翔の唇をついばむようにした後、はっとしたように体を離した。
「ごめん……」
 しばし呆然とした後、翔はつぶやいた。
「……どうして? 藍じゃなかったの?」
 基樹が、素っ頓狂な声を上げた。
「なんだよそれ」
「……え?」
 妖しい雰囲気が、一気に吹き飛んだ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み