第146話 久美の話

文字数 808文字

 ようやく藍と話が出来てよかったと思ったのも束の間、にわかに周りがあわただしくなった。
 
「みなさんに、大切なお話があります」
 その日、朝食の席で、料理を並べ終えた久美が言った。両手を握りしめるようにした久美は、いつになく緊張の面持ちだ。
 三人は、久美に注目する。三人の顔を見回してから、久美は言った。
「日本支部から連絡があったのですが、実は今、教祖様が、極秘裏に日本にいらしています」

 三人は、思わず顔を見合わせる。翔と藍の父親ではあるが、一度も会ったことがなく、顔さえ知らない教祖が、今、日本にいるというのか。
「教祖様は、是非とも翔さんと藍さんに会いたいとおっしゃっているそうです」
 突然のことに、誰も言葉を発しない。
 
 たしかに、こうして翔と藍は存在しているのだから、親がいるには違いないし、それが教祖なのだということは、小さい頃から聞かされている。教祖の子供だからこそ、特殊な環境で暮らしているということも、十分に理解している。
 だが、今まで翔は、一度たりとも教祖を身近に感じたことはなかったし、特別な感情を持ったこともなかった。それは多分、藍も同じだ。
 その教祖が、自分たちに会いたがっていると言われても、すぐには実感がわかない。
 
「教祖様は今、都内のホテルに滞在していらっしゃいます。つきましては、お二人に、ホテルまで会いに来てほしいと」
 ようやく口を開いたのは、藍だ。
「そんなこと、急に言われても……」
 久美が、意外そうな顔をする。
「教祖様が、お二人のお父上が、会いたいとおっしゃっているのですよ」

 藍が、ため息をついて、椅子の背もたれにもたれかかった。
「そうよね。久美は熱心な信者だものね。やっぱり、私たちより教祖様なのね」
「藍さん……」
「たしかに信者にとっては特別な存在でしょうし、私たちがその恩恵を受けていることは否定しないわ。だからって、こちらの意思も都合も聞かずに、いきなり会いに来いだなんて」
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