第3話 朝

文字数 1,019文字

「……翔さん。翔さん。お時間ですよ」
 耳元で久美の声がして、うつ伏せで寝ていた翔は、枕に顔をこすりつける。
「……ん……」
 もともと朝は苦手なのだが、ゆうべは遅くまで、このベッドに藍がいたのだ。
「藍さんは、もうお着替えになってダイニングルームにおいでですよ」
 あんなに激しく愛し合ったというのに、藍は、どうしてそんなに元気なのか……。
 
 翔は、まだ枕に頬をうずめたまま尋ねる。
「シャワーを浴びてもいい?」
 だが、久美は冷たく言い放った。
「そんな時間はございませんよ」
「そうしないと、目が覚めない」

「駄々っ子のようなことをおっしゃってはいけません。遅刻なさいますよ。
 あと五分のうちに、お着替えになって、ダイニングルームにいらっしゃいませ」
 そう言うと、久美は部屋を出て行った。久美の口調がわざとらしいまでに丁寧なときは、何を言っても太刀打ちできない。
 増永も久美も、へりくだったように見せながら、その実、絶対的な力で、翔と藍を支配している。もしも秘密の遊びが知られたとき、自分たちは、どうなるのだろう……。
 
 
 制服に着替えてダイニングルームに入って行くと、藍が、さわやかな笑顔で言った。
「おはよう。寝癖がついているわよ」
「えっ?」
 あわてて髪を整える。藍は、二本の三つ編みを両肩に垂らし、胸元のリボンの形も美しく、椅子に腰かけている。
 ため息をつきながら、藍の向かい側に座ると、すぐに久美が朝食を並べ始めた。
 
 
 玄関ホールで革靴に履き替える。久美が、重厚な一枚板のドアを開けると、ポーチの向こうに、増永が、車を停めて控えている。
 翔と藍は、毎朝、増永の運転する車で学校に向かう。二人の姿を認めた増永が、素早く車を降りて、後部座席のドアを開けた。
 
 最初に乗り込んだ翔は、シートベルトを締めると、ぐったりとシートに背中を預けた。藍がシートベルトを締め終わるのを待ってから、車が滑らかに動き始める。
 車が門から出てしまうまで、ポーチの前で、久美が頭を下げている。
 
 洋館の門のほかにも、森から出るまでにはゲートが二つある。その前にたどり着くたび、増永が車から降りて、鍵のかかっているゲートを開ける。
 そして、いったんゲートを通過した後、再び車から降りて施錠し、乗車して走り始める。洋館は、厳重に守られているのだ。
  
 二番目のゲートを出て、数分走ったところで、ようやく森が終わる。そこから十分ほど行ったところに、翔と藍が通う私立高校がある。
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