第27話 和菓子
文字数 1,387文字
藤崎を疎ましく思っていたのは、別に彼が嫌いだったからではないし、今まで生きて来て、友達がほしいと思ったことがなかったわけでもない。
誰とも親しくしなかったのは、ただ増永や組織の言いつけを守っていたに過ぎない。親しくすることで、自分のみならず、相手にも不利益が生じることがわかっていたからだ。
たとえば、今回の鮎川のように……。
今まで、翔も藍も、特定の誰かと親しくなったことはなかった。だが、初めて藍が鮎川と深い関係になったことで、皮肉にも、長年、言い聞かされて来たことが、ただの脅しではないと証明されたのだ。
この先も、自分が誰かと親しくなることはないだろう。そう思いながら、翔は車のシートにもたれた。
孤独感に浸りながら家に帰り着くと、玄関から、久美とともにワンピース姿の藍が出て来た。翔は、シートベルトを外すのももどかしく、ドアを開けて藍に駆け寄る。
「藍……」
「おかえりなさい、翔」
藍がにっこり笑った。その笑顔を見ただけで、鼻の奥がつんとする。
「藍、痩せたね」
「翔こそ」
久美が言った。
「これから、お茶になさいますか?」
二人は、顔を見合わせる。藍が言った。
「そうね」
「どちらで召し上がりますか?」
「じゃあ、翔の部屋で」
そろって三階に上がると、藍は、そのまま翔の部屋についてきた。制服を脱ぐ翔を見て、藍が声を上げた。
「あら、体操服」
ズボンの下に短パンをはいたままだった。さすがに、藤崎の前で下着一枚になるのは気が引けたのだ。
藤崎の寂しげな表情を思い出し、ちくりと胸が痛んだが、それを振り払うように短パンを脱ぎ捨てると、翔はウォークインクローゼットに向かった。
部屋着を着て戻ると、久美が、テーブルの上にお茶の用意をしているところだった。翔を振り返って久美が言う。
「今日は和菓子ですよ。増永さんが、お二人のために買っていらしたんです」
藍が真顔で言った。
「めずらしいこともあるものね」
久美が、湯飲みに緑茶を注ぐ。
「増永さんなりに、お二人のことを心配していらっしゃるんですよ」
漆塗りの皿に、花の形の美しい和菓子が載っている。あんこは嫌いではないが、増永が買って来たのだと聞くと、なんとなく手が出ない。
心配しているなどと言われても、いつものあの冷徹そのものの顔や態度とそぐわないし、心配しているのは、むしろ組織での自分の立場なのではないかと思ってしまう。
藍も同じ気持ちなのか、和菓子には手をつけないまま、つまらなそうに緑茶をすすっている。
そんなことを考えていると、ふと顔を上げた藍と目が合った。湯飲みを置いて、藍が言った。
「翔、ごめんね。私、とてもひどいことをしたわね」
「いや……」
すべては、もう済んでしまったことだ。
「体は大丈夫なの?」
「えぇ。ほとんど」
「学校には、まだ行けそうもない?」
藍はうつむく。
「私、増永に、学校をやめたいって言ったの。でも、そんなことは許されないって言われたわ。
私には、そんなことを言う権利はないって」
「そんな……」
「増永に聞いたわ。鮎川先生が、学校を辞めたって。翔、本当なの?」
藍の瞳が揺れる。あぁ、藍はまだ、あいつのことを……。
翔は、苦い思いを噛みしめながら言う。
「本当だよ」
「そう……」
その表情が歪んだかと思うと、藍は、両手で顔を覆って泣き出した。翔は、なすすべもなく、藍の細い肩を見つめ続けた。
誰とも親しくしなかったのは、ただ増永や組織の言いつけを守っていたに過ぎない。親しくすることで、自分のみならず、相手にも不利益が生じることがわかっていたからだ。
たとえば、今回の鮎川のように……。
今まで、翔も藍も、特定の誰かと親しくなったことはなかった。だが、初めて藍が鮎川と深い関係になったことで、皮肉にも、長年、言い聞かされて来たことが、ただの脅しではないと証明されたのだ。
この先も、自分が誰かと親しくなることはないだろう。そう思いながら、翔は車のシートにもたれた。
孤独感に浸りながら家に帰り着くと、玄関から、久美とともにワンピース姿の藍が出て来た。翔は、シートベルトを外すのももどかしく、ドアを開けて藍に駆け寄る。
「藍……」
「おかえりなさい、翔」
藍がにっこり笑った。その笑顔を見ただけで、鼻の奥がつんとする。
「藍、痩せたね」
「翔こそ」
久美が言った。
「これから、お茶になさいますか?」
二人は、顔を見合わせる。藍が言った。
「そうね」
「どちらで召し上がりますか?」
「じゃあ、翔の部屋で」
そろって三階に上がると、藍は、そのまま翔の部屋についてきた。制服を脱ぐ翔を見て、藍が声を上げた。
「あら、体操服」
ズボンの下に短パンをはいたままだった。さすがに、藤崎の前で下着一枚になるのは気が引けたのだ。
藤崎の寂しげな表情を思い出し、ちくりと胸が痛んだが、それを振り払うように短パンを脱ぎ捨てると、翔はウォークインクローゼットに向かった。
部屋着を着て戻ると、久美が、テーブルの上にお茶の用意をしているところだった。翔を振り返って久美が言う。
「今日は和菓子ですよ。増永さんが、お二人のために買っていらしたんです」
藍が真顔で言った。
「めずらしいこともあるものね」
久美が、湯飲みに緑茶を注ぐ。
「増永さんなりに、お二人のことを心配していらっしゃるんですよ」
漆塗りの皿に、花の形の美しい和菓子が載っている。あんこは嫌いではないが、増永が買って来たのだと聞くと、なんとなく手が出ない。
心配しているなどと言われても、いつものあの冷徹そのものの顔や態度とそぐわないし、心配しているのは、むしろ組織での自分の立場なのではないかと思ってしまう。
藍も同じ気持ちなのか、和菓子には手をつけないまま、つまらなそうに緑茶をすすっている。
そんなことを考えていると、ふと顔を上げた藍と目が合った。湯飲みを置いて、藍が言った。
「翔、ごめんね。私、とてもひどいことをしたわね」
「いや……」
すべては、もう済んでしまったことだ。
「体は大丈夫なの?」
「えぇ。ほとんど」
「学校には、まだ行けそうもない?」
藍はうつむく。
「私、増永に、学校をやめたいって言ったの。でも、そんなことは許されないって言われたわ。
私には、そんなことを言う権利はないって」
「そんな……」
「増永に聞いたわ。鮎川先生が、学校を辞めたって。翔、本当なの?」
藍の瞳が揺れる。あぁ、藍はまだ、あいつのことを……。
翔は、苦い思いを噛みしめながら言う。
「本当だよ」
「そう……」
その表情が歪んだかと思うと、藍は、両手で顔を覆って泣き出した。翔は、なすすべもなく、藍の細い肩を見つめ続けた。