第68話 荷造り

文字数 877文字

 増永が出て行くと、基樹は、冷めてしまった朝食を黙々と食べ始めた。それを呆然と見つめる翔の腕をさすりながら、藍が優しく言う。
「心配しなくても大丈夫よ。基樹くんなら、きっと合格するわ」
 そう言う藍の目にも、涙が滲んでいる。早くも、すっかり食べ終えた基樹が言った。
「先に行って待っていてくれ。俺も必ず後から行くから。
 二人とも、泣いてないで食べろよ。そんなに俺が信用出来ないのか?」
「そんなことないよ。信じてる」
 翔は涙をぬぐいながら、冷めて硬くなったトーストを、無理矢理口に押し込んだ。
 
 
 朝食が終わり、部屋に二人きりになった。
 翔は、ドアの鍵をかけて戻って来る基樹にしがみついた。基樹が、両腕で包み込んでくれる。
「基樹、ごめん……」
 言いながら、もう涙があふれる。今まで何度も繰り返し考えたことが、また頭に浮かぶ。
 やっぱり、すべて自分のせいだ。あのとき、自分が会いにさえ行かなければ……。
「謝るなよ。心配いらないって」
 基樹の声は、とても穏やかだ。翔が嗚咽を漏らすと、優しく髪を撫でてくれた。
 
 
 午後からは、荷物をまとめなければならなかった。明日の朝、翔と藍は新居に向かい、基樹も、建物内の別の部屋に移るのだという。
 季節をまたぎ、久美がそろえてくれた衣類だけでも、ずいぶんな枚数になっている。基樹は、せっせと衣類を畳んでは、バッグに詰めているが、翔の手は止まりがちだ。
 
 途中で、久美が様子を見にやって来た。案の定、翔の様子を見て言う。
「はかどっていらっしゃらないようですね」
「だって……」
 思えば、今まで自分の衣類を整理したことなどないし、ここに来るときも、怪我をして、具合が悪い翔のために、すべて藍がやってくれたのだった。

 衣類を床に散らかしたまま座り込んでいる翔に、久美が苦笑する。
「仕方がありませんね。お手伝いしてさしあげましょう」
 そして、翔の横に膝をつくと、衣類を一枚ずつ手に取って畳み始めた。翔も、のろのろと畳み始める。
 あらかた片付いた頃、久美が、腕時計を見て言った。
「もうこんな時間。あとはご自分でおやりになってくださいませね」
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