第112話 涙

文字数 979文字

 翔と交わす、甘くて、どこか切ないそれとは違い、先生との行為は激しくスリリングで、藍は、溺れた。身も心も先生の虜になりながら、いつしか藍は、先生との未来を夢見るようになっていた。
 だが、先生を愛するのと同時に、翔のことも変わらず愛していた。生まれたときから、ずっと一緒に生きて来た翔は、ほかの誰とも、決して替えのきかない大切な存在だ。
 けれども、今まで通り、翔と二人きりで生きて行くとすれば、自分には、教団の一部としての未来しかない。でも、先生となら……。
 
 そう思い始めた頃、お腹の中に新しい命が宿っていることがわかった。後に翔には、どちらの子だかわからないと言ったけれど、本当は、先生の赤ちゃんに違いないと確信していた。
 どうしても産みたいと思った。教団の管理のもとから飛び出し、外の世界で、先生とともに赤ちゃんを育てるのだ。そう決心した。
 だが、増永たちが、それを許してくれるはずがない。それならば、誰にも知られないように、中絶が出来なくなる時期まで、お腹の中で赤ちゃんを育てればいい。
 そう思ったのだが……。
  
 妊娠のせいなのか、ひどく体調が悪く、ある朝、部屋の前の廊下で倒れてしまった。その結果、増永たちや、翔にも、妊娠の事実を知られてしまったのだ。
 その後のことは、思い出したくもない。先生に妊娠を告げる間もないまま、赤ちゃんは流れ、二度と先生と会うことは出来なかった。
 先生は、おそらくあのとき、教団の手によって……。どちらも自分のせいだ。
 そして、翔のことも、深く傷つけてしまった。
 
 
 藍は、過去の出来事を思い返しながら、いつしか涙を流していた。そんな自分を笑う。ベッドの中でめそめそするなんて、まるで翔みたい……。
 藍は思う。きっと翔は、自分と鮎川のことを知ったときも、一人涙したのだろう。あのときは自分の苦しみで手いっぱいで、翔のことを気遣う余裕がなかったけれど、久しぶりに顔を合わせた翔は、ひどく痩せていたっけ。
 
 あの頃、翔は体育の授業中に倒れたのだと後から聞いた。そのことが、基樹との関係を深めるきっかけになったのだろう。
 でも、翔のためには、それでよかったのだ。翔には、すべてを包み込み、守ってくれる相手が必要だ。
 基樹ならば、それが出来る。でも、自分には出来ないし、自分は、いつかまた、翔を傷つけてしまうに違いないから……。
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