第170話 横顔

文字数 1,435文字

 やがて、夏も終わりに近づいた。教団が解散してから、ずいぶん時間が経ったが、これといった変化はない。
 財団は、まだしばらくは今の生活を続けるようにと言うだけで、具体的な説明はないし、元教祖である、翔と藍の父親からも連絡はない。彼は今、どこでどうしているのだろう。
 
 基樹は、何も言わないものの、いつまでもどっちつかずの生活が続くことに、じれているように見える。翔は、そんな基樹を見ることが辛い。
 一方、藍は出産を控え、母となることに集中し、落ち着いているように見える。刺繍を再開し、翔のための作品を完成させた後は、生まれてくる子のために、ベビー服やブランケットに刺している。
 
 
「なんだよ」
 大広間のソファに座り、ガラス越しに外の景色を見ていた基樹が、突然こちらを見て言った。基樹の横顔を見つめていた翔は、まともに目が合ってしまい、ドギマギする。
「えっ。あ、と……」
「さっきから人の顔をじろじろ見て。何か用か?」
「じろじろなんて……」
「じろじろ見ていただろ」

 焦る翔に、基樹は真顔で言う。
「まさか俺に見とれていたわけじゃないだろ? 言いたいことがあるなら、はっきり言えよ」
 翔は、上目遣いに基樹を見ながら口を開く。
「基樹は、早く学校に戻りたいと思っているの?」
 一瞬、翔の顔を見てから、基樹は、背もたれに体を預けて言った。
「別に、そんなことはないけど……」

「けど、何?」
「父親とも会えないままだし、いつまでここに留め置かれるのかとは思っている」
「留め置かれる……」
「あぁ。復学するなら、向こうに戻らなくちゃならないだろ。いろいろ準備もあるし」
 そうか。当たり前だが、学校に通うとなれば、基樹は、自宅マンションに戻るのだ。
 
「もう復学するって決めたの?」
「あぁ。とりあえず学校に行かないことには、そこから先に進めないからな」
 基樹は、それが当たり前のことのように言っているし、いたって真っ当な考えだということもわかっている。
 だが、未だ翔は、先のことなど考えず、ずっとこのまま、この屋敷で基樹と一緒に暮らしたいという思いが消せない。あまりに後ろ向きで勝手過ぎて、とても口には出せないが。
 
 基樹が手を伸ばして、翔の髪に触れた。
「なぁ。翔はどうするか決めたのか?」
「まだ……」
「そうか」
 基樹は、くるくると翔の髪をもてあそぶ。翔は、思い切って聞いてみた。
「ねぇ。どうすればいいと思う?」

 基樹は微笑む。
「そうだな。翔がしたいようにするのが一番だけど、また一緒に学校に通えたら楽しいかもしれないな。
 翔が不安なのはわかるけど、俺がそばにいれば守ってやれると思うし、それに」
 基樹の手が、髪から、翔の頬に移動する。
「離れたくないんだ」

 数秒の間、視線が絡み合った後、基樹があわてたように手を引っ込めて言った。
「いや、やっぱり今のは忘れてくれ。翔に無理をしてほしくない。
 もうこの先、ずっとここで暮らさなくちゃならないわけじゃないだろ? 翔たちが、もしもまた洋館に戻るなら、学校に通わなくても、いつでも会えるよな」
 
 翔は考える。財団は、翔と藍の処遇をどうするつもりなのだろう。未成年の二人を、いきなり放り出すようなことはしないだろうが、ただの人となった二人を、いつまでも養う義務もないはずだ。
 洋館は、財団のものになったのか、それとも、信者であった元の持ち主に返されたのか。どちらにしても、自分たちが望んだからといって、また以前のように洋館で暮らすことなど出来るのだろうか……。
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