第121話 唇
文字数 1,520文字
仕方なく、藍は母屋に戻った。部屋に入って行くと、陸人があわてて立ち上がる。
「さっきは、すいませんでした」
藍は、笑って見せる。
「いいのよ。たいしたことじゃないわ」
「はぁ……」
間が持たないので、藍は、奥に行ってソファに座った。そんな藍を、じっと見ている陸人に尋ねる。
「真佐さんは、今日は遅いの?」
「はい。今日は外で食べて来るから、夕飯は二人でって……」
「そうなの……。今日は、何を作るの?」
「えぇと、今日はカレーにしようかと」
「そう。カレーは好きよ」
それきり会話が途絶えた。昼食のときには、二人きりでも何も感じなかったのに、夜もまた二人なのかと思うと、気まずい。
同じ気持ちなのか、陸人は、所在なげに突っ立ったままだ。
「あなたも、こっちに来て座ったら?」
「はぁ……」
陸人は、とぼとぼと歩いて来ると、うつむいたまま、藍の斜め前に座った。
再び、気まずい沈黙が訪れる。藍は、かすかに首をかしげる。私、どうしちゃったのかしら。
彼のことなんて、全然好きじゃないのに。私のことを勝手に拉致して、勝手にのっぴきならない状況を作っておいて、そのくせ私のことを持て余しているお馬鹿さん。
私を見て、心を奪われたなんて言ったくせに、ちょっと胸に触れただけで、あんなにあわてて……。
考えているうちに、自分をこんな気持ちにさせる陸人に、だんだん腹が立って来た。
藍は、顔を上げて言う。
「あなた、私のこと、どう思っているの?」
「えっ?」
陸人は、驚いたように藍を見た後、すぐにまたうつむく。
「あなたが私をここに連れて来たのよ」
「そう、ですけど……」
藍は、息を吸ってから、言った。
「あなた、私のことが好きなんじゃないの?」
「えっ……」
陸人は、再び顔を上げて、まじまじと藍を見る。それから、真っ赤になった。
「もう。なんとか言いなさいよ!」
それでも陸人が黙っているので、藍は立って行って、陸人の横にどすんと座った。そして、陸人の眼鏡を外す。
「ちょ……!」
少し垂れ気味の、意外にまつ毛の長い目が、驚いたようにこちらを見る。藍は、手にした眼鏡を、テーブルに置いて言った。
「こういうときは、男の人のほうからするものよ」
「……何、を?」
「決まっているでしょう!」
陸人が、あたふたしながら言う。
「あ、えぇと、おばあちゃんが、『くれぐれも私が留守の間に馬鹿なことをするな』って、今朝……」
この期に及んで煮え切らないやつ!
「あなた、なんでも真佐さんの言う通りにするの? だったら、私を拉致する前にも、真佐さんにお伺いを立てたらよかったじゃないの!」
一気にまくし立てた後、藍は、立ち上がろうとした。だが。
「待って! いや、待ってください」
陸人が、両手で藍の肩を押さえる。
「ちょっと」
振りほどこうとした藍の肩を持つ手に力が入ったかと思うと、陸人の顔が素早く近づいて、唇と唇が重なった。
唇が離れた後、陸人は、藍をぎゅっと抱きしめた。
「好きです。初めて見たときから、ずっと大好きです。でも、僕なんかでいいんですか?」
「今さら何よ……」
藍も、陸人の腰に回した腕に力を込める。そうしながら考える。私は、間違ったことをているのだろうか……。
その日から二人は、真佐の目を盗んでは、二人きりの時間を持つようになった。真佐が買い物に行っている間や、夜、彼女が寝てしまった後に。
陸人は、優しいキスをして、藍を抱きしめてくれる。だが、そこから先には、なかなか進まなかった。
甘い愛の言葉をささやきながら、素肌に触れようともしない。臆病なのか、遠慮しているのか。
いや、自分のことを、大切に思ってくれているのだ。藍は、そう思い、どんどん陸人に惹かれて行った。
「さっきは、すいませんでした」
藍は、笑って見せる。
「いいのよ。たいしたことじゃないわ」
「はぁ……」
間が持たないので、藍は、奥に行ってソファに座った。そんな藍を、じっと見ている陸人に尋ねる。
「真佐さんは、今日は遅いの?」
「はい。今日は外で食べて来るから、夕飯は二人でって……」
「そうなの……。今日は、何を作るの?」
「えぇと、今日はカレーにしようかと」
「そう。カレーは好きよ」
それきり会話が途絶えた。昼食のときには、二人きりでも何も感じなかったのに、夜もまた二人なのかと思うと、気まずい。
同じ気持ちなのか、陸人は、所在なげに突っ立ったままだ。
「あなたも、こっちに来て座ったら?」
「はぁ……」
陸人は、とぼとぼと歩いて来ると、うつむいたまま、藍の斜め前に座った。
再び、気まずい沈黙が訪れる。藍は、かすかに首をかしげる。私、どうしちゃったのかしら。
彼のことなんて、全然好きじゃないのに。私のことを勝手に拉致して、勝手にのっぴきならない状況を作っておいて、そのくせ私のことを持て余しているお馬鹿さん。
私を見て、心を奪われたなんて言ったくせに、ちょっと胸に触れただけで、あんなにあわてて……。
考えているうちに、自分をこんな気持ちにさせる陸人に、だんだん腹が立って来た。
藍は、顔を上げて言う。
「あなた、私のこと、どう思っているの?」
「えっ?」
陸人は、驚いたように藍を見た後、すぐにまたうつむく。
「あなたが私をここに連れて来たのよ」
「そう、ですけど……」
藍は、息を吸ってから、言った。
「あなた、私のことが好きなんじゃないの?」
「えっ……」
陸人は、再び顔を上げて、まじまじと藍を見る。それから、真っ赤になった。
「もう。なんとか言いなさいよ!」
それでも陸人が黙っているので、藍は立って行って、陸人の横にどすんと座った。そして、陸人の眼鏡を外す。
「ちょ……!」
少し垂れ気味の、意外にまつ毛の長い目が、驚いたようにこちらを見る。藍は、手にした眼鏡を、テーブルに置いて言った。
「こういうときは、男の人のほうからするものよ」
「……何、を?」
「決まっているでしょう!」
陸人が、あたふたしながら言う。
「あ、えぇと、おばあちゃんが、『くれぐれも私が留守の間に馬鹿なことをするな』って、今朝……」
この期に及んで煮え切らないやつ!
「あなた、なんでも真佐さんの言う通りにするの? だったら、私を拉致する前にも、真佐さんにお伺いを立てたらよかったじゃないの!」
一気にまくし立てた後、藍は、立ち上がろうとした。だが。
「待って! いや、待ってください」
陸人が、両手で藍の肩を押さえる。
「ちょっと」
振りほどこうとした藍の肩を持つ手に力が入ったかと思うと、陸人の顔が素早く近づいて、唇と唇が重なった。
唇が離れた後、陸人は、藍をぎゅっと抱きしめた。
「好きです。初めて見たときから、ずっと大好きです。でも、僕なんかでいいんですか?」
「今さら何よ……」
藍も、陸人の腰に回した腕に力を込める。そうしながら考える。私は、間違ったことをているのだろうか……。
その日から二人は、真佐の目を盗んでは、二人きりの時間を持つようになった。真佐が買い物に行っている間や、夜、彼女が寝てしまった後に。
陸人は、優しいキスをして、藍を抱きしめてくれる。だが、そこから先には、なかなか進まなかった。
甘い愛の言葉をささやきながら、素肌に触れようともしない。臆病なのか、遠慮しているのか。
いや、自分のことを、大切に思ってくれているのだ。藍は、そう思い、どんどん陸人に惹かれて行った。