第21話 森

文字数 903文字

 へなへなと、うつ伏せにベッドに倒れ込む。僕だって、泣きたい。
 藍は、お腹の子の父親はどちらかわからないと言っていた。だが、藍が本当に好きなのは、鮎川なのではないか。
 だからこそ、深い関係になり、既成事実を作って、彼と一緒になるつもりだったのではないのか。
 藍は、翔と二人きりで、この閉ざされた場所で生きることよりも、外に出て、鮎川と暮らすことを選んだのだ。翔を置き去りにして……!
 
 藍……。僕たちは、愛し合っていたんじゃなかったのか? あんなに深く激しく、お互いの体をむさぼり合って、何度も嵐のような時間を過ごしたじゃないか。
 少なくとも、僕は君を愛していた。君の、強くて優しい心も、美しい顔も、白くて柔らかくて、壊れそうなほど華奢なのに、熱くたぎって、僕を飲み込んでしまうその体も……。
 
 
 眠れない夜を過ごし、翌朝、鈍い頭痛とともに、重い体を引きずりながら部屋を出ると、久美が階段を駆け上がって来た。
「翔さん、藍さんをお見かけしませんでしたか?」
「え?」
「藍さんが、どこにもいないんです」
「部屋には?」
「いません。屋敷の中は、ひと通り探しました」
「じゃあ、外に?」
「門の鍵は、増永が管理しています」

 車で出入りするとき以外、三重にある門には厳重に鍵がかけられ、森を含む広い敷地は、要塞のように高い石塀で囲まれている。
 そこから女の子が一人で出るのは、おそらく無理だろう。だが、森は、端まで見渡せないほど広い。
「じゃあ、森のどこかに?」
「今、増永が探しています」

「僕も探しに行く!」
 階段に向かおうとすると、久美が前に立ちふさがった。
「いけません。翔さんは、お部屋でお待ちください」
「でも」
「行き違いになってはいけませんし、翔さんにまで何かあったら困ります」
 真剣な目で見つめられ、翔は、仕方なく引き下がった。
 
 
 翔は、昨夜、話もせずに藍の部屋を後にしたことを悔いた。僕は、いつも自分のことしか考えていない。
 昨夜、藍とちゃんと話していたら。藍の気持ちを聞いて、一言でも慰めの言葉をかけていたら、こんなことにはならなかったかもしれないのに。
 せめて、藍が落ち着くまでそばにいたら……。僕は、最低だ。
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