第140話 バッグ

文字数 937文字

 藍は、午前中に診察を受けて帰って来ることになっていた。それで、帰りを待って一緒に昼食にしようと、パソコンでの勉強もそこそこに、二人で大広間に行った。
 藍が無事に帰って来るまでは、ゆっくり勉強も食事もする気になれない。そんな翔の気持ちを推しはかってか、基樹が言い出したことだ。
 本当は不安で仕方なくて、基樹に抱きしめていてもらいたい気分だが、それを久美に見られるのはいやだったので、普段通り、テーブルをはさんで向かい合って座った。
 
「大丈夫だ。あれだけ護衛がたくさんついているんだから心配ないさ」
 基樹が微笑みかける。
「うん。わかってる」
 基樹の言う通りだし、自分が、ひどく心配性なこともわかっている。ただ、藍の元気な顔をみるまでは、どうにも落ち着かないのだ。
 
 
 やがて会話も途切れ、ガラス越しに、ぼんやりと庭を見ていると、かすかに車の音が聞こえた。思わず、基樹と顔を見合わせていると、廊下の向こうから、久美の声がした。
「お戻りになられたようですよ」

 急いで玄関に向かうと、すでに開いているドアから、佐渡に付き添われた藍が入って来た。一瞬、具合が悪いのかと思ったが、そうではないらしい。
 佐渡は、藍の小さなバッグを手に持ち、まるで藍をかばうように付き従っているが、当の藍は笑顔だ。翔たちを認めると、胸の前で小さく手を振った。
 
 小走りに、こちらに来ようとする藍に、後から入って来て、ドアを閉めようとしていた久美が、あわてたように言う。
「走ってはいけませんよ」
「大丈夫よ」
 藍は、ちらりと振り向いて、そう言ってから、翔たちのそばまでやって来た。
 
「待っていてくれたの?」
「うん。一緒にお昼を食べようと思って」
「そう。お腹が空いたわ。今日のお昼は何かしら」
 無邪気に微笑む藍に、翔は尋ねる。
「あの、体は大丈夫? 赤ちゃんは?」
「えぇ。私も赤ちゃんも、とっても順調だそうよ」

 さっさとダイニングルームに向かおうとする藍に、佐渡が声をかけた。
「藍さん!」
「なぁに?」
 振り向いた藍に、玄関ホールに立ったままの佐渡が、バッグを掲げて見せる。
「あぁ」
 戻って行った藍は、バッグを受け取りながら、もう片方の手で、佐渡の腕に触れながら、心持ち首をかしげ、顔を見上げて言った。
「ありがとう」
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