第145話 大切な妹

文字数 1,620文字

「でも、木崎っていう人のこと、好きだったんだろう?」
 だからこそ、子供を産む決心をしたのではないのか。だが、藍は、遠い目をする。
「そうね、多分。でも、あの人は私のせいで……」
「違うよ!」
 翔は、首を横に振る。
「藍を連れ去った時点で、彼は、自分で破滅する道を選んだんだ。藍が何をしても、何もしなくても、いずれそうなる運命だったんだよ
 本人だって、それはわかっていたはずだよ」

 少しの間、静かな目で翔を見つめた後、藍が、ふふっと笑った。
「翔ったら、人のことになると、よくわかるのね。いつもは弱虫で泣き虫なのに」
「だって、藍が自分を責めるようなことを言うから……」
「私のこと、心配してくれているのね」
「当たり前だろ。藍は大切な妹なんだから」
 藍が、再び笑う。
「翔は、いつも基樹くんとべったりだから、基樹くんのことで頭がいっぱいなのかと思っていたわ」

 かっと頬が熱くなる。
「べったりなんて……」
 それはまぁ、していたかもしれないが……。
「私、二人の邪魔をしちゃいけないと思って、いつも遠慮していたのよ」
「そんなこと……」
 翔は、泣きたい気持ちになった。藍に、そう思わせてしまったことが悲しい。
「遠慮なんてしないでよ。藍のことを邪魔だなんて思うはずがないし、僕はいつだって、藍と話したいと思っている」

「……ありがとう。やっぱり、翔は優しいわね」
「優しいかどうかは、わからないけど」
 藍は、再び、パソコンのほうに向き直った。
「私、翔に嫌われても仕方がないようなことをたくさんしたわ。それなのに、今さら翔に甘えるようなことは……」
「いいよ、甘えてよ。僕たち、兄妹じゃないか」

「でも」
 ちらりとこちらを見てから、藍は続ける。
「基樹くんは、私のこと、よく思っていないわ。勝手なことばかりして、翔を悲しませているから。
 いつか、そんなふうに言っていたじゃない」
「そんなことないよ。基樹だって、藍のことを心配している」
「それは私が、翔に辛い思いをさせるからでしょう?」
「藍! 違うよ……」

 翔は、ため息をついて、背もたれに寄りかかった。藍も基樹も、自分にとってはかけがえのない大切な存在なのに。
 何がいけなかったのだろう。自分は、どうすればよかったのだろう……。
 もの思いに沈んでいると、やがて、藍が言った。
「ごめんなさい。また翔を悩ませるようなことを言っちゃったわね」
 翔は、その横顔を、じっと見つめる。
「そんなことはないけど、僕を悩ませたくないと思うなら、もっといろいろ話してほしい。
 藍が思っていることを、もっと」
 
「そうね。本当は私も、翔に話を聞いてもらいたかったの。あのね、私、自分のことが、いやでたまらない……」
「藍」
「翔は否定してくれるけれど、私と関わった人たちが不幸になってしまったことには違いないわ。もしも私が別の選択をしていたら、事態は変わっていたかもしれない。
 でも、私は間違えてしまったの。いつも私は、人のことよりも、自分の感情を優先していたから……」
 伏し目がちに話す藍に、なんと言葉をかけていいのかわからない。自分の気持ちに正直に生きることが、悪いことだとは思わないが。
 
 藍は続ける。
「お腹の子のこともそう。この子は、私の子だというだけで、生まれる前から、すでに重い荷物を背負っているのよ。
 だからって、宿った命を葬り去ることなんて出来ない。たとえ重荷を背負わせることになっても、いつか、産んだことを恨まれる日が来るとしても……」
 こぼれ落ちた涙を、藍は素早くぬぐった。
 
「赤ちゃんのことは、僕も協力するよ。僕たちがこういう境遇なんだから、たしかに普通の子と同じように生きることは出来ないかもしれないけど、それでも精一杯のことをして、なるべく悲しい思いをさせないように、みんなで育てていこう」
 それ以外には考えられない。
「ありがとう…」
 まだ涙で潤んだ目でそう言ってから、くすりと笑って、藍が言った。
「翔が伯父さんになるなんて……」
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