第29話 ナイフ

文字数 994文字

 頬に冷たい風を感じ、目が覚めた。身じろぎをしながら、暗闇の中で目を開けた瞬間、誰かに喉元を押さえつけられた。
「声を出すな」
 耳元で、押し殺したような声が言った。聞き覚えのない男の声だ。
「一緒に来るんだ。騒いだら殺す」
 頬に押しつけられた硬く冷たいものはナイフか。
 
 布団が剥ぎ取られ、胸倉を掴んで引き起こされた。考えるより先に体が動いて、男を突き飛ばすと、思い切り頬を張られ、翔はベッドから転げ落ちた。
 それと同時に、左の二の腕に衝撃を感じた。一瞬置いて、その部分が、かっと熱くなる。
「死にたいのか!」
 声とともに、もう一度胸倉を掴まれた次の瞬間、廊下が、にわかに騒がしくなったかと思うと、バタンとドアが開いて、部屋の電気が点いた。
 
 
「その手を離せ!」
 灯りに目がくらみ、翔は思わず目を閉じたが、その声は増永に違いない。男が、翔から手を離した。
 手の甲をかざしながら見上げると、増永の手に銃が握られている。呆然と見つめていると、増永の背後から、久美が駆け寄って来た。
「翔さん!」

 翔を見た久美が悲鳴を上げた。
「なんてこと!」
 久美の視線の先を見ると、パジャマの左袖が真っ赤に染まっている。先ほど腕に当たったのはナイフだったのだ。
 増永が、鋭く言う。
「翔さんを部屋の外へ!」

 久美に支えられながら部屋を出るときに振り返ると、増永が銃を突きつけているのは、黒ずくめの見知らぬ男だった。
 
 
 廊下をよろよろと進みながら、久美に尋ねる。
「どういうこと? 藍は?」
 久美が答える。
「くわしいことは、傷の手当てをしてからお話します。藍さんは無事ですよ」


 久美は、翔を一階に連れて行こうとしたのだが、二階に下りたところで、翔は動けなくなってしまった。暑くもないのに、汗がだらだらと流れ、腕の傷が痛む。
 それで久美は、二階の読書室と呼ばれている部屋のドアを開けて、電気を点けた。
「ここでお待ちになってください。すぐに手当てに必要なものを持って戻りますから」

 翔は、入り口近くにあるゴブラン織りの椅子に腰を下ろした。滅多に入ることのない読書室には、その名の通り、たくさんの書物が収められている。
 三方の壁に張り巡らされた、天井近くまである書架には、びっしりと本が並んでいる。学校の図書準備室を思い出し、少しいやな気持ちになる。
 久美は、藍は無事だと言っていたけれど、大丈夫だろうか。藍の顔が見たい……。
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