第74話 涙
文字数 1,389文字
次の日の朝、インターフォンが鳴ったのを無視してベッドの中で丸まっていると、部屋に久美がやって来た。ベッドのそばに来て、翔を見下ろしながら言う。
「どうされましたか? お加減がすぐれませんか?」
翔は、胸に抱きしめていた基樹のTシャツを、枕の下にさりげなく隠しながら答える。
「体が重くて起きられないよ。藍は、もう起きているの?」
「はい。ダイニングルームで、翔さんをお待ちになっていらっしゃいますよ」
カーテンの開閉ボタンを押しながら、久美が言う。
「外はいいお天気ですよ」
翔は、寝返りを打って、枕に顔をうずめる。
「やっぱり、まだ起きられない。悪いけど、藍には一人で食べてもらって」
大げさなため息をついて、久美が言った。
「仕方がありませんね。起きられましたら、ダイニングルームにおいでくださいませね」
基樹と何度も愛を交わしたせいなのか、長旅の疲れなのか、体が重くてだるいのは本当だ。あるいは、精神的な影響もあるかもしれない。
昨夜は、浅い眠りの中で、繰り返し、基樹や、あの部屋での出来事の数々を夢に見て、目覚めるたび、少し泣いた。まだ別れたばかりだというのに、基樹に会いたくてたまらない。
心も体も、環境の変化について行けない。自分の心は、まだ、あの部屋にあるのだと思う。
うとうとしていると、ドアをノックする音がした。やがて、ドアが開く。
「翔、入るわよ」
藍がそばに来て、いつもそうしているように、ベッドに腰かけて、翔の髪に触れる。
「具合が悪いの?」
「……疲れているだけだよ。藍は疲れていないの?」
藍が微笑む。
「それは、少しはね。でも、起きられないほどじゃないわ。翔も、朝ご飯を食べたら、きっと元気がでるわよ」
「うん……」
自分は、本当にだらしないと思う。いつも藍や基樹に励まされ、なんとか今までやって来られたけれど、一人では何もまともに出来ない。
きちんと起きて朝食を取ることも、一人で荷造りをすることさえ出来ないのだから、我ながら呆れる。
教団の未来を担うなどと言って持ち上げられているが、藍はともかく、自分には絶対無理だと思う。こんな自分のせいで、基樹が、教義の勉強や、厳しい訓練を受けなくてはならないのだと思うと、申し訳なくて涙が出る。
そんなことを考えながら、本当に涙ぐむ自分に、ほとほと嫌気がさす。今頃、基樹はとっくに起きて、見知らぬ人と接しながら、緊張感の中で過ごしているに違いないのに……。
「翔?」
涙をぬぐう翔の顔を、藍が心配そうにのぞき込む。
「基樹くんのこと、思い出しているの?」
「違うよ。自分のことが、あんまり情けなくて涙が出たんだよ」
「翔は情けなくなんかないわよ」
藍が、まるで姉のような優しい眼差しで、翔の髪を撫でる。
ようやくベッドから出て、シャワーを浴び終わって服を着たときには、昼食が近い時間になっていた。そのときになって、翔は初めて、部屋の外をまじまじと見た。
敷地は、山の斜面にあり、雪に覆われた庭の地面は緩やかに傾斜していて、塀の向こうは低く下がっているようだ。昨日、久美が言っていたように、遠くに折り重なるように、今は水墨画のような色合いの山並みが続いている。
頭の中に、「陸の孤島」という言葉が浮かぶ。ここは、世の中とは完全に隔絶した場所だ。
自分たちは、教団の信者たちの保護のもと、こんな場所で暮らしていくしかないのだ。
「どうされましたか? お加減がすぐれませんか?」
翔は、胸に抱きしめていた基樹のTシャツを、枕の下にさりげなく隠しながら答える。
「体が重くて起きられないよ。藍は、もう起きているの?」
「はい。ダイニングルームで、翔さんをお待ちになっていらっしゃいますよ」
カーテンの開閉ボタンを押しながら、久美が言う。
「外はいいお天気ですよ」
翔は、寝返りを打って、枕に顔をうずめる。
「やっぱり、まだ起きられない。悪いけど、藍には一人で食べてもらって」
大げさなため息をついて、久美が言った。
「仕方がありませんね。起きられましたら、ダイニングルームにおいでくださいませね」
基樹と何度も愛を交わしたせいなのか、長旅の疲れなのか、体が重くてだるいのは本当だ。あるいは、精神的な影響もあるかもしれない。
昨夜は、浅い眠りの中で、繰り返し、基樹や、あの部屋での出来事の数々を夢に見て、目覚めるたび、少し泣いた。まだ別れたばかりだというのに、基樹に会いたくてたまらない。
心も体も、環境の変化について行けない。自分の心は、まだ、あの部屋にあるのだと思う。
うとうとしていると、ドアをノックする音がした。やがて、ドアが開く。
「翔、入るわよ」
藍がそばに来て、いつもそうしているように、ベッドに腰かけて、翔の髪に触れる。
「具合が悪いの?」
「……疲れているだけだよ。藍は疲れていないの?」
藍が微笑む。
「それは、少しはね。でも、起きられないほどじゃないわ。翔も、朝ご飯を食べたら、きっと元気がでるわよ」
「うん……」
自分は、本当にだらしないと思う。いつも藍や基樹に励まされ、なんとか今までやって来られたけれど、一人では何もまともに出来ない。
きちんと起きて朝食を取ることも、一人で荷造りをすることさえ出来ないのだから、我ながら呆れる。
教団の未来を担うなどと言って持ち上げられているが、藍はともかく、自分には絶対無理だと思う。こんな自分のせいで、基樹が、教義の勉強や、厳しい訓練を受けなくてはならないのだと思うと、申し訳なくて涙が出る。
そんなことを考えながら、本当に涙ぐむ自分に、ほとほと嫌気がさす。今頃、基樹はとっくに起きて、見知らぬ人と接しながら、緊張感の中で過ごしているに違いないのに……。
「翔?」
涙をぬぐう翔の顔を、藍が心配そうにのぞき込む。
「基樹くんのこと、思い出しているの?」
「違うよ。自分のことが、あんまり情けなくて涙が出たんだよ」
「翔は情けなくなんかないわよ」
藍が、まるで姉のような優しい眼差しで、翔の髪を撫でる。
ようやくベッドから出て、シャワーを浴び終わって服を着たときには、昼食が近い時間になっていた。そのときになって、翔は初めて、部屋の外をまじまじと見た。
敷地は、山の斜面にあり、雪に覆われた庭の地面は緩やかに傾斜していて、塀の向こうは低く下がっているようだ。昨日、久美が言っていたように、遠くに折り重なるように、今は水墨画のような色合いの山並みが続いている。
頭の中に、「陸の孤島」という言葉が浮かぶ。ここは、世の中とは完全に隔絶した場所だ。
自分たちは、教団の信者たちの保護のもと、こんな場所で暮らしていくしかないのだ。