第73話 建物

文字数 1,341文字

 久美に導かれるまま、ポーチを通り、大理石のタイルが敷き詰められた玄関ホールに入る。久美が、次々に室内の灯りを点けて行く。
 中央を、奥に向かって真っ直ぐ走る長い廊下を進んで行くと、正面が全面ガラス張りになった大広間に出た。ガラスの外は、すでに暗くなった庭で、かろうじて、地面に白く雪が積もっているのがわかる。
 
「すごい……」
 藍がつぶやいた。久美が言う。
「朝になれば、遠くの山並みが見渡せますよ」
「久美は、ここに来たことがあるの?」
「いえ。初めてですけれど、タブレット越しに、何度か見て知っていました」
「ふぅん、そうなの」

 そこで久美が、何か思い出したように、小さく手を打った。
「これからは、お二人にはパソコンでお勉強していただくことになります。ここから学校に通われるのは、物理的にも、安全面でも、無理がありますからね」
 藍が、ため息をつく。
「今さら勉強なんかして、なんになるの? 将来、就職するわけでもないし、私たちには、もう必要ないと思うけど」

 すると久美は、目を見開いて、首を横に振った。
「いいえ、そんなことはございませんよ。豊かな知識を身に着けて見識を広げることは、教団の未来を担うお二人には必要不可欠です」
 藍は、うんざりしたような顔をして翔を見た。翔は、肩をすくめて見せる。
 
 
 建物は、地下一階、地上三階建で、二人の部屋は、それぞれ最上階にあった。一階の大広間と同じように、正面が全面ガラス張りになっていて、洋館の部屋ほど広くはないものの、ウォークインクローゼットや、バストイレが完備されている。
 二人を部屋に案内しながら、久美が言った。
「これから夕食の支度をいたしますので、準備が整うまで、お部屋でおくつろぎになってお待ちください」


 一人になった翔は、モダンなインテリアで統一された部屋を見回す。温度や湿度は適切に整えられているようだが、それでもなお、部屋は寒々しい。
 今朝までいた日本支部のあの部屋は、たしかに、狭くて暗く、殺風景だったけれど、基樹が一緒だったから、ちっとも気にならなかった。
 でも、これからは、この部屋で、たった一人で……。だが、涙ぐみそうになる自分を戒める。
 いや、それは、ほんのしばらくの間だけだ。すぐに基樹は来てくれる。きっと。
 
 ガラスの外には闇が広がり、そこに、ぶかぶかのコートを着た自分の姿が映っている。見ているうちに、なんだか怖くなって、久美に教えられた壁のボタンを押すと、プリーツ状のカーテンが、両サイドからゆっくりと閉まり始めた。
 この家は、なんでもボタン一つで行えるようになっているらしい。コートを着たまま、ぼんやりとベッドに腰かけていると、インターフォンが鳴った。
「お食事の用意が出来ましたので、一階のダイニングルームにおいでください」


 コートを脱いで部屋を出ると、一つ部屋を挟んだ向こうのドアから、藍が出て来たところだった。ちょうど階段の前で一緒になる。
「この家、なんだか落ち着かないわね。慣れるまでに時間がかかりそう。洋館と違い過ぎるわ」
「そうだね。本当に……」
 うつむく翔に、藍が言った。
「頭痛はどう?」
「あぁ、もう収まったよ。ありがとう」

 そうは言ったものの、それから二、三日の間、翔は、ぐずぐずとベッドで過ごした。
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