第117話 図案
文字数 1,296文字
そんなふうにして、真佐と陸人と藍、三人の生活が始まった。
教団にも反対派にも逆らって藍をさらって来たくせに、陸人の藍に対する態度は、ひどく消極的だった。もしかすると、衝動的に大胆な行動に出てしまったことを後悔しているのかもしれない。
陸人には、途方に暮れているような、どこか藍を持て余しているような風情がある。藍は初め、陸人が救急車の中で、自分に一目ぼれしたのだと思っていた。
だから、熱烈にアタックして来るのではないかと思ったのに、陸人の態度は、ほかの信者たちと、さほど変わらなかった。教団を憎んでいると言いながら、結局、いつの間にか教団に染まってしまっているのだ。
一方、真佐は、気さくに大らかに藍に接してくれる。自分にも祖母というものがいたら、こんな感じなのかと思い、心が安らぐ。
刺繍が趣味だったのだと言うと、すぐに材料をそろえてくれた。
「私も娘時代に、ハンカチやブラウスの襟に刺したものよ。久しぶりに私もやってみようかしら」
そう言って、昼下がりの居間のソファに並んで刺繍をするようになった。
「あら、素敵」
藍が描いた図案を見て、老眼鏡をかけた真佐が声を上げた。それは、翔のために作りかけていたものを、思い出しながら描いたのだ。
「兄にプレゼントする約束をして、もう半分以上出来ていたんです。もう一度、初めから刺してみようと思って」
「そうなの。お兄さんとは仲良しだったのね」
「えぇ、とっても」
「それなら、会いたいでしょう? お兄さんも、きっと心配しているわね」
「多分。でも……」
真佐のしんみりした声に、涙がこみ上げそうになる。真佐が、黙り込んでしまった藍の肩に触れる。
「本当にいいの? もしも帰りたいのならば、そうしてもかまわないのよ。
私も、あのときは、つい陸人を助けてほしいなんて言ってしまったけれど、あの子は自業自得なんだもの。藍さんの好きにしていいのよ。
もしも私の言葉が枷になっているなら、ごめんなさいね。どうか忘れて」
真佐の言葉に、こらえきれなくなって、ついに藍は泣き出してしまった。
「ごめんなさいね」
真佐が肩を抱いて、優しく揺すってくれる。それで、余計に涙があふれる。
翔に会いたい。翔を抱きしめたい。でも、もう何もかも遅過ぎる。それこそ、自業自得なのだ……。
ひとしきり泣いて、ようやく落ち着いた藍に、真佐が言った。
「ねぇ、本当に帰らなくていいの? たとえば、私が車であなたを、どこか離れたところまで連れて行って、そこから、あなたが、家に電話をかけたらどうかしら。
うまくごまかして、陸人の居場所さえ黙っていてくれれば、それで十分よ。後のことは私がなんとかするから心配いらないわ」
藍は顔を上げて、真佐の顔を見た。
「私がここにいては、迷惑ですか?」
真佐は、あわてたように両手を振る。
「そんなことはないわ。私は、ずっと独り暮らしで、近頃は陸人とも疎遠になっていたし、突然かわいい女の子の孫が出来たみたいで、とてもうれしいのよ。
でも、あなたの気持ちが一番大切だから」
「それなら、やっぱりここに置いてください」
真佐が、心配そうな顔で藍を見つめる。
教団にも反対派にも逆らって藍をさらって来たくせに、陸人の藍に対する態度は、ひどく消極的だった。もしかすると、衝動的に大胆な行動に出てしまったことを後悔しているのかもしれない。
陸人には、途方に暮れているような、どこか藍を持て余しているような風情がある。藍は初め、陸人が救急車の中で、自分に一目ぼれしたのだと思っていた。
だから、熱烈にアタックして来るのではないかと思ったのに、陸人の態度は、ほかの信者たちと、さほど変わらなかった。教団を憎んでいると言いながら、結局、いつの間にか教団に染まってしまっているのだ。
一方、真佐は、気さくに大らかに藍に接してくれる。自分にも祖母というものがいたら、こんな感じなのかと思い、心が安らぐ。
刺繍が趣味だったのだと言うと、すぐに材料をそろえてくれた。
「私も娘時代に、ハンカチやブラウスの襟に刺したものよ。久しぶりに私もやってみようかしら」
そう言って、昼下がりの居間のソファに並んで刺繍をするようになった。
「あら、素敵」
藍が描いた図案を見て、老眼鏡をかけた真佐が声を上げた。それは、翔のために作りかけていたものを、思い出しながら描いたのだ。
「兄にプレゼントする約束をして、もう半分以上出来ていたんです。もう一度、初めから刺してみようと思って」
「そうなの。お兄さんとは仲良しだったのね」
「えぇ、とっても」
「それなら、会いたいでしょう? お兄さんも、きっと心配しているわね」
「多分。でも……」
真佐のしんみりした声に、涙がこみ上げそうになる。真佐が、黙り込んでしまった藍の肩に触れる。
「本当にいいの? もしも帰りたいのならば、そうしてもかまわないのよ。
私も、あのときは、つい陸人を助けてほしいなんて言ってしまったけれど、あの子は自業自得なんだもの。藍さんの好きにしていいのよ。
もしも私の言葉が枷になっているなら、ごめんなさいね。どうか忘れて」
真佐の言葉に、こらえきれなくなって、ついに藍は泣き出してしまった。
「ごめんなさいね」
真佐が肩を抱いて、優しく揺すってくれる。それで、余計に涙があふれる。
翔に会いたい。翔を抱きしめたい。でも、もう何もかも遅過ぎる。それこそ、自業自得なのだ……。
ひとしきり泣いて、ようやく落ち着いた藍に、真佐が言った。
「ねぇ、本当に帰らなくていいの? たとえば、私が車であなたを、どこか離れたところまで連れて行って、そこから、あなたが、家に電話をかけたらどうかしら。
うまくごまかして、陸人の居場所さえ黙っていてくれれば、それで十分よ。後のことは私がなんとかするから心配いらないわ」
藍は顔を上げて、真佐の顔を見た。
「私がここにいては、迷惑ですか?」
真佐は、あわてたように両手を振る。
「そんなことはないわ。私は、ずっと独り暮らしで、近頃は陸人とも疎遠になっていたし、突然かわいい女の子の孫が出来たみたいで、とてもうれしいのよ。
でも、あなたの気持ちが一番大切だから」
「それなら、やっぱりここに置いてください」
真佐が、心配そうな顔で藍を見つめる。