File17:一時の安らぎ

文字数 3,288文字

 こうして目出度く(?)一週間の休職を受理させられたローラは、その足でそのままウォーレンの教会へ向かった。色々な感情が渦巻いていた。

 ミラーカの事。彼女を狙う吸血鬼達の事。トミーの死に対する罪悪感。それらの事情を周囲に理解してもらえない悔しさ。あらぬ疑いを掛けられたショック。ダリオに打ちのめされた敗北感……。

 何かにぶちまけたかった。こんな精神状態のまま『アルラウネ』に行きたくなかった。今の無様な自分の姿をミラーカに見せたくなかった。


 自らの感情に追い立てられるように教会の門を潜る。聖堂に入ると、奥に見慣れた後姿。祭壇に向かって何かをしているようだ。足音に気付いてゆっくりとこちらを振り向いたウォーレン神父の目が驚きに見開かれる。

「……ローラ? ローラじゃないか! どうしたんだい、こんな時間に。今日は非番だったかね?」

 その変わりない優し気な声を聞いたローラは、堪え切れずに涙を零してしまう。

「ど、どうしたんだね、ローラ!?」
「ご、ごめんなさい、神父様……わ、私……!」

 自分自身でも感情を制御できずに、涙が後から後から止めどなく溢れてきてしまう。ウォーレンはそんな彼女を見て、それ以上何も聞かずにただ彼女をしっかりと抱きしめた。

「解った。何も言わなくていい。今ここには私達しか居ない。存分に泣くと良い」

 その態度と優しい声音に、ローラの自制心は完全に崩壊した。


「う……うぅ……ああぁぁぁっ!」


 荘厳な聖堂内に、ローラの嗚咽だけがしばらく響いていた……



****



「……少しは落ち着いたかな?」

 ローラが泣き止んだ後もしばらく寄り添ってくれていたウォーレンは、一度奥に引っ込むと手ずから淹れたらしいコーヒーを持ってきてローラに差し出した。長椅子に座ってボンヤリしていたローラは、その声にハッと我に返る。


「君は甘いのが好きだったね? ミルクと砂糖はタップリ入れておいたよ。お口に合うと良いけど……」

「あ、し、神父様! す、済みません、こんな……」

「ああ、いいんだよ。私はいつでも君の味方だと言っただろう? さあ、遠慮せずに」

「あ、は、はい……。ありがとうございます、神父様。い、頂きます……」


 素直にカップを受け取った。口を付けるとまったりと甘い香りとカフェインが身体中に沁み渡っていく。ローラは、ほぅっと一息ついた。身体の中にあった淀んだものが全部溶け出していくような感覚だ。

「……ごちそうさまでした、神父様。生き返ったような気分です」

 コーヒーを飲み干したローラは、カップを返しながら礼を言う。ウォーレンがニッコリと笑う。

「どう致しまして。……さて、何があったのか、話してくれる気はあるかい?」

「それは……」

 話したい。相談したい。その気持ちはローラの中に確かにあった。今の彼女は休職中であり、報告も黙殺された形なのだから、『捜査と関係のない滑稽無糖な作り話』を誰にしようが、情報の漏洩には当たらない。

 だが署内での突き刺さるような同僚の視線が、彼女を臆病にさせる。


「あの……神父様って、神や悪魔の存在を信じますか……?」


 結果、まず予防線を張るような質問をしてしまう。それに対してウォーレンの答えは……

「何を言うかと思えば……勿論信じているよ? 生憎と徳が足りずに、未だに直接(まみ)えた事はないけどね。悪魔の方には会えなくて幸いという所だけど」

「あ、そ、そうですよね……。私、神父様に何を聞いてるんだろ……」

「ふむ……これは私の推測だけど……何か、科学では説明できない『モノ』か『現象』に遭遇した、と言った所かな?」

「ッ!? な、何で……!?」

 まさかウォーレンの方からそのような話を振ってくるとは思わず、ローラは絶句してしまう。ウォーレンが微笑む。

「こういう仕事を長く続けているとね……時には説明の付かないような怪奇現象に遭遇する事もあるんだよ。十年程前だけど、とある家で実際にポルターガイスト現象を見た事もあるよ」

 一般の人には秘密だけどね、とウォーレンは片目を瞑って戯けながら言った。

「だから、良ければ君が遭遇した神秘……或いは怪奇かな? それを私にも教えてくれるかい? 力になれるかは分からないけど、誰かに話すだけでもグッと心が楽になる事もあるよ」

「し、神父様……」

 全ての警戒心が溶け出すような優しい語り掛けに、気づけばローラはこれまでに遭遇した一連の出来事をウォーレンに打ち明けていた。 


****


「……『サッカー』の正体が吸血鬼。しかもその背後にはあのドラキュラ公本人とは……。確かに話だけ聞けば一笑に付されるのが関の山だろうね」

 ローラの話を聞き終えたウォーレンの第一声がそれだった。

「そ、そんな、神父様……」

「でも私はローラの人となりを知っている。君がそんな無意味な作り話をする子じゃないって事は、私が一番良く解っている。だから……信じるよ。君の体験してきた事をね。本当に……辛かったね」

 その労るような調子に、ローラの涙腺が再び緩む。先程職場で辛い体験をしたばかりだったので、余計に身に沁みた。

「し、神父様……ありがとうございます」

「ふふ……でもその、君が熱を上げているミラーカという女性にもお礼を言わなければならないね」

「なっ!? し、神父様!」

 第三者から『熱を上げている』などと揶揄されて、ローラは今更ながらに恥ずかしさが込み上げてきた。確かに客観的に考えても、自分のミラーカに対する感情は上手く説明出来なかった。

 ローラとてティーンという訳ではない大人の女だ。過去には男性と交際していた事もある。だがその時にもこのような感情を抱く事は無かった。自分はどちらかというとそういう方面はドライな性質だと思っていたのだ。

「ははは、いや、でも悪い事じゃないよ? 君は余りそういう方面に関心が無いような気がしていたから、ちょっと心配だったんだ」

「……!」
 奇しくも考えていた事と同じ事を言われ、ローラは驚く。

「でも……吸血鬼か。本当にいたんだね。神の前では皆等しく平等だ。そのミラーカさんがもしここに顔を出してくれる気になったら、いつでも歓迎すると伝えておいて欲しい」

「神父様……はい、必ず伝えます。ありがとうございます」

「うん……トミーに関しては本当に残念だったね……。前に一度君が連れてきてくれた時は、中々の好青年だと思っていたけど、げに恐ろしきは吸血鬼の魔力だね」

「…………」
 トミーの事はミラーカに語った通りだ。どうしようもなかった。ウォーレンの言う通り悪いのはあくまでシルヴィア、そしてそのバックにいるヴラドだ。


「本当にそうですね……。もうこれ以上トミー達のような被害者を出す訳には行きません。ミラーカを助ける為にも、そしてこの街を守る為にも、奴等とは決着を付ける必要があります」

「そう……だね。本当は君にそんな危険な事に首を突っ込んで欲しくはないけど、君は刑事だし、ミラーカの事も助けると決めたんだろう? なら私には君の決意を止める事は出来ないよ。でも、くれぐれも気を付けて、自分の命を大切にすると誓ってくれ。私はその言葉を信じて、君達の無事を祈る事にするよ」


 あくまでローラの意思を尊重するというウォーレンの言葉にローラは感激してしまう。


「神父様、ありがとうございます。必ず自愛する事を約束します」

「うん、それでいい。……もっと直接的に君を助けてあげられない事をふがいなく思うよ」

「そんな……神父様に祈って頂けていると思うと力が湧いてきます。それにこうして話を聞いてもらえただけでも、私にとってはとても意味のある事でした」

「そう言って貰えて嬉しいよ。君達の行く末に神のご加護があらん事を……」


 ウォーレンはそう言って、ローラの為に祈ってくれた……
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