File48:友の為に
文字数 3,696文字
『さて、と……』
オーガがゆっくりと、今の戦闘の間全く動かなかった……シグリッドの方へ向き直る。彼女は戦闘の余波で少し吹き飛ばされて尻餅を着いた状態で、重い足音を立てながら近づいてくるオーガの姿を呆然と見上げていた。
オーガは彼女の元まで歩いてくると、そのまま屈み込んで彼女の顔を覗き込む。シグリッドはビクッと震える。
「あ……あ……」
『ああ、シグリッド。今までこの事を黙っていて済まなかったな。でも言える訳ないだろ? 自分の正体が世界を滅ぼそうとしている悪魔の使い魔だなんて。お前なら解ってくれるよな?』
「……!」
その口調だけはルーファスのままで、オーガがまるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるように喋る。シグリッドは目を見開いた。
『忌子として怖れられ死ぬ寸前だったお前を引き取って、今まで育ててやったのは誰だ? なぁに、大丈夫だ。お前なら新しい世界でも充分やっていける。今まで騙していたのは悪かったが、今度こそ新しい世界で2人で一緒に暮らそうじゃないか』
「……ミラーカさんは、どうなるのですか。セネムさん達も……」
ルーファスと再会して以来初めて彼女が自分の言葉 を喋った。だがオーガはそれに気付かず肩を竦めた。
『ミラーカ? 勿論殺すさ。他の女達もな。だがお前は別だ。俺の言う事を聞いて従うなら、お前だけは助けてやる。勿論新しい世界においてもな』
「…………」
オーガの話を聞いている内に、徐々にだがシグリッドの目に力が戻って来ていた。彼女は数か月前にルーファスの自宅で彼と交わした会話を思い出していた。
*****
その日は【悪徳郷】との戦いからの生還 祝いと慰労を兼ねて、ローラの家でナターシャやクレア達も呼んでのホームパーティーが催される事になっていて、シグリッドもそれに招待されていた。
時間が近付くにつれてソワソワしだすシグリッドを見かねて、ルーファスが苦笑しながら声を掛ける。
「シグリッド、落ち着けって。大丈夫だ。ローラ達の性格は知ってるから君だって安心だろ? そんなに緊張する事は無い。共に死闘を潜り抜けた仲間だろう?」
「ル、ルーファス様……。それは、そうなのですが、どうも……人が集まる場所というのは苦手で……。私などがいては皆かえって盛り下がってしまうでしょうし」
ルーファス邸で業界人達を集めての大規模なパーティは無論経験していたが、そういう時はただのメイドに徹していればよいので気は楽だった。臨時の使用人達とのやり取りも事務的な物だけで済む。
だが自分が招待される参加者としての立場ではそうも行かない。何を話せばいいのか。どういう態度でいればいいのか。自分と話していて相手が退屈そうな表情をしたら。気を使ったり敬遠するような態度を皆から取られたら。
どうすればいいのか全く分からず、パニックに陥りかけてしまう。そんな彼女の様子にルーファスが溜息をつく。
「どうする? そんなに嫌 ならキャンセルするか? 辞退の連絡は俺からしておく――」
「――行きます!」
ルーファスの言葉を遮って叫ぶように発言するシグリッド。一瞬の後に自分のした事に気付いて顔を赤らめて頭を下げる。
「も、申し訳ありません! お言葉を遮るなど……」
「いや、いいさ。もう答えは出ているじゃないか。君は行きたいんだろう? ならただ自分の心に素直になって、したいと思うようにすればいい。そもそもローラ達は君がどういう人物か知っていて招待しているんだぞ? それでも君と一緒に祝いたいんだろう。仲間、いや……友人 としてね」
「……! ゆ、友人……? 私が……?」
シグリッドは不思議な単語を聞いたかのように目を瞠った。だがその意味が理解できるにつれて、じんわりと胸に名状しがたい感情が沸き上がった。ルーファスは確信を込めて頷いた。
「そうだ。少なくとも彼女達は皆そう思っているはずだぞ。君はどうだ? ローラやミラーカ達の事をどう思っている?」
「わ、私は…………私も、ゆ、友人だと……思って、います」
恐る恐る呟く。同じような人外の力を持ち、そして何度も死闘を共にした仲間達。言葉に出す事で、より明確に認識した。自分は彼女達と友達 になりたいのだ。
自分の生い立ちなどから他人とまともに築けるとは思っていなかった関係を、彼女達となら結べるかも知れない。そう思っていたのだ。
ルーファスが笑った。
「はは、やっとそう言ってくれたな。君は俺だけじゃなくもっと外に目を向けるべきだ。彼女達との関係を大切にするんだ。それは君の糧になるはずだからね」
「ル、ルーファス様……」
彼がこんな風に彼女の事に言及するのは珍しく、シグリッドは少し戸惑ってしまう。ルーファスは再び苦笑した。
「まあそれは今すぐどうこうという話じゃない。とにかく君は彼女達と友人だと思っていて、彼女達もまた君の事を友人だと思っている。なら君達は正真正銘の友人同士という訳だ。だったら何を遠慮する必要がある? 君は君のままで、ただ友人達と楽しく過ごせばそれでいいんだ。何も考えずに楽しんできたらいい」
「……! はい……そうですね。ありがとうございます、ルーファス様」
ルーファスの言葉をゆっくりと噛み締めつつ頷くシグリッド。そして彼女は彼に勇気づけられてパーティーへ赴く事になり、そこで友人達 と夜通し過ごした。
それは彼女の人生において、楽しい という感情を抱いた初めての日でもあった。
*****
シグリッドはオーガの手を振り払った。
『お……?』
「……あなたはルーファス様ではありません」
その声には先程までは無かった力が戻って来ていた。そして自らの脚でしっかりと立ち上がるシグリッド。
『おいおい、メイドが主人に逆らうのか?』
「私の知っているルーファス様ならそのような物言いはされません。あなたは……ルーファス様の名を騙るただの魔物です!」
無論目の前の存在が本物 のルーファスである事は彼女も解っているだろう。だから先程までは動揺とショックから動けなかったのだ。
だが理屈ではなかった。目の前のオーガと、彼女の知っているルーファスは別物 である。これまで半生を共に過ごしてきた彼女の本能的な部分でそれを悟ったのだ。
そのオーガが口から蒸気のような呼気を吐き出した。
『そうか……。お前には失望したぞ、シグリッド。ならばここで下らん友情とやらに殉じて共に死ぬがいい』
オーガの身体から再び凄まじい闘気が噴出する。物理的な圧力さえ伴うそれを、シグリッドは自らも角の生えたトロールハーフの姿となって耐える。
そこにオーガが大上段から拳を打ち下ろしてきた。重機による叩き付けのようなそれを、シグリッドは冷静に軌道を見切って回避。そのまま流れるような動作で接近すると拳や肘、そして蹴りといった打撃を連続して撃ち当てる。
まるで恐ろしく硬いゴムの塊を殴ったような感触に彼女は顔を顰める。オーガは全く怯む事無く今度はフックのような横殴りの一撃を仕掛けてくる。
空間ごと粉砕するような薙ぎ払いを、やはりシグリッドは極力冷静に屈み込んで回避。そして今度は脛や、そして股間に対しても全力で蹴り込んだ。
『おいおい、そこを蹴るか!? お前をそんな性悪女に育てた覚えはないぞ?』
「……!」
だが股間を蹴り上げられたはずのオーガは、確かに手応え があったにも関わらず平然と軽口を叩いて、シグリッドを捕えようと両手を伸ばしてくる。当たり前というか人間の男と同じに考えない方が良いようだ。
打撃では埒が明かない。掴み掛かりを飛び退って躱すと、彼女は逆に自分からオーガの丸太のような腕に飛びついた。
『む……?』
オーガが気付いた時には既に彼女はその腕に身体ごと絡み付くような形で、サブミッションを極めていた。相手のサイズが桁違いなので十字固めとは行かず、腕一本に取り付くのが精一杯だ。だが極めさえ出来れば構わない。
オーガの手首を両腕で抱え込むようにして、肘の関節を逆方向に全力で牽引する。見た所オーガの関節構造自体は人間のそれと変わらないようなので、これで腕をへし折れるはずだ。だが……
「……っ!?」
『なんだ、それで全力か? ちょっと鍛え方が足りなかったんじゃないか?』
何とオーガは片腕の屈曲だけの力で、トロールの姿となっているシグリッドが両腕と体幹の力まで総動員して全力で牽引している腕ひしぎに拮抗していた。シグリッドの目が驚愕に見開かれる。
『そら、歯を食いしばっといた方がいいぞ?』
「……! く……」
それだけでも脅威的だが、更にオーガはシグリッドが取り付いたままの腕を高く振り上げた。何をするつもりかは明白だ。彼女は慌ててサブミッションを解いて離脱しようとするが、その前にオーガの腕が轟音と共に振り抜かれた!
オーガの腕ごと地面に叩きつけられたシグリッドは、余りの衝撃に一瞬意識が飛ぶ。叩きつけられた地面がまるで小規模なクレーターのように陥没する。
当然腕を離したシグリッドは、そのクレーターの『爆心地』で血反吐を吐き出しながら倒れる。ダメージと衝撃は大きく、すぐには起き上がるどころか動く事さえできない。
オーガがゆっくりと、今の戦闘の間全く動かなかった……シグリッドの方へ向き直る。彼女は戦闘の余波で少し吹き飛ばされて尻餅を着いた状態で、重い足音を立てながら近づいてくるオーガの姿を呆然と見上げていた。
オーガは彼女の元まで歩いてくると、そのまま屈み込んで彼女の顔を覗き込む。シグリッドはビクッと震える。
「あ……あ……」
『ああ、シグリッド。今までこの事を黙っていて済まなかったな。でも言える訳ないだろ? 自分の正体が世界を滅ぼそうとしている悪魔の使い魔だなんて。お前なら解ってくれるよな?』
「……!」
その口調だけはルーファスのままで、オーガがまるで聞き分けの無い子供に言い聞かせるように喋る。シグリッドは目を見開いた。
『忌子として怖れられ死ぬ寸前だったお前を引き取って、今まで育ててやったのは誰だ? なぁに、大丈夫だ。お前なら新しい世界でも充分やっていける。今まで騙していたのは悪かったが、今度こそ新しい世界で2人で一緒に暮らそうじゃないか』
「……ミラーカさんは、どうなるのですか。セネムさん達も……」
ルーファスと再会して以来初めて彼女が
『ミラーカ? 勿論殺すさ。他の女達もな。だがお前は別だ。俺の言う事を聞いて従うなら、お前だけは助けてやる。勿論新しい世界においてもな』
「…………」
オーガの話を聞いている内に、徐々にだがシグリッドの目に力が戻って来ていた。彼女は数か月前にルーファスの自宅で彼と交わした会話を思い出していた。
*****
その日は【悪徳郷】との戦いからの
時間が近付くにつれてソワソワしだすシグリッドを見かねて、ルーファスが苦笑しながら声を掛ける。
「シグリッド、落ち着けって。大丈夫だ。ローラ達の性格は知ってるから君だって安心だろ? そんなに緊張する事は無い。共に死闘を潜り抜けた仲間だろう?」
「ル、ルーファス様……。それは、そうなのですが、どうも……人が集まる場所というのは苦手で……。私などがいては皆かえって盛り下がってしまうでしょうし」
ルーファス邸で業界人達を集めての大規模なパーティは無論経験していたが、そういう時はただのメイドに徹していればよいので気は楽だった。臨時の使用人達とのやり取りも事務的な物だけで済む。
だが自分が招待される参加者としての立場ではそうも行かない。何を話せばいいのか。どういう態度でいればいいのか。自分と話していて相手が退屈そうな表情をしたら。気を使ったり敬遠するような態度を皆から取られたら。
どうすればいいのか全く分からず、パニックに陥りかけてしまう。そんな彼女の様子にルーファスが溜息をつく。
「どうする? そんなに
「――行きます!」
ルーファスの言葉を遮って叫ぶように発言するシグリッド。一瞬の後に自分のした事に気付いて顔を赤らめて頭を下げる。
「も、申し訳ありません! お言葉を遮るなど……」
「いや、いいさ。もう答えは出ているじゃないか。君は行きたいんだろう? ならただ自分の心に素直になって、したいと思うようにすればいい。そもそもローラ達は君がどういう人物か知っていて招待しているんだぞ? それでも君と一緒に祝いたいんだろう。仲間、いや……
「……! ゆ、友人……? 私が……?」
シグリッドは不思議な単語を聞いたかのように目を瞠った。だがその意味が理解できるにつれて、じんわりと胸に名状しがたい感情が沸き上がった。ルーファスは確信を込めて頷いた。
「そうだ。少なくとも彼女達は皆そう思っているはずだぞ。君はどうだ? ローラやミラーカ達の事をどう思っている?」
「わ、私は…………私も、ゆ、友人だと……思って、います」
恐る恐る呟く。同じような人外の力を持ち、そして何度も死闘を共にした仲間達。言葉に出す事で、より明確に認識した。自分は彼女達と
自分の生い立ちなどから他人とまともに築けるとは思っていなかった関係を、彼女達となら結べるかも知れない。そう思っていたのだ。
ルーファスが笑った。
「はは、やっとそう言ってくれたな。君は俺だけじゃなくもっと外に目を向けるべきだ。彼女達との関係を大切にするんだ。それは君の糧になるはずだからね」
「ル、ルーファス様……」
彼がこんな風に彼女の事に言及するのは珍しく、シグリッドは少し戸惑ってしまう。ルーファスは再び苦笑した。
「まあそれは今すぐどうこうという話じゃない。とにかく君は彼女達と友人だと思っていて、彼女達もまた君の事を友人だと思っている。なら君達は正真正銘の友人同士という訳だ。だったら何を遠慮する必要がある? 君は君のままで、ただ友人達と楽しく過ごせばそれでいいんだ。何も考えずに楽しんできたらいい」
「……! はい……そうですね。ありがとうございます、ルーファス様」
ルーファスの言葉をゆっくりと噛み締めつつ頷くシグリッド。そして彼女は彼に勇気づけられてパーティーへ赴く事になり、そこで
それは彼女の人生において、
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シグリッドはオーガの手を振り払った。
『お……?』
「……あなたはルーファス様ではありません」
その声には先程までは無かった力が戻って来ていた。そして自らの脚でしっかりと立ち上がるシグリッド。
『おいおい、メイドが主人に逆らうのか?』
「私の知っているルーファス様ならそのような物言いはされません。あなたは……ルーファス様の名を騙るただの魔物です!」
無論目の前の存在が
だが理屈ではなかった。目の前のオーガと、彼女の知っているルーファスは
そのオーガが口から蒸気のような呼気を吐き出した。
『そうか……。お前には失望したぞ、シグリッド。ならばここで下らん友情とやらに殉じて共に死ぬがいい』
オーガの身体から再び凄まじい闘気が噴出する。物理的な圧力さえ伴うそれを、シグリッドは自らも角の生えたトロールハーフの姿となって耐える。
そこにオーガが大上段から拳を打ち下ろしてきた。重機による叩き付けのようなそれを、シグリッドは冷静に軌道を見切って回避。そのまま流れるような動作で接近すると拳や肘、そして蹴りといった打撃を連続して撃ち当てる。
まるで恐ろしく硬いゴムの塊を殴ったような感触に彼女は顔を顰める。オーガは全く怯む事無く今度はフックのような横殴りの一撃を仕掛けてくる。
空間ごと粉砕するような薙ぎ払いを、やはりシグリッドは極力冷静に屈み込んで回避。そして今度は脛や、そして股間に対しても全力で蹴り込んだ。
『おいおい、そこを蹴るか!? お前をそんな性悪女に育てた覚えはないぞ?』
「……!」
だが股間を蹴り上げられたはずのオーガは、確かに
打撃では埒が明かない。掴み掛かりを飛び退って躱すと、彼女は逆に自分からオーガの丸太のような腕に飛びついた。
『む……?』
オーガが気付いた時には既に彼女はその腕に身体ごと絡み付くような形で、サブミッションを極めていた。相手のサイズが桁違いなので十字固めとは行かず、腕一本に取り付くのが精一杯だ。だが極めさえ出来れば構わない。
オーガの手首を両腕で抱え込むようにして、肘の関節を逆方向に全力で牽引する。見た所オーガの関節構造自体は人間のそれと変わらないようなので、これで腕をへし折れるはずだ。だが……
「……っ!?」
『なんだ、それで全力か? ちょっと鍛え方が足りなかったんじゃないか?』
何とオーガは片腕の屈曲だけの力で、トロールの姿となっているシグリッドが両腕と体幹の力まで総動員して全力で牽引している腕ひしぎに拮抗していた。シグリッドの目が驚愕に見開かれる。
『そら、歯を食いしばっといた方がいいぞ?』
「……! く……」
それだけでも脅威的だが、更にオーガはシグリッドが取り付いたままの腕を高く振り上げた。何をするつもりかは明白だ。彼女は慌ててサブミッションを解いて離脱しようとするが、その前にオーガの腕が轟音と共に振り抜かれた!
オーガの腕ごと地面に叩きつけられたシグリッドは、余りの衝撃に一瞬意識が飛ぶ。叩きつけられた地面がまるで小規模なクレーターのように陥没する。
当然腕を離したシグリッドは、そのクレーターの『爆心地』で血反吐を吐き出しながら倒れる。ダメージと衝撃は大きく、すぐには起き上がるどころか動く事さえできない。