File6:疑惑と確信
文字数 5,717文字
FBI捜査官のクレア・アッカーマンは現在、カリフォルニア州外にある連邦政府が運営する刑務所の一つに足を運んでいた。そして連邦捜査局員権限で、とある囚人 との面会を申請していた。
因みにこの場に相棒 であり恋人 でもあるニックの姿はない。実は彼には内緒でこの場所を訪れたのである。その理由はこれから面会する予定の囚人にも関係していた。
クレアの胸が緊張による動悸で高鳴る。彼女は自らの予感と推測が外れてくれる事を心の底から願っていた。
ここ最近になってLAの街を騒がせている連続強姦殺人事件……。目撃者の証言によってその犯人と思しき人物の人相が公開されると共に、クレアは大きな胸騒ぎを覚えたのである。
そして一旦そういう視点 でこれまでの出来事を振り返ってみると、他にも腑に落ちない点が多々ある事に気付いた。
だからこそ彼女はニックに秘密で、裏を取る 為にこの場所を訪れたのだ。出来れば外れていて欲しいという祈りにも似た思いと共に。
「アッカーマン捜査官、お待たせしました。第三面会室です。面会時間は三十分きっかりなのでご注意ください」
「ええ、ありがとう」
控室で待っていたクレアの元に、連邦刑務所の職員が準備が出来た事を知らせに来た。クレアは礼を言って立ち上がる。
職員の案内で面会室に入ると、既に件の囚人が座って待っていた。部屋の中央に備え付けられた大きな机に手錠を繋げる為の窪みが付いており、その中にある棒に手錠で連結された姿だ。その囚人はアラブ系 の容姿の男であった。
クレアが職員に目配せすると、職員は頷いて部屋から退室してドアを閉めた。これで部屋にはクレアと囚人の2人きりとなる。
「……お久しぶり、というべきかしら、ムスタファ・ケマル ?」
対面の椅子に座ったクレアがそう口火を切る。囚人の名はムスタファ・ケマル。かつてトルコ政府の役人だった男だ。だが賄賂を受け取って、書類を勝手に改竄して自国の文化財をアメリカに持ち込んだ罪と、かつてのLA市長ジョフレイに協力してその犯行を助長していた罪でFBIに逮捕され連邦刑務所に収監されている。
そして……彼の取り調べは主にニックが担当したのであった。
「…………」
ムスタファはクレアの挨拶に何も言葉を返さず、ただ茫洋とした目付き で彼女の顔を見ていた。
「……!」
そしてクレアはその視線を受ける事で、急速に悪い予感が膨れ上がっていくのを感じた。彼女はこれと全く同じ視線の持ち主を……正確には持ち主達 を知っていた。
「……話すまでもない。あなたを見た瞬間に確信したわ。あなた、ムスタファじゃない わね?」
「……!」
全く無表情だった『ムスタファ』がその言葉にピクッと反応した。クレアはそこに追い打ちをかける。
「以前の『バイツァ・ダスト』事件の時に、あなたの同類 を何人も見たから解るの。信じがたいけど……あなた〈信徒〉ね?」
「……っ!」
『ムスタファ』の反応が先程よりも大きくなる。それは肯定と同義であった。それを悟ったクレアは悲しみ から深い溜息を吐いてかぶりを振った。
ニックが回収したはずの〈従者〉の【コア】が突如支局から紛失した件、そしてムスタファの取り調べを担当したニック、LAで強姦殺人を繰り返すアラブ系の男、そして恐らくは整形によって本物 とすり替わった〈信徒〉。
更に友人のナターシャによると、メネスだけでなく〈従者〉にも独自に〈信徒〉を作り出す能力があるとの事……。
断片的だった事象が今、一つの線で繋がった。……繋がってしまった。
クレアは胸に強い痛みを覚えながらも、自らのやるべき事を理解していた。急がねばならない。もうここに用はない。すぐにLAに戻る必要がある。
クレアは監視カメラに向かって面会終了の合図を出そうとした。だがその時……
「……主より、真相 に気付いた者は殺せとのご命令だ」
「……!?」
『ムスタファ』が初めて声を発したかと思うと、その両手に青白い光が発生し拘束していた手錠が千切れて弾け飛んだ!
『ムスタファ』――〈信徒〉は両足を拘束する足錠にも手を触れると、足錠の鎖も容易く千切れ飛んだ。
クレアは慌てて後ずさってドアに駆け寄ろうとするが、〈信徒〉が天井スレスレまで跳躍したかと思うとクレアとドアの間に割り込んだ。思わず足が止まるクレア。〈信徒〉はその隙にドアノブに向かって手を翳した。すると頑丈なはずのドアがひしゃげて、ノブの辺りが歪んで開閉できなくなる。恐らく監視カメラを見ていたであろう職員達が部屋に踏み込もうとして、ドアが開かずに焦っている声が聞こえる。
「……!!」
これでクレアは、殺意を持った〈信徒〉と逃げ場のない密室で2人きりとなってしまった。
「く……!」
歯噛みして銃を抜くが、支給のグロックでは〈信徒〉に通じない事は立証済みだ。かといってリンファのように素手で〈信徒〉を倒すなどという離れ業も不可能だ。となれば……
(職員達があのドアを破るまで持ち堪えるしかないわね……!)
それが出来ればクレアの勝ちだ。〈信徒〉も単独では大勢の武器を持った人間に対抗できないのは、あの『テロ事件』で証明されている。
「死ねっ!」
〈信徒〉が飛び掛かってくる。その手の先には青白い光が明滅している。クレアは横っ飛びにそれを躱すが、〈信徒〉は即追撃してくる。
「くそ……!」
クレアは毒づきながら連続で銃の引き金を絞る。だがやはりというか、全て青白い防護膜によって虚しく弾かれてしまう。しかし多少は怯ませる効果があり、それによって体勢を立て直す時間を稼ぐ。
そのまま何度か同様の攻防が繰り返された。クレアは角に追い詰められないように位置取りを意識しながら、牽制の銃撃を加えつつ〈信徒〉の攻撃から逃げ回る。
このまま乗り切れるかと思われた時、遂に銃の弾薬が尽きてしまった。引き金を引いてもカチッカチッという乾いた音が虚しく響くのみ。まさかこんな場所で戦闘になる事を想定していなかったので予備のマガジンも持っていない。どの道狭い室内で〈信徒〉から逃げ回りながらでは、予備の弾薬があったとしても交換している余裕はなかっただろうが。
(ま、まずい……!)
クレアの顔から血の気が引く。通じないとはいえ牽制の役目は果たしていた銃が使えなくなっては、これ以上〈信徒〉の攻撃を凌ぐのは困難だ。対照的に〈信徒〉が口の端を吊り上げて迫ってくる。
「くっ……」
クレアは苦し紛れに銃を投げつけるが、勿論容易く弾かれて床に落ちる。必死に逃げ惑うが牽制すら出来ないので、すぐに角に追い詰められてしまった。
「終わりだ、咎人めっ!」
「……っ!!」
クレアは絶望から思わず身体を硬直させるが、その時ようやく入り口のドアが外からぶち破られた。ライフルで武装した看守達が雪崩れ込んでくる。
「……!」
クレアは咄嗟の判断で床に身を投げ出した。そして頭を庇うように蹲る。
「撃て、撃てぇっ!!」
「おのれ、邪魔するなっ!」
ライフルによる連続した銃撃音が室内に轟く。〈信徒〉が怒りの叫びを上げて看守達に飛び掛かる。
怒号、悲鳴、そして更なる銃撃音。
「…………」
クレアがひたすら蹲っていた床から頭を上げた時には、全てが終わっていた。文字通り蜂の巣にされた〈信徒〉が部屋の壁際まで吹っ飛んで息絶えていた。
〈信徒〉の防護膜はデザートイーグルのような一定以上の火力による攻撃だけでなく、フルオートのライフルのような短時間で間断ない衝撃が加えられ続けた場合も、耐久値 の限界を超えて破れる事が以前の事件で判明していた。
だが〈信徒〉の攻撃で、看守も1人が首の骨を折られて犠牲になってしまったようだ。
(これ以上……『彼』による犠牲者を出させる訳には行かない。すぐにでもLAに戻って『彼』を止めないと……)
職員達が大騒ぎしている姿を眺めながら、クレアは自らが愛した人 と対決する決意を固めていた……
*****
荒野を貫く長大な一本道。クレアは連邦刑務所を出るとその足でLAへと急行した。ニックの目的は解らないが〈信徒〉に殺人を命じていた事からも、既にその心は怪物と化してしまっている可能性が高い。
「…………」
彼女は車を運転しながら、過去のニックの言動を思い返していた。彼は彼女を愛していると何度も囁いてくれた。『シューティングスター』の事件では彼に直接命を助けられた。あれが全て演技だったとは思えない。彼には人間としての心も残っているはずだ。
ニックと対決する決意を固めながらも、反面何とか最悪の事態を回避する方法はないかと思案していると携帯が鳴った。
「……!」
見るとLAPDの警部補であるジョン・ストックトンからだった。かつて『エーリアル』に殺されながらも、ミラーカの力で吸血鬼として甦ったという異色の人物。現在はローラの上司でもある。
こんな時に何の用事だろうかと、とりあえず電話に出る。
「もしもし、ジョン?」
『おお、クレアか、久しぶりだな。悪いな、急に電話して』
聞き覚えのある男の声。ジョン本人で間違いないようだ。
「いえ、別にいいけど……一体どうしたの、急に?」
『いや、実はな……。言うべきかどうか迷っていたんだが、お前さんの相棒……ニックの事なんだが』
「……っ!?」
タイムリーといえば余りにタイムリーな話題にクレアは目を見開いた。
「ニック? 彼がどうしたの?」
『驚かないで聞いてくれ……。俺が吸血鬼なのはお前さんも知ってると思うが、実はその人外の感覚って言うのか、とにかくそういう物の影響で……ニックが人間じゃない って事に気付いちまったんだ』
「っ!!」
クレアの身体が大きく震えた。彼女は運転したままで話せる内容ではないと判断して、道路からはみ出て停車した。
「人間じゃない……それは確かなのね?」
『ああ……。その口ぶりからするとお前さんも薄々感づいてたようだな。俺も気になってその後色々と調べたんだ。恐らくあいつの正体は……』
「……〈従者〉ね。FBIに回収された【コア】は紛失したんじゃない。彼がその身に取り込んだんだわ」
それがクレアの得た結論であった。そう考えると全ての辻褄が合う。
『そこまで掴んでいたか。それで、それを知ってお前さんはどうするつもりなんだ?』
「まだ解らない。何とか彼を止めたいけど、彼が人外の怪物になってるなら私一人の手には負えないと思うし。とりあえずローラやミラーカ達に相談して一緒に対処してもらおうかと考えてるわ」
彼女達は言ってみれば怪物退治の専門家のようなものだ。過去に〈従者〉は勿論、その主人たるメネスとも戦っているのだ。この問題に関して、これ以上頼りになる存在もいないだろう。
『……! あー……やっぱりそうなるよな。ならこのタイミングでお前さんに電話して正解だったな』
「え?」
『……ニックの目的が何かは解らんが、邪な物である可能性は高い。そうなればカーミラ様はニックの存在を絶対に許容しない。あの方は人間の味方で、人に害を為す魔物に対しては極めて非情だからな』
「……っ!」
クレアは言われて初めてその可能性に思い至った。ニックには人の心も残っているかも知れないが、それでも〈信徒〉を作り出し実際に人に害を為してもいる。あのミラーカがそんな彼と邂逅したら……?
『対話の余地はない。ニックはカーミラ様に殺されるだろうな。お前さんはそれでいいのか?』
「……っ。でも……それなら、どうしたら?」
クレアの中にはまだニックへの愛があった。それを揺さぶられた事で冷静さを失い、正常な判断力が鈍ってしまう。彼女は知らない内にジョンに思考誘導されている事に気付いていなかった。
そもそも何故、特に自分達と親交が深い訳でもないはずのジョンがこんな電話を掛けてきているのか、という根本的な疑問も見過ごしていた。
『まずはあいつと話し合え。俺が見た限り、あいつのアンタへの感情は本物だ。アンタが本気になって説得すれば最悪の展開は回避できるかも知れん。もしもの場合に備えて俺が同行してアンタを護衛しよう。それで成功すれば良し、もし失敗したらその時は逃げてカーミラ様に対処を任せる。そういう形でどうだ?』
「…………」
(た、確かに、それなら……?)
少なくともミラーカが問答無用で彼を断罪してしまう前に、一度は対話して説得するチャンスがあるという事だ。1人で今の彼と対峙するのは不安だったが、ジョンが同行してくれるなら安心だ。
彼女の中では、ジョンはミラーカの忠実な下僕であるという意識があった。そして……決定的な言葉を口にしてしまう。
「解ったわ。ありがとう、ジョン。それで、私はどうすればいいの?」
『……いい判断だ。じゃあ夜の12時にリンカーン・パークで落ち合おう。そしたらニックの家まで行こう。深夜で済まないが、俺達は夜の方が力を発揮しやすいからな』
もしニックが暴走 した時に備えての護衛なのだから、夜の方が都合が良いのは確かだ。
「確かにそうね。解ったわ。じゃあ0時にリンカーン・パークで」
クレアはそう言って電話を切った。とりあえずの指針が出来た事で彼女の中にも余裕が生まれた。同時に必ずニックを説得して見せると意気込んでいた。
彼女は自分が悪意の檻の中に自ら飛び込もうとしている事に気付いていなかった。
因みにこの場に
クレアの胸が緊張による動悸で高鳴る。彼女は自らの予感と推測が外れてくれる事を心の底から願っていた。
ここ最近になってLAの街を騒がせている連続強姦殺人事件……。目撃者の証言によってその犯人と思しき人物の人相が公開されると共に、クレアは大きな胸騒ぎを覚えたのである。
そして一旦
だからこそ彼女はニックに秘密で、
「アッカーマン捜査官、お待たせしました。第三面会室です。面会時間は三十分きっかりなのでご注意ください」
「ええ、ありがとう」
控室で待っていたクレアの元に、連邦刑務所の職員が準備が出来た事を知らせに来た。クレアは礼を言って立ち上がる。
職員の案内で面会室に入ると、既に件の囚人が座って待っていた。部屋の中央に備え付けられた大きな机に手錠を繋げる為の窪みが付いており、その中にある棒に手錠で連結された姿だ。その囚人は
クレアが職員に目配せすると、職員は頷いて部屋から退室してドアを閉めた。これで部屋にはクレアと囚人の2人きりとなる。
「……お久しぶり、というべきかしら、
対面の椅子に座ったクレアがそう口火を切る。囚人の名はムスタファ・ケマル。かつてトルコ政府の役人だった男だ。だが賄賂を受け取って、書類を勝手に改竄して自国の文化財をアメリカに持ち込んだ罪と、かつてのLA市長ジョフレイに協力してその犯行を助長していた罪でFBIに逮捕され連邦刑務所に収監されている。
そして……彼の取り調べは主にニックが担当したのであった。
「…………」
ムスタファはクレアの挨拶に何も言葉を返さず、ただ
「……!」
そしてクレアはその視線を受ける事で、急速に悪い予感が膨れ上がっていくのを感じた。彼女はこれと全く同じ視線の持ち主を……正確には
「……話すまでもない。あなたを見た瞬間に確信したわ。あなた、ムスタファ
「……!」
全く無表情だった『ムスタファ』がその言葉にピクッと反応した。クレアはそこに追い打ちをかける。
「以前の『バイツァ・ダスト』事件の時に、あなたの
「……っ!」
『ムスタファ』の反応が先程よりも大きくなる。それは肯定と同義であった。それを悟ったクレアは
ニックが回収したはずの〈従者〉の【コア】が突如支局から紛失した件、そしてムスタファの取り調べを担当したニック、LAで強姦殺人を繰り返すアラブ系の男、そして恐らくは整形によって
更に友人のナターシャによると、メネスだけでなく〈従者〉にも独自に〈信徒〉を作り出す能力があるとの事……。
断片的だった事象が今、一つの線で繋がった。……繋がってしまった。
クレアは胸に強い痛みを覚えながらも、自らのやるべき事を理解していた。急がねばならない。もうここに用はない。すぐにLAに戻る必要がある。
クレアは監視カメラに向かって面会終了の合図を出そうとした。だがその時……
「……主より、
「……!?」
『ムスタファ』が初めて声を発したかと思うと、その両手に青白い光が発生し拘束していた手錠が千切れて弾け飛んだ!
『ムスタファ』――〈信徒〉は両足を拘束する足錠にも手を触れると、足錠の鎖も容易く千切れ飛んだ。
クレアは慌てて後ずさってドアに駆け寄ろうとするが、〈信徒〉が天井スレスレまで跳躍したかと思うとクレアとドアの間に割り込んだ。思わず足が止まるクレア。〈信徒〉はその隙にドアノブに向かって手を翳した。すると頑丈なはずのドアがひしゃげて、ノブの辺りが歪んで開閉できなくなる。恐らく監視カメラを見ていたであろう職員達が部屋に踏み込もうとして、ドアが開かずに焦っている声が聞こえる。
「……!!」
これでクレアは、殺意を持った〈信徒〉と逃げ場のない密室で2人きりとなってしまった。
「く……!」
歯噛みして銃を抜くが、支給のグロックでは〈信徒〉に通じない事は立証済みだ。かといってリンファのように素手で〈信徒〉を倒すなどという離れ業も不可能だ。となれば……
(職員達があのドアを破るまで持ち堪えるしかないわね……!)
それが出来ればクレアの勝ちだ。〈信徒〉も単独では大勢の武器を持った人間に対抗できないのは、あの『テロ事件』で証明されている。
「死ねっ!」
〈信徒〉が飛び掛かってくる。その手の先には青白い光が明滅している。クレアは横っ飛びにそれを躱すが、〈信徒〉は即追撃してくる。
「くそ……!」
クレアは毒づきながら連続で銃の引き金を絞る。だがやはりというか、全て青白い防護膜によって虚しく弾かれてしまう。しかし多少は怯ませる効果があり、それによって体勢を立て直す時間を稼ぐ。
そのまま何度か同様の攻防が繰り返された。クレアは角に追い詰められないように位置取りを意識しながら、牽制の銃撃を加えつつ〈信徒〉の攻撃から逃げ回る。
このまま乗り切れるかと思われた時、遂に銃の弾薬が尽きてしまった。引き金を引いてもカチッカチッという乾いた音が虚しく響くのみ。まさかこんな場所で戦闘になる事を想定していなかったので予備のマガジンも持っていない。どの道狭い室内で〈信徒〉から逃げ回りながらでは、予備の弾薬があったとしても交換している余裕はなかっただろうが。
(ま、まずい……!)
クレアの顔から血の気が引く。通じないとはいえ牽制の役目は果たしていた銃が使えなくなっては、これ以上〈信徒〉の攻撃を凌ぐのは困難だ。対照的に〈信徒〉が口の端を吊り上げて迫ってくる。
「くっ……」
クレアは苦し紛れに銃を投げつけるが、勿論容易く弾かれて床に落ちる。必死に逃げ惑うが牽制すら出来ないので、すぐに角に追い詰められてしまった。
「終わりだ、咎人めっ!」
「……っ!!」
クレアは絶望から思わず身体を硬直させるが、その時ようやく入り口のドアが外からぶち破られた。ライフルで武装した看守達が雪崩れ込んでくる。
「……!」
クレアは咄嗟の判断で床に身を投げ出した。そして頭を庇うように蹲る。
「撃て、撃てぇっ!!」
「おのれ、邪魔するなっ!」
ライフルによる連続した銃撃音が室内に轟く。〈信徒〉が怒りの叫びを上げて看守達に飛び掛かる。
怒号、悲鳴、そして更なる銃撃音。
「…………」
クレアがひたすら蹲っていた床から頭を上げた時には、全てが終わっていた。文字通り蜂の巣にされた〈信徒〉が部屋の壁際まで吹っ飛んで息絶えていた。
〈信徒〉の防護膜はデザートイーグルのような一定以上の火力による攻撃だけでなく、フルオートのライフルのような短時間で間断ない衝撃が加えられ続けた場合も、
だが〈信徒〉の攻撃で、看守も1人が首の骨を折られて犠牲になってしまったようだ。
(これ以上……『彼』による犠牲者を出させる訳には行かない。すぐにでもLAに戻って『彼』を止めないと……)
職員達が大騒ぎしている姿を眺めながら、クレアは自らが
*****
荒野を貫く長大な一本道。クレアは連邦刑務所を出るとその足でLAへと急行した。ニックの目的は解らないが〈信徒〉に殺人を命じていた事からも、既にその心は怪物と化してしまっている可能性が高い。
「…………」
彼女は車を運転しながら、過去のニックの言動を思い返していた。彼は彼女を愛していると何度も囁いてくれた。『シューティングスター』の事件では彼に直接命を助けられた。あれが全て演技だったとは思えない。彼には人間としての心も残っているはずだ。
ニックと対決する決意を固めながらも、反面何とか最悪の事態を回避する方法はないかと思案していると携帯が鳴った。
「……!」
見るとLAPDの警部補であるジョン・ストックトンからだった。かつて『エーリアル』に殺されながらも、ミラーカの力で吸血鬼として甦ったという異色の人物。現在はローラの上司でもある。
こんな時に何の用事だろうかと、とりあえず電話に出る。
「もしもし、ジョン?」
『おお、クレアか、久しぶりだな。悪いな、急に電話して』
聞き覚えのある男の声。ジョン本人で間違いないようだ。
「いえ、別にいいけど……一体どうしたの、急に?」
『いや、実はな……。言うべきかどうか迷っていたんだが、お前さんの相棒……ニックの事なんだが』
「……っ!?」
タイムリーといえば余りにタイムリーな話題にクレアは目を見開いた。
「ニック? 彼がどうしたの?」
『驚かないで聞いてくれ……。俺が吸血鬼なのはお前さんも知ってると思うが、実はその人外の感覚って言うのか、とにかくそういう物の影響で……ニックが
「っ!!」
クレアの身体が大きく震えた。彼女は運転したままで話せる内容ではないと判断して、道路からはみ出て停車した。
「人間じゃない……それは確かなのね?」
『ああ……。その口ぶりからするとお前さんも薄々感づいてたようだな。俺も気になってその後色々と調べたんだ。恐らくあいつの正体は……』
「……〈従者〉ね。FBIに回収された【コア】は紛失したんじゃない。彼がその身に取り込んだんだわ」
それがクレアの得た結論であった。そう考えると全ての辻褄が合う。
『そこまで掴んでいたか。それで、それを知ってお前さんはどうするつもりなんだ?』
「まだ解らない。何とか彼を止めたいけど、彼が人外の怪物になってるなら私一人の手には負えないと思うし。とりあえずローラやミラーカ達に相談して一緒に対処してもらおうかと考えてるわ」
彼女達は言ってみれば怪物退治の専門家のようなものだ。過去に〈従者〉は勿論、その主人たるメネスとも戦っているのだ。この問題に関して、これ以上頼りになる存在もいないだろう。
『……! あー……やっぱりそうなるよな。ならこのタイミングでお前さんに電話して正解だったな』
「え?」
『……ニックの目的が何かは解らんが、邪な物である可能性は高い。そうなればカーミラ様はニックの存在を絶対に許容しない。あの方は人間の味方で、人に害を為す魔物に対しては極めて非情だからな』
「……っ!」
クレアは言われて初めてその可能性に思い至った。ニックには人の心も残っているかも知れないが、それでも〈信徒〉を作り出し実際に人に害を為してもいる。あのミラーカがそんな彼と邂逅したら……?
『対話の余地はない。ニックはカーミラ様に殺されるだろうな。お前さんはそれでいいのか?』
「……っ。でも……それなら、どうしたら?」
クレアの中にはまだニックへの愛があった。それを揺さぶられた事で冷静さを失い、正常な判断力が鈍ってしまう。彼女は知らない内にジョンに思考誘導されている事に気付いていなかった。
そもそも何故、特に自分達と親交が深い訳でもないはずのジョンがこんな電話を掛けてきているのか、という根本的な疑問も見過ごしていた。
『まずはあいつと話し合え。俺が見た限り、あいつのアンタへの感情は本物だ。アンタが本気になって説得すれば最悪の展開は回避できるかも知れん。もしもの場合に備えて俺が同行してアンタを護衛しよう。それで成功すれば良し、もし失敗したらその時は逃げてカーミラ様に対処を任せる。そういう形でどうだ?』
「…………」
(た、確かに、それなら……?)
少なくともミラーカが問答無用で彼を断罪してしまう前に、一度は対話して説得するチャンスがあるという事だ。1人で今の彼と対峙するのは不安だったが、ジョンが同行してくれるなら安心だ。
彼女の中では、ジョンはミラーカの忠実な下僕であるという意識があった。そして……決定的な言葉を口にしてしまう。
「解ったわ。ありがとう、ジョン。それで、私はどうすればいいの?」
『……いい判断だ。じゃあ夜の12時にリンカーン・パークで落ち合おう。そしたらニックの家まで行こう。深夜で済まないが、俺達は夜の方が力を発揮しやすいからな』
もしニックが
「確かにそうね。解ったわ。じゃあ0時にリンカーン・パークで」
クレアはそう言って電話を切った。とりあえずの指針が出来た事で彼女の中にも余裕が生まれた。同時に必ずニックを説得して見せると意気込んでいた。
彼女は自分が悪意の檻の中に自ら飛び込もうとしている事に気付いていなかった。