File1:来訪者

文字数 3,016文字

 ロサンゼルス国際空港。アメリカの西の玄関口として、世界各国から毎日驚くほど多くの便が離着陸している。空港のラウンジや免税店は実に様々な人種、国籍の人間でごった返し、便が発着するごとにゲートは人で溢れかえる。

 まるで様々な人種の見本市であるかのような空港のゲートに、今もまた新たに到着した便から降りた人々が溢れる。その中に一際目を惹く1人の人物がいた。

 黒を基調としたシックな装いに、頭から首元までをスカーフで緩く覆っている。しかしそのスカーフから覗く顔は、人目を惹かずにはいられない程の美貌であった。170センチほどの均整の取れた長身はモデルかと見紛うばかりで、その美貌と相まって周囲の目線を集めているのだ。

 女性の装いは典型的なイスラム圏の女性のそれであった。スカーフから覗く美貌も堀の深い中近東系の顔立ちであり、女性が東アジアに広がるイスラム諸国のいずれかからの来訪者である事を物語っていた。

 もっともイスラム教の戒律が強い国では、女性が1人で旅行する事を禁止している国が多いので、この女性はおそらく同じイスラム圏でも比較的女性の権利が保障されている国の出身ではないかと推測される。前髪が出ている緩いスカーフからもそれが見て取れる。


 もしくは……一般の女性には当てはまらない何らかの特殊な立場(・・・・・)にある者か。


 いずれにせよ明らかにイスラム圏出身のその女性が、誰に憚る事もなく堂々と外国の空港に降り立ち、保護者(・・・)の男性の姿もなく単身で歩いているのは紛れもない事実であった。

 女性はそのまま空港のゲートを抜け、ターミナルビルから屋外へと出た。

「……!」
 そして一瞬照り付ける強い日差しに目を細めたが、すぐに慣れた。強い日差しと乾燥した気候。この街は女性の故郷の国と緯度が殆ど同じであり、気候的にはそう変わりがなかった。


「……ここがロサンゼルス。やはり……邪悪な気が渦巻いている。これを放置すれば多くの人間が巻き込まれる事になる。必ず見つけ出して、浄化(・・)してみせる……」


 周囲には多くの人がごった返していたが、ペルシア語の呟きを聞き咎める者は誰もいない。女性は拳を握り締め決意を固めた表情で、LAの良く晴れた空を仰ぐのであった。



****



「だから何度も言ってるでしょう! あの野球カードが夫なのよ! お願い、信じて頂戴!」

 ロサンゼルス市警の取調室。悲痛な女性の叫び声が狭い室内に響く。

 セルマ・パターソン。夫である市議会議員ドナルド・パターソン殺害(・・)の容疑で逮捕され、現在取り調べを受けている真っ最中だ。

「ミセス・パターソン。仰りたい事は解りましたが、残念ながらあなたの言葉を証明できる物が何もないんです」

 セルマの事情聴取を担当しているのは、ローラとその相棒のリンファであった。ヒステリックなセルマの様子から同性の方が聴取がしやすいだろうというのが、警部補であるジョンの判断であった。

 しかし結果は同じであった。セルマは荒唐無稽な証言を繰り返すばかりだ。

 即ち仕事から帰ってきた夫の様子がおかしく、夕食のときになって青白い顔でセルマに「重大な話がある」と打ち明けてきた。そして何かを話そうとした瞬間に苦しみ出し、奇声を発しながら身体が縮んでいき最終的にあのベースボールカードに変わったという物だ。

「鑑識は勿論、科捜課もあらゆる技術を用いてあのカードを精査しましたが、材質的にはただのカードの台紙であるという結果が得られただけでした」

 当然だがあのカードが元は人間だったなどという話を信じる者はいない。それよりは……

「となるとやはり、あのカードはどこかで撮影されて作られた物であり、荒唐無稽な話で我々を煙に巻こうとしているあなたは、何らかの形でドナルド氏の失踪に絡んでいる、という結論にしかならないのです」

 それが現在の所の警察の見解であった。この方がセルマの話よりは余程現実味がある。セルマは頭を掻き毟った。

「違うのよぉ! 違うって言ってるでしょう!? 私は被害者なのよ! こんな仕打ちあり得ないわ!」

 ヒステリックに叫ぶセルマ。ローラはこれ以上は話が出来ないと判断して、リンファに目配せしてから立ち上がる。

「解りました、ミセス・パターソン。先程申し上げた理由によってあなたを釈放する事は出来ませんが、我々も可能な範囲で再捜査してみます。あなたもしばらくジェイルで頭を冷やして冷静になって下さい。いいですね?」

「…………」

 セルマは何も言わずに、ただローラを恨めし気に見上げるのみだった。





「ど、どう思いますか、先輩? 私には彼女が嘘を言っているようには見えないんですけど……」

 自分達のデスクに戻った2人は、先程の事情聴取について話し合っていた。リンファがそんな風に切り出してきた。

「そう、ね……」

 甘ったるいコーヒーを飲みながらローラは首肯した。ローラとて刑事になってそれなりに(・・・・・)長い。余程の悪魔のような知能犯でない限りは、その人間が嘘を言っているかどうか、何かを隠しているのかどうかぐらいは話をしていれば何となく勘づくものだ。

 そしてローラの見た限り、セルマは嘘を言っていない。しかしそうなると根本的な疑問が立ち塞がる。

(でも……嘘を言っていないなら、何だって言うの? 本当にドナルドが野球カードに変わったと? そんな馬鹿な……)

 結局そこに戻ってしまう。ローラはこれまでの体験から人外の怪物が実在する事を知っているし、彼等が人間とは比較にならない恐ろしい力を振るう事も熟知している。

 しかしそんな彼女をして、人間が野球カードに変わったなどという話をそのまま信じる事は出来なかった。これまで相対してきた怪物達は、皆程度の差こそあれ、どれも暴力の延長上のような力であった。彼女の恋人たるミラーカでもそれは同じだ。

 人間には決して対抗できない強さという面では、それだけで充分驚異的な存在だ。だからそんな人間を全く別のモノに変えてしまうなどという魔法(・・)のような力に関しては、ローラの『常識』を以ってしても想像の埒外であった。

「本当に再捜査するんですか?」

「ああでも言わないとあの場は収まらなかったでしょ? それにこのまま彼女と話しても恐らく有益な話は聞けないと思うわ。彼女の話を信じるかどうかは別として、何か見落としが無いか再捜査する事自体は悪い事じゃないわ。娘のキンバリーにも話を聞かないといけないしね」

 リンファの問いに肩を竦めて答える。そう。ドナルドが行方不明となっているのは紛れもない事実なのだ。セルマの話だけでは埒が明かないなら、他の関係者の洗い出しや聞き込みを行うまでだ。

 ローラは飲み終わったカップをゴミ箱に捨てると、椅子から立ち上がった。

「さあ、それじゃ早速キンバリーに話を聞きに行きましょうか。彼女、確か仕事は……」

「は、はい。高校の教師です。と言っても、まだ2年目の新人みたいですが」 

「そうだったわね。場所は解る? 運転を頼むわ」

「は、はい! お任せ下さい!」

 そしてローラはリンファと連れ立って、キンバリーに話を聞く為に足早に署を後にするのだった。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み