File6:ロングビーチ市警の暴走

文字数 3,943文字

 それから数日後には正式に『ディープ・ワン』事件への捜査が通達された。ローラは早速ジョンと連れ立って、かつてダリオが搬送された医療センターへと足を運んでいた。

 ダリオの主治医はクラウス・ローゼンフェルトという40絡みのドイツ系の医師であった。やや神経質そうな印象だ。

「ロドリゲス氏が『脱走』する前に何か変わった様子は無かったか、ですか……」

「ええ、どんな些細な点でも構いません。主治医の立場から何か特別目を引くような事はありませんでしたか?」

 アポイントを取ったローラ達は、病院の応接室でクラウスから話を聞いていた。クラウスが難しい顔をして考え込む。

「……あの『脱走』に関しては、我々もホトホト困り果てているんですよ。むしろ私が知りたいくらいですね」

 だが彼は頭を振って何も解らないと言った。ローラは少し切り込んでみる事にした。ジョンに目配せすると彼も察したようで、クラウスのどんな表情の変化も見逃すまいと集中する。

「実は……我々は脱走したロドリゲスが『ディープ・ワン』と深い関わりがあると睨んでいます」

 ピクッとクラウスの眉が動いた。

「ほぅ……それはまた突飛な。聞く所によると『ディープ・ワン』は人間離れした容貌で海に潜んでいるとか……。そんな怪物がロドリゲス氏と関わりがあるなどとは、警察と言うのは随分飛躍した考えを……」

「正直に言います。私は……ロドリゲスがこの病院で『何か』をされた可能性が高いと睨んでいます」

「……!」

 クラウスが目を見開いた。

「な、何か……ですか? ウチの病院にあらぬ疑いを掛けようとでも言うのですか!?」

「他に考えられないんですよ。それに病院の関係者とは限りません。誰か外部の者が侵入して何かをしたのかも知れませんし、心当たりなどはございませんか?」

 クラウスはネクタイを緩めてハンカチで汗を拭き始めた。

「いえ……いえ、そのような人物はいなかったと思います。誰か見ていれば主治医の私に報告があったでしょうし……」

「そうですか……。解りました。では何か思い出しましたら、いつでも私か彼の携帯に連絡して下さい」

 そう言ってローラは自分達の連絡先を渡すと応接室を後にした。





「どう思う?」

 病院のロビーでジョンに確認する。ジョンも頷いた。

「ああ、何か知ってそうな感じだな。ここで何かされたって話をした時、一瞬だが明らかに動揺した。あれはただ驚いたってだけじゃなさそうだな……」

「そうね……」

 『ディープ・ワン』を通常(・・)の犯罪者と想定していた場合でも、ダリオの脱走と結びつける所までは行くかも知れない。だがそこ止まりだ。病院側は何の責任もない被害者だ。だからこそそこまではクラウスも冷静だった。

 病院で『何か』をされたなどという発想は通常では出てこない。そう、人外の怪物の存在を正式に認めない限りは、だ。ローラ達は最初からその前提で動いている。それがクラウスの意表を突き、咄嗟の動揺を引き出したのだ。

(クラウスは何かを知っている……。彼が『黒幕』? いえ、そんな得体の知れない大物には見えなかった。でも『黒幕』と繋がる手がかりにはなるかも)


 そんな事を考えていた時だった。ローラの携帯が鳴った。見るとクレアであった。


「あら、クレアだわ。こんな時間に掛けてくるなんて何かあったのかしら?」

 今ローラが勤務中なのはクレアも知っているはずだ。何やら胸騒ぎがしたローラは急いで電話に出る。

「クレア? どうかしたの?」

『ああ、良かった。仕事中にごめんなさいね、ローラ。大変なのよ。ロングビーチ市警の連中が先走ったわ』

「え……?」

『どうやら合同捜査でロサンゼルス市警(あなた達)に手柄を横取りされると思ったようね。ただでさえFBI(私達)に介入されてピリピリしていた所に、今回の合同捜査だからね……。現場の捜査本部の不満を本部長が抑え切れなかったって所ね』

「ま、待って。先走ったって……具体的には何を?」

『……どうやら連中、大胆な囮捜査で強引に『ディープ・ワン』を逮捕する気みたい』

「お、囮捜査ですって!?」

 横で聞いていたジョンもギョッとした顔になる。
 
「危険すぎるわ! まだ『ディープ・ワン』がどれ程の怪物なのかもハッキリしていないのに……!」

『ええ……最悪『ルーガルー』の時の二の舞になるかもね』

「……ッ!」

 あのゴルフ場での悪夢の一夜は未だにローラ達の記憶にこびり付いている。訓練されたFBIの精鋭が10名以上も犠牲になり、大失敗に終わった捕獲作戦……。ミラーカが来てくれなければ、もっと被害は拡大していただろう。

 ロングビーチ市警が『ディープ・ワン』の危険性を正確に把握しているとは到底思えない。最悪またあの惨劇が繰り返される事になる。 
 
『私が何を言っても聞く耳持たないって感じよ。悪いけど一度こっちに来て貰ってもいいかしら?』

「わ、解った。すぐに向かうわ!」

 ローラが電話を切ると、ジョンが呆れ顔になっていた。横で聞いてるだけで大体の事情は察したらしい。

「全くお目出度い奴等だよなぁ。まあ、『アレ』は直接見た奴じゃなきゃその怖さも解りようがないし、仕方ないっちゃそうなんだが……」

 ローラも頷く。知らない事は幸せだ。だがその代償を命で払わされる可能性があるのだ。放っておく訳にも行かない。

「そうね。だからこそそれを知っている私達が警告しなければならないわ」

「奴等、素直にこっちの言う事を聞くと思うか? ただの手柄の奪い合いみたいに思われる可能性が高いぞ」

「それでも人が死ぬと解っていて、みすみす放っておく事なんて出来ないわ。すぐにロングビーチに向かうわよ」

 ローラの決意が固そうだと見て取ったジョンが肩を竦める。

「やれやれ、グールに噛まれて狼男に引っかかれて……今度は半魚人の毒針に刺された、なんて事にならなきゃいいが……」

 全く笑えない冗談を口にするジョンと連れ立って、ローラは急ぎロングビーチへと向かうのであった……



****



 ロングビーチ市警。ローラは責任者であるシュミット警部補に面会していた。

「ウチにはウチのやり方がある。そちらの指図は受けん」

 ローラはすぐに作戦の見直しを求めたが、案の定というかロングビーチ市警の対応は頑ななものだった。

「危険すぎます! せめてもう少し『ディープ・ワン』の情報を集めてから、改めて作戦を練り直しても遅くはないはずです!」

 ローラは懸命に訴えるが、シュミットは効く耳を持たない。

「そんな事をしている間にも、また新たな犠牲者が出るかも知れんだろう? 君達にとってはどうでもいい事かも知れんが、このクソッタレな殺人鬼のせいでウチが……ロングビーチ市が受けているダメージは計り知れないものがあるんだよ。早急な解決を市長や市民達から求められているんだよ、ウチは!」
 
「……!」

 それを言われると痛い。海水浴場を主要な観光収入としているロングビーチ市にとって、『ディープ・ワン』はまさに悪夢以外の何物でもないだろう。実際に利用客の数は激減状態だと言う。

 それも当然だろう。むしろ少数ながらまだ利用している人間がいるのが奇跡に近いくらいだ。市の財政に多大な影響を及ぼしている事は想像に難くない。市から早急な解決を求められているのは事実だろう。

 それに時間を掛ければ新たな犠牲が出るかも知れないというのもまた事実だ。だが焦って事を急げば、本来死ななくていい人間が死ぬ事になるかも知れないのだ。シュミットはそれらを表向きの理由にしているが、内心ではロサンゼルス市警に手柄を横取りされたくないという対抗心からこんな作戦を強行しているのは明白だ。


「大体危険だ危険だ言うが、所詮は単独の殺人鬼だろう? 別に武装集団と撃ち合う訳じゃない。勿論こちらも万全の態勢を整えるから、万に一つも犠牲が出る事などあり得ん。……大げさに吹聴して私達の足止めをしている間に自分達が事件を解決しようって腹だろうが、そうは行かん。『ディープ・ワン』はウチの獲物だ。話は以上だ。これから『作戦』の準備で忙しいので失礼する」


 シュミットは一方的に告げると、ローラの返答も待たずにさっさと部屋を出ていってしまった。それまで黙っていたジョンが肩を竦める。

「ほらな? 言うだけ無駄なんだよ。まあでも警告はしたんだ。後は連中の自己責任さ」

「…………」

 その脅威を認識していながら、それを正確に伝えられないもどかしさ。犠牲が出ると解っていながら、それを止められない無常感。

「で、どうする? 向こうはああ言ってるんだし、こっちはこっちで独自に動くか?」

「……いえ。私達も『作戦』に同行しましょう。何か出来る事があるかも知れないし」

「本気か? 多分何もさせて貰えないぞ?」

 確かにその通りだろう。しかし人が死ぬと解っていて、ただ座して待っている事は出来そうになかった。ローラの決意が固い事を見て取ったジョンが苦笑する。

「……ま、確かに『ディープ・ワン』がどんな奴なのか、どれくらいの力を持ってるのか、直接見ておくのは悪い事じゃないな」

「ジョン、ありがとう……」

 ローラ達はシュミットの元へ行き、絶対に邪魔をしない、首尾よく『ディープ・ワン』を仕留めたらその功績は全てロングビーチ市警の物だという事に同意した上で、作戦への同行を許可されたのであった。
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