File10:女吸血鬼の帰還

文字数 3,231文字

 カーミラ(・・・・)は約二ヶ月程の欧州の旅を終え、このロサンゼルスへと戻って来ていた。ヴラドの再封印は完全に成功した。今度こそ誰にも知られない場所へと厳重に保管してきた。仮にヴラドを信奉する者達がいたとしても、今度は見つける事は出来ないだろう。その確信があった。

 仕事(・・)を終えたカーミラは一度だけ自分の心の中を顧みた。ヴラドは封印した。シルヴィア達も滅びた。彼等を信奉していた者達も、リーダー格が死んだ事で散り散りとなり最早組織的な行動は不可能だろう。


 つまり……最早ロサンゼルスに隠れている理由はないのだ。どこへ行くのも自由だ。元々がワラキア生まれという事もあって、欧州の方が住んでいて肌に馴染むのは確かだ。特に生まれ故郷であり、『あの子』との思い出の地でもある東欧の空気は好きだった。

 反面ロサンゼルスは……アメリカ自体、どうも吸血鬼とは肌が合わない感触がある。風土が合わないとでも言うべきか。乾燥した空気と灼熱の日差しが照り付ける大地は、欧州とは正反対であり、どうにも陽の気というかそういう物が強かった。


 恐らくヴラド達もカーミラを殺すという目的を果たしたら、すぐにでも欧州へ戻るつもりだったのは想像に難くない。別に何か害がある訳でもないし、能力も制限を受けたりなどしない。特に生活していく上で何ら問題はないのであるが、ただ何となく肌に合わない。言葉では説明しづらい感覚であった。

 だが……結局カーミラはロサンゼルスへ戻る事を選択した。カーミラの脳裏には若々しく活力に漲る、美人だが気が強く何にでも首を突っ込むお人好しの女刑事……ローラの顔が浮かんでいた。彼女に必ず戻ってくると約束した。ならば自分がアメリカに戻る理由はそれだけで十分だ。


 迷いを振り切るように欧州を離れ、再びアメリカに戻りロサンゼルスの地を踏んだカーミラ。ヴラド達が……つまりは『サッカー』の事件も収束し、街は元通りになっているものと思っていたのだが、どうもそういう様子ではなかった。

 まるで『サッカー』と入れ替わるように、新たな殺人鬼が街を恐怖に陥れていた。被害者はどれもまるで獣に食い尽されたかのような無残な死に様だったらしく、付いた通り名が『ルーガルー』。フランス語で『人狼』を意味する言葉だったはずだ。

 まさか本当に人狼のはずもないだろうが、街で起きている凶悪殺人という事もあって、ローラも駆り出されているのだろうかと少し心配になった。だが人間の犯罪者であれば、刑事であるローラがそこまで危険に陥る事もないだろう。カーミラ自身、身分的にはただのエスコートなので、刑事事件には関わりようもない。


 事件が終息するまでは大人しくエスコート業務にでも励んでいようかと思った矢先、夜中になってから急激に膨れ上がる陰の気を感じ取った。具体的な詳細までは解らないが、カーミラの人外の怪物が持つ超感覚とでも言うのか、乱暴に言えば「第六感」とでも言うべきモノが、何か良くない気の流れのような物を感じ取ったのだ。

 どんなに凶悪であっても、ただの人間の犯罪者がこのような陰の気を放つ事などあり得ない。これは……自分達と同じ人外の気だ。そこまで確信したと同時に急に胸騒ぎがしてきた。

 ローラがきっと「コレ」に関わっている。そんな確信にも似た予感を覚えた。居ても立っても居られずカーミラは夜の街へと飛び出していた。自身の感覚を頼りにこの陰の気の出所を探っていく。しかしそれはこの街全体に蔓延しており、特定は容易ではなかった。

 それでも懸命に探っている内にカーミラは、陰の気とは異なる別の物を感じ取った。これは……血の臭いだ。それもかなり多量の。

 カーミラの吸血鬼としての本能が敏感にその臭いを感じ取り、今度はその臭いを目印として発生源を辿っていく。


 やがてカーミラは街の外れにある寂れたゴルフ場に到達していた。ここだ。間違いない。生々しい血臭がそこら中から漂ってくる。ここで何かが起きているのだ。カーミラがそれを確信したその時……


「――逃げるのよっ!」


 聞き覚えのある叫び声と共に銃声。そして謎の獣の唸り声。カーミラは慌てて目の前の木立を抜けて、声のした方へと向かう。そこで彼女は信じられない光景を見る事になった。

 およそ2ヵ月前に別れた時と同じローラの姿。それは良い。無事に彼女を発見できた事に安心した。だが……


(あ……あれは、一体何……?)


 どうやらローラの他にももう1人女性の刑事か誰かがいるようだ。その女を押さえつけるように圧し掛かっている……異形の怪物。

 筋肉の盛り上がった巨体に、凶悪そうな鉤爪。獣と人間が融合したような四肢。全身が黒っぽい剛毛に覆われている。そしてその頭……それはまさにオオカミそのものの頭部であった。どう見ても作り物ではない。


(じ、人狼……? 人狼ですって!?)


 図らずもマスコミが名付けた『ルーガルー』という通り名は的を得ていた事になる。500年以上生きてきたカーミラだが、未だかつてこのような怪物に遭遇した事は無かった。冷静に考えれば自分達のような吸血鬼がいるのだから、他にも人外の怪物がいたって不思議ではないのだが。

 だが何故今、この街でなのだろう? この街はヴラド達吸血鬼の脅威が過ぎ去った途端、全く別の人外の怪物の脅威に晒されているという事になる。このような事が偶然起こり得るのだろうか? 


 一瞬そのように考え込んでしまったカーミラの思考を、立て続けの銃声が破る。カーミラがハッとして目を向けると、何とローラが銃を撃ちながら、怪物に立ち向かっていくではないか!


(ば、馬鹿……! 何してるの!? 早く逃げなさいっ!)


 どうやら押さえ込まれている女を助けようとしているようだが、カーミラの目から見てもそれは余りにも無謀な行為に思えた。怪物は銃弾を物ともせずに煩わし気にローラの方に視線を移す。


「ゴアァァァァァァァッ!!!!」
「――ッ!?」


 咆哮。


 至近距離からそれを浴びたローラは金縛りにあったようにへたり込んでしまう。そしてその威圧は離れた所から見ていたカーミラの所にまで届いた。カーミラの身体が意思とは関わりなく硬直しそうになる。まるで生物……いや、怪物としての本能が、あの人狼と戦うなと訴えているかのようだった。それでカーミラは確信した。


(あいつ……強い。もしかするとヴラドにも匹敵するかも……!)


 戦闘形態では解らないが、少なくとも人間状態のヴラドよりも強いのは間違いない。それはつまりカーミラでは、まともに戦っても勝ち目はないという事だ。こんな化け物が今まで誰にも知られずに潜伏していたとは、俄かには信じられない程であった。


 だがこのままではローラが危ない。もう1人の女も可能であれば助けたい。


 カーミラは素早く処置(・・)を済ませると、近くの木の枝を折り取って化け物の方に全力で投げつけた。メジャーリーグの記録を塗り替える程の速度で投擲されたそれを、化け物はあっさりと掴み取った。

 カーミラはコートを脱ぎ捨て、刀を手に月明りの芝生の中に進み出た。


「あ……う、嘘……これは、奇跡、なの……?」


 ローラが信じられない物でも見る様な目でカーミラの事を見てくる。2ヵ月ぶりに見るローラの顔だが、今は緊張と恐怖で強張っていた。カーミラは内心の緊張を押し隠し、ローラを安心させる為に努めて余裕がある表情を作った。


「……全く。やっと仕事を終えて戻ってきてみれば……今度は一体何に巻き込まれているのかしら、ローラ?」


 それはカーミラの本心でもあった。つい先日吸血鬼に襲われ、今度は人狼ときた。一体どのような星の下に生まれつけばこんな体験が出来ると言うのだ。
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