File2:捜査本部にて
文字数 3,745文字
「全くどういうつもりだ、ギブソン! 先走っての単独行動は厳禁だと、繰り返し通達したはずだぞ!? お前は私の話を聞いていなかったのか!?」
翌日。覚悟はしていたが、ローラは本部でマイヤーズ警部補からお叱りを受けていた。
「単独じゃありません。トミーもいました」
言い訳にもならない言い訳をすると、隣に座っていたトミーがギョッとしたように視線を向けてくる。
「そういう問題じゃないっ! 解ってるのか!? 今回は鉢合わせせずに済んだが、次もそうなるとは限らん! 確かにいざという時は危険を顧みずに立ち向かうのは警察官の職務だが、勇敢な事と蛮勇は違うぞ。そこを履き違えるなっ!」
顔を真っ赤にしたマイヤーズが机を叩き付けて怒鳴る。隣でトミーが肩身を狭くしている。
「今後もそういう態度を続けるなら、捜査から外すぞ! 肝に銘じておけ!」
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そうしてようやく解放されたローラは、自分のデスクでぐったりしていた。手にはミルクと砂糖をたっぷりと入れたコーヒーのカップを持っている。
「うぅ、頭痛い。何もあんな怒鳴らなくたっていいじゃない。そう思わない?」
「思いませんね。僕は忠告したはずですよ。と言うか警部補じゃないですけど、こんな事を続けてたらその内本当に怪我じゃすまない事態になりますよ」
隣のデスクにいる相棒の同意は得られなかった。肩を竦めたローラはコーヒーを一口飲む。甘ったるいカフェインが身体に浸透していく感覚にうっとりする。至福の時だ。それを見たトミーがウェッという表情になる。
「……いつも思いますけど、良くそんな甘ったるくしたコーヒー飲めますよね。女性は甘い物が好きとは言いますが、限度ってものがあるでしょう」
「何言ってるのよ。これが良いんじゃない。糖分を摂取すると頭の働きが良くなるのよ、私は」
言いながらカップを傾け、中身を飲み干していく。空になったカップを置いたローラは、キリッと表情を引き締める。
「……でもあの倉庫の死体は、やっぱり『サッカー』の仕業だったみたいね」
死体はあの近場のギャングの構成員であった。全身の血液が抜き取られ、カサカサに干からびた状態で死んでいた。外傷は首筋の小さな傷のみ……。具体的な傷の形状はマスコミには伏せられている為、模倣犯ではなく間違いなく『サッカー』の犯行であった。
「ですね……。これで発見されているだけでも9件目です。市警を叩きたくて堪らないマスコミは大喜びでしょうね。注目度もどんどん上がってますし、警部補が神経質になるのも解りますよ」
「はぁー……そうなのよねぇ。捜査も正直行き詰ってるし、警部だけじゃなく本部長にまでせっつかれてるらしいわね」
9人の被害者には何の接点もなく、人種も性別も年齢もバラバラ。白人女性が立て続けに殺された時は、ようやく手がかりが掴めるかと捜査本部も勇み立ったが、嘲笑うようにその次は中国系の商店主が殺され、今度はアフリカ系のギャングと来た。プロファイラーもお手上げ状態だ。強いて言うなら、老人や子供は殺されていない、というだけだ。こんな物は手がかりでも何でもない。
事件をセンセーショナルに煽るマスコミによって、市民の不安も徐々に高まりだしており、殺人鬼にいいように翻弄される市警に対するバッシングも日に日に強くなってきている。
「……FBIが捜査の主導権を握ろうとしてるなんて噂もありますね。本部長まで焦ってるのはそのせいだとか……。マイヤーズ警部補、胃に穴が開いちゃうんじゃないですかね」
1年程前だがボストンやニューヨークでも同様の事件が発生していた。その後犯人はシカゴ、デンバー等の大都市でも殺人を繰り返しながら西進し、現在はここロサンゼルスで同じ手口の連続殺人が発生している。むしろFBIが介入してくるのは、自然な流れかも知れない。
だがロサンゼルス市警としては、所轄内で好き勝手に暴れる殺人鬼は何としても自分達の手で逮捕したい。ましてや散々マスコミに煽られている現状、横から介入してきたFBIに事件を解決されでもしたら、ロサンゼルス市警の威信は地に墜ちる。唯でさえ人員不足に悩まされているロス市警が受けるダメージは計り知れない。
「全く……そんな状況なんだから、もうちょっと積極的な捜査も許可してくれればいいのに……。このままじゃ冗談抜きでFBIに横取りされちゃうわよ」
「『積極的』と『無謀』は違うと思いますよ……?」
「何か言った!?」
トミーが両手を小さく上げて『降参』のポーズを取る。ローラが気を取り直して、今後の捜査について考えていた時だった。彼女のデスクに近づいてくる者がいた。
「おやおや、不確かな情報で先走った挙句、まんまと犯人に踊らされた優秀な女刑事殿じゃないか。てっきり捜査から外されると思ってたのに、やはり警部補と
若く張りがあるにも関わらず、粘ついた響きの声。ローラは嫌な奴が来た、とばかりに顔をしかめた。
「……何か用かしら、ダリオ? 私はこれからの捜査の事を考えるので忙しいの。あなたと違って暇じゃないのよ」
うんざりしたような視線を向けた先には、浅黒い肌に精悍な顔立ちのヒスパニック系の若い男が立っていた。
ダリオ・ロドリゲス。役職はローラと同じ部長刑事だが、歳は3つ程上だ。年下でしかも女であるローラが自分と同じ階級に並んでいる事に不快感を抱いているらしく、何かと彼女の粗を探して突っかかってくるのが鬱陶しかった。
ローラの返しにダリオが鼻を鳴らす。
「ふん! 報告書を読んだが、何だあれは? 謎の女だと? ふざけてるのか!?」
やっぱりその事か、と更にゲンナリする。
「ふざけてなんかいないわよ。報告書には事実を書く義務があるでしょ? だから紛れもない事実を書いただけよ」
「事実だと? 屋根から飛び降りた女が煙のように消えたというのも事実だと言うのか!? 素直に認めたらどうだ? お前は『サッカー』本人か、その関係者をむざむざ取り逃がしたんだろ? それを誤魔化そうとして、あんな事を書いたんだろう。お陰で『サッカー』はより慎重になって、もう表に出てこなくなるかもな。手柄欲しさに先走った誰かさんのせいでな!」
ローラはギュッと拳を握り締める。むざむざ取り逃がした、犯人がより慎重になるかも、というのはまさにローラも懸念している事態だった。言われるまでもない事をこの男に改めて指摘されると、異常に腹が立つ。
「……過ぎた事をネチネチと嬉しそうに……。そんなに年下の女に追いつかれるのが怖いの? この、ケツ穴の小さい短小包茎のクソッタレ野郎!」
抑えきれずに口をついて出た罵り文句に、ダリオの浅黒い顔が怒りで赤く染まる。トミーは巻き添えは御免だとばかりにそっぽを向く。
「ふん……本性を現したな。何て口汚い奴だ。本当に女か!? この、卑しい東欧の貧民上りが!」
「あんたに言われたくないわね。メキシコ難民崩れのクソ野郎。本当に永住権を持ってるかも怪しいわね」
「ッ! 貴様ぁ!」
売り言葉に買い言葉で、一触即発の空気が流れる。他の職員たちは、またかという呆れ顔の者と、触らぬ神に祟りなしとばかりに知らんぷりを決め込む者の2種類に分かれた。因みにトミーは後者だ。
「何の騒ぎだっ!」
だがそこに敢えて割り込む者がいた。ローラ達の上司、マイヤーズ警部補だ。ダリオは露骨に舌打ちする。
「またお前達か! いい加減にしろ! 今は皆が一丸となって捜査に打ち込まねばならん大事な時期なんだぞ。それを解っているのか!?」
「……そうは言いますがね、警部補。ギブソンの報告書には、明らかに虚偽の内容があります。これは看過していい問題じゃないでしょう」
「虚偽かどうかはお前が判断する事じゃない、ダリオ」
「あれが明らかな虚偽でなくて何なんです? ……まさかギブソンを庇ってるんじゃないですよね、警部補?」
「……!」
ダリオの探るような物言いに思わずローラが立ち上がりかけるが、マイヤーズがそれを手で制した。
「私は常に公平を心掛けている。言いたい事がそれだけなら、自分の仕事に戻れ。今回の被害者のギャングと対立するメキシコ系ギャングの捜査を任せたはずだが、そちらはどうなっている?」
「ッ! ……すぐに取り掛かります」
自分は納得していませんが、今は引き下がりますと言わんばかりの態度で立ち去るダリオ。ローラはまさに自分が恐れていた事態に歯噛みした。
「あ、あの……警部補。わ、私……」
「これで解っただろう? チームワークを乱す行為は、自分だけでなく周囲にも影響を及ぼすのだと」
「…………」
「明日は非番だろう。家に帰って少し頭を冷やせ。解ったな?」
「……はい」
これ以上ゴネれば更に迷惑を掛けるだけだ。ローラには素直に頷く以外に選択肢はなかった。