File5:ビースト・エンカウント

文字数 5,635文字

 ロサンゼルスの高級住宅街、ベル・エア。トパンガ州立公園にも程近いこの場所で、最近謎の失踪事件が相次いでいた。付近を散歩していたはずの住民が突然失踪。ジョギングに出掛けた家族が戻らない。夜、庭でバーベキューをしていた家族が一家丸ごと失踪というケースまである。

 勿論警察に連絡し捜査もされていたが、今の所目ぼしい成果は上がっていなかった。また警察も以前の『シューティングスター』事件で大きな被害を出したばかりであり、ようやく立て直しの目処が立ったという状況で、更には相変わらず街でも凶悪事件が頻発しており、そこまで綿密な捜査が為されていないのが現状であった。 


 そしてそんな不穏な雰囲気が漂う住宅街に、1人の新聞記者(・・・・)がやってきていた。燃えるような赤毛の女新聞記者……ナターシャである。

 彼女は警察の捜査が遅々として進んでいない事に不審を抱いて、自ら独自にこの失踪事件を調査していたのであった。勿論警察が調べても解らないものを、所詮民間人に過ぎない彼女が1人で調べた所で解決できるものではない。

 しかし彼女には警察にない強みがあった。いや、警察にはない視点(・・)というべきだろうか。

(……何の痕跡も残さない失踪事件。嫌な予感がする。この事件には人外の怪物(・・・・・)が絡んでいる。そんな予感が拭えないのよね)

 もしそうだとすれば、犯人が人間であるという大前提そのものが間違っている事になる。その状態でいくら捜査しても真相に辿り着けるはずがない。まず犯人が人間であるという先入観(・・・)を捨てなければ見える物も見えてこない。

 これこそがナターシャが持っていて警察が持っていない物だった。勿論ローラがいればその限りではなかっただろうが、彼女は現在別の事件の担当で忙しいようだ。

 ナターシャは時間を掛けて入念に取材を行っていく。その結果、失踪被害はこの近くにあるストーン・キャニオン湖周辺に限定されている事が解ってきた。湖を挟んでベル・エアとは反対側の住宅街ビバリーグレンでも被害が出ている事から、ナターシャはストーン・キャニオン湖に何か(・・)があると確信していた。


 そして現在、湖を取り巻く間道まで車を走らせた彼女は、禄に舗装されていない道路の脇に車を停めて外に出た。

「…………」

 日中の明るい時間という事もあって、湖は凪すらたっておらず至って平穏に見える。しかしナターシャの目には得体の知れない怪物が潜む不気味な魔境に見えていた。

 足場に気をつけながら慎重に湖岸に向かって降りていく。湖岸の殆どはギリギリまで木の生い茂っており、人が容易に立ち入れるような地形ではない。ナターシャは工事によって切り開かれたと思しき場所を選んで進んでいく。やがて湖岸にたどり着くと、何か不審な物がないか慎重に調べていく。

 実は周辺住民への聞き込みをする中でいくつか気になる証言があったのだ。それは、現場に何か細長い針のような物が落ちていたという証言だ。警察には黙殺されたらしいその針は、見たこともないような素材で作られた物だった。ナターシャは過去にこれに近い物を見た記憶があった。

 直接見た訳ではないが、過去の事件(・・・・・)を調べる中で資料の写真で見た物に酷似していたのだ。それを見てから彼女の中で急速に悪い予感が膨れ上がっていった。

(まさか……あり得ないわ。あの事件(・・・・)はとうに終わったはず。それとも生き残りでもいたというの? でもあれから大分時間が経っているのに、何故今この時になって……?)

 悪い予感に囚われながらも湖岸を探索していると……

「……!」

 砂利や土が踏み慣らされたと思しき痕跡を発見した。明らかに人間の足跡ではない。何か……大きな獣のような足跡だ。それが湖の中から湖岸に這い出るような形で続いている。

(何かが……湖から上がってきた……?)

 足跡はそのまま湖を取り巻く森の中へ消えている。その森を抜けた先は住宅街の外れだ。

 ナターシャは注意深く他にも痕跡を探してみると、同様の足跡がいくつも見つかった。間違いなくこのストーン・キャニオン湖に何かが潜んでいる。痕跡はそれを裏付けていた。そして彼女の予想通りであるなら、それは……

 彼女はいつしか痕跡探しに夢中になって周囲への警戒を疎かにしてしまっていた。ここが得体の知れない怪物の棲家(・・)であると認識していながら、それへの警戒を怠ってしまったのだ。そして彼女はすぐにその結果を思い知る事になる。


 ――バシャ、バシャ


 何かが水から上がってくるような音。そして水を掻き分けるような音が続く。ナターシャは反射的に顔を上げて……

「あ…………」

 硬直してしまう。この可能性(・・・・・)は念頭に入れていたはずなのに、失念していた。


 そこにライオンほどの大きさの四足獣が湖から這い出てきていた。水から完全に出るとそのシルエットが明らかになった。

 その生物はネコ科の大型獣のフォルムを持ちながら、体毛が一切生えておらず代わりにその身体を覆うのは、ヌメヌメとした魚の鱗。四肢の先には水かきを備えた鉤爪が生え揃い、背中からは大きな鰭が突き出ている。そしてその頭部は……鮫そのものの形をしていた。

 鮫と硬骨魚類と、そしてネコ科の大型獣が掛け合わさったような姿の……まさに合成獣(キメラ)とでも言うべき生物であった!


 その生き物は湖からヒタヒタと這い出してくると、その鮫の頭をヌッとこちらに向けてきた。

「ひ……!」
 ナターシャは思わずビクッと肩を震わせる。足が地面に縫い付けられたように動かない。蛇に睨まれた蛙状態だ。

 その鮫獣はナターシャを認識すると、一切声を発する事なくライオンが獲物に飛び掛かる時のように四肢を撓める。そしてその鮫の口を大きく開いて一気に飛び掛かってきた!

「……っ!!」

 ナターシャは死を覚悟してギュッと目を瞑るが……


 ――ビシュゥッ!!


『……!』

 何かが撃ち出される音。鮫獣が咄嗟にナターシャへの攻撃動作を中断して後ろに飛び退る。そこへ間髪を入れず、

「ふんっ!!」

 男の声と何か長い物を振り回す音。ナターシャが目を開けると、彼女と鮫獣の間に割り込むようにして1人の男が立ちはだかっていた。オールバックの髪型に陰気だが整っている顔立ち。その男の背中からはまるで触手のように自在に撓るアーム(・・・)が何本か突き出て蠢いていた。

「ク、クリス……!」

「馬鹿が。無防備に深入りしすぎだ。下がるぞ!」

「……!」
 ナターシャが何か言う暇もなく、クリスのアームの内一本が彼女の身体に巻き付いて強引に引っ張り上げる。

 その間に別のアームが鮫獣に対して牽制を仕掛ける。そのアームの先にはブレードが付いており、危険を感じたらしい鮫獣は再び大きく飛び退ってブレードを躱す。その巨体からは想像もできない程の身のこなし。この鮫獣はかなり強力な怪物かも知れない。

 クリスはナターシャをアームで牽引したまま車に向かって一目散に駆け出す。彼はこの『取材』にもしもの時の護衛として同行していたのだ。しかし訳あって大手を振って表を歩けない立場なので、基本的には車で待機してもらっていた。今は緊急時と判断して出てきてくれたらしい。

 クリスはアームで車のドアを開けると、ナターシャを強引に中へ押し込んだ。そして自分が運転席に座る。素早くエンジンをかける。その間に別のアームが車のドアを閉めていた。見るとあの鮫獣がこちらに向かって走ってきていた。

 クリスが車の窓から、先端に銃口の付いたアームを出して鮫獣に向けて粒子ビームを射出する。鮫獣はジグザグのような動きでビームを回避していた。

「緊急時だ! 俺が運転するぞ!」
「え、ええ! お願い!」

 クリスはアクセルを全開に吹かす。車は後輪が摩擦熱を上げる勢いで発進した。そのまま間道を北上して住宅街に向かって車を走らせる。クリスは車を運転しながら光線銃のアームだけを窓から出して、後ろから追い縋ってくる鮫獣に銃撃するという器用な真似をしていた。

 鮫獣は車にも劣らない速さで追ってくるが、クリスの銃撃を躱しながらのため追いつけないようだ。それを悟ってナターシャが、ふぅー……と息を吐いた。


「あ、ありがとう、クリス……。本当に助かったわ」

「ふん、お前は無鉄砲が過ぎるな。真実の探求も結構だが、身の丈という物を考えろ」

「む……」

 実際に殺されかけた所を何度か彼に救われている身としては余り強気で反論できない。だが例えどれだけ危険であっても人外の怪物が絡んでいる以上、彼女に見て見ぬ振りをするという選択肢はない。

「でも私は……」

 ――ドスンッ!!

 それでも自分のポリシーを彼に伝えようと口を開くが、その時車が大きな振動に揺れた。音と衝撃からしてまるで車の屋根の上に何かが取り付いたかのようだった。

「な、何……!?」

 彼女は慌ててリアウィンドウを振り返ったが、あの鮫獣は相変わらず後ろから追ってきている。つまり今の音は鮫獣の仕業ではない。

「い、一体――」


 ――ギィエェェェェェッ!!


 真上から聞こえてきた奇声にナターシャは硬直する。今の叫び声には聞き覚えがあった。それは彼女にとっても未だに悪夢であるとある怪物(・・・・・)の叫び声に似ていて……

 車のフロントガラスの上からヌッと巨大な鳥の顔(・・・)が逆さまに覗く。いや、それは鳥と人間を合わせたような外観の面貌であった。

(『エーリアル』!? 嘘! 何でこいつが……!?)

 体毛の色が違うので正確には『エーリアル』の子供のようだが、以前の記憶にある『子供』達よりも明らかに大きい。

 ナターシャがパニックに陥る暇もあればこそ、車のドアウィンドウをぶち破って巨大な猛禽類の爪が侵入してくる。

「……!」
「きゃあああっ!?」

 クリスの舌打ち。ナターシャの悲鳴。怪物の右手がナターシャの服を掴んで、彼女を強引に割れた窓から外に引きずり出そうとしてくる。物凄い膂力にナターシャは抵抗できずに上半身を車外に引きずり出される。そこではっきりと屋根の上に取り付いている怪物の全身を視認した。


 暗い緑色の体毛に堂々たる体躯の鳥人間。その背から生える一対の巨大な翼も、車を全部覆ってしまう程の大きさだ。

 『エーリアル』ほどではないがそれに近い体格。それは間違いなくあの時ミラーカと死闘を演じたあの『長男』に等しい存在であった。  


 鳥人間はそのままナターシャを車の外に放り出そうとするが、クリスが中から彼女の下半身にアームを巻きつけてそれを防ぐ。そして同時に別のアームで屋根にいる鳥人間を攻撃する。

 ――ギェ! ギェェッ!!

 鳥人間は鉤爪を振るいながらクリスのアームを払いのける。しかし片手にナターシャを掴んだままでは対処できないと判断したのか、彼女を離して翼をはためかせると屋根の上から飛び立った。

 クリスはアームでナターシャの身体を車内に引っ張り戻す。飛び上がった鳥人間は上空から翼を振って『刃』を撃ち込んできた。

「……! 掴まってろ!」

 クリスはハンドルを激しく動かして『刃』を掻い潜りながらひたすら走り続けた。すぐに湖を取り巻く間道が終わり、住宅街の通りに出た。すると上空の鳥人間も、後ろから迫ってきていた鮫獣も追跡を諦めたらしく湖の方へと引き返していった。

 クリスは念の為もう少し車を走らせた後に、路肩が広くなっている駐車スペースを見つけて停車した。




 ふぅぅぅーー……と、2人揃ってシートに身を預けて大きな息を吐いた。

「……化け物は一匹ではなかったようだな。流石に肝を冷やしたぞ」

「え、ええ、本当に……。あなたがいてくれて良かったわ」

 クリスがいなければナターシャは確実に生きていなかっただろう。『シューティングスター』の時に続いて、また彼に助けられてしまった。感謝と同時に、彼への想い(・・)も一段と高まる。

「これに懲りたら、自分から化け物の巣に飛び込むような真似は控える事だな」

「う……そ、そうね。気を付けるわ」

 前回の『シューティングスター』の時と今回の件で、直接的な命の危機を二度も経験した事で流石にナターシャも自省の念が芽生えていた。

「でも……あいつは間違いなく『エーリアル』の『子供』だった。それも相当に強力な。それだけじゃない。あの鮫の化け物の方は、話に聞いていた『ディープ・ワン』の特徴を兼ね備えているようだったわ」

 『ディープ・ワン』、そして『エーリアル』……。過去に討伐されたはずの怪物達の残滓(・・)が現れたという事になる。しかも信じがたい事にあの怪物達は徒党を組んでいる様子だった。

(これは……由々しき事態だわ)

 奴等が突然現れて、しかも徒党を組んでいる理由もさる事ながら、奴等を放置していては再び過去の悪夢が甦る事にもなりかねない。

「その怪物達はいずれも過去にローラ達(・・・・)によって討伐されたはずだったな? なら……相談すべき相手は自ずと決まってくるのではないか?」

「……! ええ、その通りね。この件はすぐにローラとミラーカに伝えるわ。彼女達なら何とかしてくれるはずよ」

 確かにそれが一番の解決への近道だ。クリスの勧めに従って、ナターシャはローラ達にこの怪物達の事を伝えて対処を仰ぐ決心をしていた。


 だが彼女は目の前の問題に気を取られる余り、その時クリスがどんな表情をしていたかに気づかなかった……
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