File49:闇の対価

文字数 3,172文字

「が……はっ……」

『憐れだなぁ、シグリッド。どうだ? もう一回だけチャンスをやる。メイドらしくご主人様の俺に従え。そうすればお前の命は助かるぞ』

 オーガが屈み込んでそんな戯言(・・)をのたまう。シグリッドは仰向けに倒れ伏したまま、血の滴る口元を歪める。

「私が、従うのは……ルーファス様(・・・・・・)であって、あなたでは……ありません」

『……! いいだろう。では望み通りにしてやる』

 迷いのないシグリッドの返答に何故かオーガは一瞬動揺したように身体を震わせたが、すぐに憤怒によって塗り替わる。そしてその巨大な拳を固めると、そのまま倒れているシグリッドに向けて打ち下ろそうとする。当然今の状態でそれを喰らったら今度こそ確実に死ぬだろう。だが彼女は全く怖れを見せずにオーガの巨体を睨み上げている。

 そして無情にも死の鉄槌が振り下ろされようとしたその時――!


「――ふっ!!」

『……!』

 オーガの頭上を影が覆う。カーミラだ。刀を全力で振り下ろすが、頭に当たった刀身はあえなく弾かれてしまう。しかし意識を逸らさせる効果はあった。そこに更に……

『――――』

 振り向いたオーガの目の前、至近距離にセネムの神霊光が炸裂する。強烈な光の奔流はダメージこそ与えられなかったものの、一時的にオーガの視界を眩ませる。

「ギャウッ!」

「……!」

 その間に迂回して近付いていたジェシカが、シグリッドの身体を抱え上げて素早く距離を取る。


「シグリッド、大丈夫!?」

「み、皆さん……申し訳ありませんでした。私は自分を見失っていたようです」

 ジェシカが彼女を地面に下ろすと、すぐさまカーミラが駆け付ける。カーミラはかぶりを振った。

「いいのよ。それだけ衝撃的な事実だったんだから。でもあなたは立ち直って奴と戦う道を選んでくれた。それだけで充分よ」

「ガゥゥゥゥッ!!」

 ジェシカも肯定的な唸り声をあげる。シグリッドは友人達(・・・)の反応に少し涙ぐんでしまう。

「皆さん……ありがとうございます」

「うむ、君が立ち直ってくれて何よりだ! さあ、勝負はこれからだぞ!」

 セネムも後退してきて戦列に加わる。これで4人が揃った形だ。ある意味ここからが本番と言えるが、既に4人とも大きなダメージを負ってしまっている状態なので、戦況は極めて厳しいと言わざるを得ない。



『おのれ……死にぞこない共が。大人しく寝ていればこれ以上苦しませずに殺してやったものを』

 視界が回復したオーガが、忌々しそうに呼気を吐き出しながら足を踏み鳴らした。こっちが満身創痍なのに対して、奴の戦力は些かも減じていない。このまま戦った所で勝負になるまい。そうなれば今度こそ皆殺しにされる。

「ぬぅ……どうする、ミラーカ? 正直このままではマズいぞ」

 同じ分析をしたらしいセネムが目線はオーガに向けたままで問うてくる。

 セネムやシグリッドは【悪徳郷】との戦いで使った『神霊極光』や『トロール・オーバーロード』などの切り札があるにはあるが、あれは文字通り命と引き換えにして行う捨て身の攻撃であり、蘇生できたのは奇跡以外の何物でもない。奇跡とは二度と起こらないから奇跡なのだ。

 しかも恐ろしい事に、命を捨ててそれらの切り札を使ったとしても、それで目の前のこの化け物を確実に倒せるという保証がない。そうなればまさに犬死だ。

 勿論今のダメージを負った状態ではこいつから逃げ切る事も難しいだろう。つまりどの道自分達はここで死ぬしかないという事になる。

(ふざけないで。ここまで来たのよ。そんな事、絶対に認めない……!)

 まだローラとの合流や救出も出来ていないのだ。ローラにピースメーカーになりましょうなどと言っておいて、自分がこんな所で死んで脱落では目も当てられない。しかもアルゴルによると彼女が死ぬ事で『ゲート』が完成し、LAのみならず世界中が滅茶苦茶になってしまうのだという。

 尚更大人しく殺されてやる訳には行かなかった。


(……やるしか、ないわね)


 実はカーミラの頭には、この状況を打破できるかも知れない手段が一つだけ浮かんでいた。問題はそれを実行するかしないかだけだ。 

 しかしこのままでは敗北して殺されるのは必至。ならば彼女に迷いは無かった。カーミラは目を閉じて、己の『内』に精神を集中させる。



(……ヴラド(・・・)、いるんでしょう? 出てきなさい)

 そして心の中で語り掛ける。程なくして彼女は自らの内より湧き出るどす黒い魔力を知覚した。

(ほぅ……お前の方から私に語り掛けるとは意外だな。私の力に頼ってでもこの状況を脱したいか)

 やはりいた。【悪徳郷】との戦いでも、彼女が死にかけた時に一度だけ表に出てきた存在。カーミラの本当の主(・・・・)である、ワラキア公王ヴラド3世その人。

 ヴラドの本体は間違いなく今この時も封印されているはずだ。だがどのような手段でか、この男はカーミラの中に己の一部(・・)を紛れ込ませる事に成功していた。いや、或いは吸血鬼の真祖としての何らかの特性だろうか。

 だが今はそれを考えている時間すら惜しい。ヴラドはカーミラを通して外の状況も認識しているようだ。ならば話は早い。

(ええ、そうよ。私はこんな所で死ぬ訳には行かないのよ。ローラやジェシカ達も守りたい。それにはあなたの力を借りる他ないのよ)

(くはは……虫のいい話よな。都合の良い時だけ私の力を借りようという訳か)

 ヴラドが嗤う。彼の言い分は尤もだ。しかも彼からすればカーミラは自分を裏切って封印までした存在だ。積極的に力を貸す理由がない。本来であれば(・・・・・・)……

 カーミラは自信ありげに自らも笑う。


(何の対価(・・)も支払わなければ確かに虫のいい話でしょうね。でも、解ってるのよ。あなたの力を借りるには対価が必要だという事が)


 そしてその対価が何かも、カーミラには何となくだが解っていた。答えは最近、自分の中に起きているとある変化(・・・・・)にあった。

 【悪徳郷】との戦いが終わって今までの半年の間。たまに……本当にごくたまにだが、この500年間感じる事のなかった『餓え』のような感覚を覚える事があったのだ。それは人を殺してでも(・・・・・・・)生血を貪りたいという、吸血鬼本来(・・)の感覚だ。

 500年前『ローラ』によって浄化されて以来、感じる事の無かった邪悪な衝動。それを今になって急に感じるようになった切欠(・・)は明らかだ。

 ヴラドが再び嗤った。


(くはは……その通りだ。お前自身さえそう望むなら私が力を貸す事は容易い。だが私の力を使う度に、あの聖女による浄化の作用は薄れていく。つまりお前は……あの力を使えば使う程、私の忠実な眷属(・・・・・・・)に戻っていくのだ。あのワラキアの民を恐怖に陥れていた頃のお前にな)


(……!!)

 予想は裏付けられた。だがヴラド自身によってはっきりと肯定された事で改めて衝撃を覚える。完全に邪悪な吸血鬼に戻った彼女がまずやる事は、ヴラドの封印を解く事だろう。ヴラドが以前に彼女が必ず彼の封印を解く事になると言っていた理由がこれだったのだ。

 そして……邪悪な吸血鬼に戻った時点で、ローラとの絆は消えてなくなる。いやそれどころか、間違いなく彼女と殺し合う関係になってしまう。


(どうする? それでも尚、私の力を借りる事を望むか?)

 ヴラドが揶揄するように問い掛けてくる。カーミラにとってはある意味究極の選択だ。退くも地獄、進むも地獄という奴だ。

 だが……カーミラに迷いは無かった。どの道ここで死ねば全てが終わりだ。逆に生きてさえいれば、解決策や打開策を探る事だって出来る。

(……いいわ。あなたの力を貸して頂戴)

(くはは……小賢しい事を考えておるようだな。まあ良い。何をしようと無駄な事だ。お前はいずれ必ず我が力の前に屈する事となる。これは確定した未来なのだ。精々無駄な足掻きをしてみるがいい)
 
 カーミラの内心を読んだヴラドが嘲笑する。そして力の奔流が彼女を支配した。
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