File11:雪辱の拳士

文字数 4,623文字

 ジェシカは少し渋ったものの、ローラの提案でリンファも呼ぶ事にした。やはり人手は多い方がいいし、リンファなら人外の怪物の事情にもある程度通じていて、事情を打ち明けても問題ないからだ。

 ローラと同じく今日が非番であるリンファは、幸い電話するとすぐに駆け付けてくれた。


「先輩! ……と、あなたは……」

 待ち合わせ場所に現れたリンファはローラに挨拶しようとして、横にいるジェシカに気付いた。

「人外の事件に関する調査という事でしたが……彼女が一緒なんですか?」

「ふん、アタシだってあんたみたいな頼りないのは必要ないって言ったんだけど、ローラさんがどうしてもって言うから仕方なくさ」

「……!」
 不遜な態度のジェシカに、リンファが眦を吊り上げるが……


「2人とも止めなさい。リンファ、彼女の友人達や家族が魔物に狙われているの。だから彼女が一緒にいるのは必然だし、余り私情を挟んで欲しくないのよ」

 ローラの諫言にリンファは驚いてジェシカを見やる。

「……! ま、魔物に友人や家族が……? 解りました、そういう事であれば……」

 ジェシカと馬が合わなくても友人や家族に罪はない。そこは大人であるリンファは割り切って力を貸してくれる事を約束した。するとジェシカもバツの悪そうな顔で頬を掻いた。

「あー……悪い。今ちょっと気が立ってて……。アタシの問題なのに手を貸してくれて感謝するよ。宜しく頼むよ」

 ジェシカがそう言って手を差し出す。リンファは意外そうに目を瞬かせながらも、ふっと表情を緩めて握手に応じた。

「いえ、こちらこそ大人げない態度でお恥ずかしい限りでした。宜しくお願いします、ジェシカさん」

 仲の悪かった2人が自発的に握手する光景にローラはホッと胸を撫で下ろす。3人はローラの車に乗り込むと『作戦会議』を始めた。


「エリオットが狙っているのはジェシカの友人のマリコ、ペネロペ、ローレルの3人と、ジェシカの母親であるジーンの全部で4人の可能性が高いわ。リンファ、あなたにはジーンの方を見張っていてもらいたいの。もし彼女の元に背の高い茶色い髪の美形の男が現れたら、すぐに私に電話して頂戴」

「わ、解りました。茶色い髪の美男子、ですね」

 生憎写真などがないので外見的な特徴のみを伝えるが、ジェシカの話によるとかなり目立つ外見らしいので間違える心配はないとの事。

「私達はその間にあなたの友達を『保護』するわよ」

「そ、それはいいんだけど……何て伝えればいいんだ?」

 当然だが人狼の話をする事はできない。それでジェシカもあの時マリコに弁解が出来ずに追い出されてしまったのだ。だがローラは解っているという風に頷いた。

「そこはまあ言い方次第よ。私がバッジを見せて、実はあのエリオットは女性ばかりを狙った凶悪な殺人犯で、あなたの友達はそのターゲットになったと説明するわ。あなたが一緒にいる事で少なくとも警察を装った誘拐犯とは思われないでしょうし」

「な、なるほど……」

 ローラが本物の警察官である事を最大限に利用するという訳だ。エリオットと対決するまでの間一時的に保護できればいいので、真実を細かく説明する必要はない。それにエリオットが若い女性ばかりを狙った殺人鬼である事自体は嘘ではないのだ。

「でもそれって大丈夫なんですか? いざそのエリオットに会ってもシラを切られたら証拠がありませんよ?」

 リンファが懸念を呈するが、ローラはやや不敵な笑みを浮かべる。


「大丈夫よ。私はジェシカを信じている。エリオットは正真正銘の人狼よ。だったら……問答無用で銃撃(・・)してしまえばいいのよ」


「え、ええっ!? 本気で言ってるんですか!?」

 リンファが驚きに目を丸くするが、ジェシカはローラの言いたい事が解ったようでハッとした顔になった。

「そうか……銃で撃たれたら、どっちにしろあいつは正体を現さざるを得なくなる……!」

「そういう事。例え変身しなくたって銃で撃たれても死なない時点で、尋常な人間でない事は隠しようもなくなるわ」

 勿論人前で変身されたら人外の存在が明るみに出る事になるが、どの道過去にも『エーリアル』事件などで怪物の存在は認められているし、自分達の仲間や身内に人外の存在がいると露見さえしなければ問題はない。

「や、やっぱりローラさん達に相談して正解だったよ! 行けそうな気がしてきたぜ!」

 エリオットが殺人鬼の怪物だったと証明できれば、マリコ達との拗れた仲もすぐに修復できるはずだ。展望が開けた事に喜び勇むジェシカに苦笑しつつ、作戦を開始すべくリンファを降ろしてから、ローラは車を発進させるのだった。



*****



 ローラからジェシカの母親であるジーンの見張りを任されたリンファは、捜査の張り込みの要領でジーンに気付かれないように密かに警護に当たっていた。

 ジーンは美容師であり、日中は市内にある美容院に勤めていた。美容院に出入りする客を見張っていたが、ローラ達から言われたような人相の男はいなかった。幸いというかフレックスタイム制の店らしく、ジーンは早番で比較的早い時間帯に業務を終了していた。

 その後買い物などをして家に帰るジーンを尾行し続けていたが、結局怪しい人物の接触は確認できなかった。だがとりあえず今日一日は見張る事になっていたので、家を見張れる位置に車を止めて待機する。

 今日中にローラ達がそのエリオットに対処するとの事だったので、それが終わるまでジーンを見張っておくのが彼女の役目だ。『作戦成功』の暁にはローラから連絡が入る事になっていた。

「…………」

 携帯が鳴る気配はない。リンファは溜息を吐いて再びマイヤーズ家に注意を向ける。そして……


「……!」

 微かにだが人の悲鳴のような音が聞こえた。一瞬耳の錯覚かと思ったが、今現在の状況を考えると楽観視すべきではない。リンファは車から降りるとマイヤーズ家に素早く駆け寄る。

 エリオットが現れた場合はリンファ1人の手に負える相手ではないので、必ずローラ達に連絡するようにと念を押されていた。だがとりあえず確認はするべきだし、悲鳴が聞こえたという事は事態はもっと切羽詰まっている可能性もある。

 窓まで駆け寄ったリンファは家の中を覗き込む。

「……っ!」

 そして目を瞠った。窓からはリビングの様子が見て取れた。そこには恐怖に目を見開いて腰を抜かしているジーンと、節くれだった異様に長い手足の先に鉤爪の付いた、蜘蛛のような印象の人型の怪物がいた。

 リビングは荒れ果てていて、どうやらジーンが必死にその怪物から逃げていた事が解る。しかしリビングで追い詰められてしまったのだ。


(な、何で、あの怪物が……!?)

 だがリンファが驚いたのはその怪物が、かつて彼女を殺しかけたモノと同じだったからだ。確かジャーンとかいう名前の怪物だったはずだ。『ディザイアシンドローム』事件におけるあの体験は、未だに彼女の中でトラウマとなっていた。

 過去の記憶が甦り、リンファの脚が萎えかける。だが……

「ひぃぃっ! た、助け……助けて、誰かぁっ!!」
「……!」

 ジーンの恐怖と絶望の悲鳴がリンファの精神を賦活した。そうだ。今は他に守らなければならない存在がいる。自分が動けなければ彼女は死ぬ。

(……やってやる! あいつは一匹だけみたいだし、私だってあの時とは違う!)

 自らのトラウマを克服するのだ。一念発起したリンファは大きく息を吸って覚悟を決めると、全力で玄関のドアを蹴り破って家の中に躍り込んだ。


「伏せてっ!」

 ジーンに警告だけして、怪物に向けて素早く発砲する。怪物の奇怪な叫びと、反射的に床に伏せたジーンの悲鳴が重なる。 

 怪物は怯んだだけだが、最初から怪物の注意をこちらに向ける事だけが目的だったので動揺はない。

 リンファは銃を放り捨てると、両手を背中に回しジャケットの内側から二振りの中国武器――鴛鴦鉞(えんおうえつ)を取り出して構えた。

 ほぼ同時に怪物が敵意の叫びを上げながら飛び掛かってきた。人間に似ていて非なる異形のシルエット。なまじ人間に近い(・・)外観をしているだけに間合いを読み間違えてしまう。前回もそれに惑わされて不覚を取った。

(見極める……!)

 相手は人外なので人間相手のセオリーは通用しない。ならば敢えて敵の全体を見るのではなく、攻撃の手段である鉤爪に意識を集中させる。

 人間より遥かに長い間合いから突き出される鉤爪。だがそれだけに意識を集中させていたリンファは、身体を捻るようにしてそれを回避する事に成功した。

「ふっ!」

 そのまま流れるような動作で鴛鴦鉞を薙ぎ払う。

「ギギッ!?」

 腕に斬り付けられた怪物が驚いたように怯む。手ごたえを感じたリンファは敵が怯んでいる隙に追撃を仕掛ける。

 怪物が今度は反対側の手で鉤爪を振り回してきた。だがやはり彼女は冷静にその軌道を見切って、身を屈めるようにして再び回避した。

 今、敵の胴体はがら空きだ。リンファは二振りの鴛鴦鉞を合わせるようにして一気に突き出した。

「噴破っ!!」

 そしてインパクトの瞬間に、自らが修行で習得した『気』の力を叩きつける。

「ギギャァァァッ!!」

 果たして効果はあったらしく、怪物は吹き飛んで悶え苦しんだかと思うと、そのまま空気に溶け込むように消滅してしまった。これは以前ローラがデザートイーグルで倒した時と同じ現象だ。


 あの怪物に、勝ったのだ。リンファはふぅぅぅー……と息を吐いて緊張を解いた。そして未だに蹲ったまま震えているジーンの方に視線を向けた。


「ミセス・マイヤーズ。ご無事ですか? もう終わりましたので起きても大丈夫ですよ」

「な……何なのよ、一体。あの化け物は何!? あなたも誰なのよ!? 何で私がこんな目に遭うのよ!?」

 恐る恐る頭を上げたジーンは、恐怖から解放された反動でヒステリックに叫ぶ。リンファは慌ててそれを宥める。

「落ち着いて下さい。私はLAPDの刑事です。あなたを密かに警護していたんです。今の怪物については……まあ、国家機密みたいな物だと思って下さい」

「はぁ!? それだけで納得できるはずないでしょ!? 何でその国家機密に私が狙われなきゃいけないのよ!? 私を警護してたって事は、警察はこの事を知ってたって訳!? どうなのよ!? 場合によっては訴えるわよ!?」

「そ、それは、その……あの、とにかく落ち着いて……!」

 ジーンの剣幕にタジタジとなるリンファ。ジェシカは人狼の血は父親から受け継いだものらしいが、性格に関しては間違いなく母親譲りのようだ。

 本当の事情を説明できないという状況の辛さを彼女は初めて身を以って体験していた。このジーンを宥める事は、あの怪物を倒すよりも遥かに難題だ。

(うぅ……せ、先輩ぃぃ! ジェシカさん! 早く……戻ってきて、この人をどうにかして下さいぃぃ……!)

 彼女はローラ達が無事に作戦を終えて、一刻も早くこちらに連絡してくれる事を本気で祈るのであった……
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