Epilogue:不死なる王

文字数 4,263文字


「ひぃ……ひぃ……くそ……来るな! 来るなっ!!」

 ダンカンは脇目も振らずに森の中を必死に逃げまどっていた。後ろから聞こえてくる……翼のはためく羽音が、彼をより恐怖と焦燥に駆らせる。


(くそ……何故こんな事に……! 何故この僕がこんな目に遭わなきゃならないんだ!)


 全ては順調だったのだ。もう少しで彼の思い描く未来に手が届いたというのに、あの訳の分からない黒髪の女に乱入されたせいで全部台無しになってしまった。

 挙句に何故かこうして彼自身も怪物に追われる身となっている。

(ふざけるな! 僕はこんな所で終わる人間じゃない! ここさえ生き延びれば、新しいCEOを説得して幾らでもやり直す事が出来るはずだ。僕は諦めんぞ!)

 幸い追ってきているのはガルーダ(・・・・)本体ではなく、その幼体(・・)だ。全力で逃げに徹すれば生き残れる可能性はある。

 だが後方の翼の音は、無情にもどんどん大きくなってくる。ダンカンの焦りと恐怖は増々強まっていく。



 そうして必死に走り続け、やや開けた場所に出た時だった。

「あれ? フェルランド教授じゃないですか? どうしたんですか? そんなに慌てて……」

「……ッ!?」

 場違いに平常な声が聞こえた。ダンカンは一瞬空耳かと疑ったが、そうでないのはその声を発した人物が目の前にいる(・・・・・・)事で明らかであった。

「は……き、君は……確か、ロックウェル君……だったか?」

「ええ、そうですよ。お久しぶりです、教授」

 若いアフリカ系の男性であった。ジェイソン・ロックウェル。ダンカンが教鞭を取るカリフォルニア大学ロサンゼルス校の考古学部の学生である。

 何故ダンカンが一学生に過ぎないジェイソンの顔と名前を咄嗟に思い出したのか。それはダンカンが彼にとある使命(・・・・・)を与えていたからだ。

 そう……ダンカンがエジプトに置き去りにした生意気な助教授(・・・・・・・)が苦悩する様を、単位取得と引き換えに密かに彼に報告する、という使命を……。

 途中からガルーダの復活プロジェクトが軌道に乗って、すっかり忘れていたのだ。


「き、君、何故こんな所に……いや、今はどうでもいい! 丁度良かった! 追われているんだ、助けてくれ!」

 ダンカンは降って湧いた好機に飛びついた。そう、理由などどうでもいい。重要なのは、これで格好の『囮』が出来た、という事だ。幼体がジェイソンを襲っている隙に自分は安全圏に逃げ延びる事が出来る。それこそが重要だ。


 ギィエェェェェ!!


 その時、一陣の風が吹き抜け、奇怪な叫び声が木霊した。

「ひぃ!?」

 夜の闇の中を、森の木々を縫うようにしてダンカンを追ってきた幼体が飛び出してきたのだ。ダンカンは悲鳴を上げて、咄嗟にジェイソンを盾にするように彼の後ろに回り込んだ。

「……追われてるって……『アレ』にですか? 教授、僕等を放っておいて一体何の遊びをしていたんです?」

 幼体を見上げたジェイソンの呆れるような声音に、ダンカンはふと訝しさを抱く。

(こいつ……この幼体を見て、何故驚かないんだ……?)

 ジェイソンが狼狽して逃げ出し、幼体がターゲットを変えてくれれば占めたもの、と思っていただけにダンカンは戸惑う。

 ギェ! ギェェッ!!

 幼体がジェイソン共々葬り去ろうと、翼を広げて『刃』を飛ばしてきた。無数の風切り音が迫る。

「うひぃっ!!」

 ダンカンは思わず悲鳴を上げて縮こまる。きっとジェイソンはズタズタに切り刻まれた事だろう。そう思ったが、屈み込んだ彼の身体に血しぶきが降りかかる事は無かった。

「……?」

 恐る恐る顔を上げたダンカンが見たものは……相変わらず涼しい顔をして佇むジェイソンの姿だった。

「な……ロ、ロックウェル君……?」

「やれやれ……マスター(・・・・)が仰っていた『大きな力』とはコイツの事なんでしょうか? とてもそうは思えませんが……」

 ジェイソンの身体には無数の切り傷が刻まれていた。中には明らかに致命傷と思われる、喉を切り裂いている傷もあった。しかしジェイソンは何事も無かったように喋っている。そこでダンカンは気付いた。

(血が……血が一滴も流れていない(・・・・・・・・・)……!?)

 傷口はただ黒々と身体に穴を開けているだけで、本来そこから流れ出るはずの赤い液体が全く存在していないのだ。

「き、き、君は……」

「教授、少し待っていて下さい。まずはコイツを片付けて(・・・・)しまいますので」


 次の瞬間、ジェイソンの身体が変化(・・)した。皮膚が見る見るうちに干からびてボロボロになり、眼球が砂のように崩れ落ちる。鼻が削げ落ち唇が崩れ、風化した歯がむき出しになる。


 数瞬の後、そこにいたのはかつてはジェイソン・ロックウェルという名の学生だった、一体のミイラ(・・・)であった。

「ひ、ひぃぃっ!?」

 ダンカンは幼体に追われていた時以上の恐怖の悲鳴を上げる。それには構わずミイラ――ジェイソンは、跳躍(・・)した。その風化した身体からは考えられないような身体能力で、10フィート以上の高さを軽々と飛び越える。

 ギィッ!?

 いきなり現れた奇怪な存在に慌てたのは幼体も同じだ。再度『刃』を放つが、ジェイソンは被弾しながらも全く意に介した様子もなく、恐ろしいスピードで幼体に肉薄。

 ジェイソンが右手を突き出すと、腕の中から手を突き破るようにして鋭い剣のような物体が出現。幼体が自衛の為に繰り出してきたカギ爪の生えた腕ごと、その首を一刀の元に両断した!

 切断面から大量の血を噴き出し、幼体の首と身体が地面に墜落する。


『さて……お待たせしました、教授』
「ひ、ひぃ!!」

 超人的な戦闘能力で幼体を一撃の元に倒したジェイソンは、右手の『剣』を腕の中に収めるとダンカンの方を振り向いた。ミイラ化した事でその声も奇怪に変貌している。いや、そもそもこの状態で喋っている事自体が驚きだが。

「き、君は……君は一体……」

『夢にも思わなかったでしょうね、教授。まさか助教授への罰ゲームに過ぎなかったメネス王の墳墓が、本当に存在していた(・・・・・・・・・)などとは……』

「……ッ!?」

『私は……私達は、復活したあのお方の忠実な〈従者(サーヴァント)〉として選ばれたんですよ。極めて光栄な事です』

「サ、サーヴァント……? あのお方、だと!? ま、まさか……」

『……ご紹介しましょう。教授もご存知の我が同胞達。そして我等が主……至高のファラオ、メネス王その人でございます』

「……!」

 一体いつからそこにいたのか。幼体が現れたのとは反対側の木立の闇に、いつの間にか複数の人物が佇んでいた。ダンカンの前に進み出てきた4人の人物。その内3人には見覚えがあった。

 ジェイソンと違って名前までは咄嗟に思い出せなかったが、いずれも考古学部の熱心な男子学生だったと記憶している。

 そしてその3人に(かしず)かれるように中央に位置する人物……。目深に被っていたフードを降ろすと、その下から恐ろしく整ったエキゾチックな30代くらいのエジプト人の顔が覗いた。

 しかしすぐにその顔が溶け崩れ、豪奢な装飾品を身に着けたミイラの姿となった。後ろの3人も同時に擬態を解いてミイラ化する。

「お、お……まさか、お前が……」


『如何にも、余がメネスだ。お前は……「教授」とやらだそうだな? お前の部下(・・)の女が余を目覚めさせた。礼を言っておこう』


「……!」

『余と従者達はその女を追っているのだが……心当たりはないか?』

「し、知らない。知る訳がない……!」

 むしろこちらが知りたいくらいだ。一体あの馬鹿は何というモノを目覚めさせてしまったのか。

『そうか、まあ良い。直接(・・)聞けば済む話だからな……』
「……!?」

 メネスの言葉を訝しく思う暇もあればこそ、ダンカンは自分の肉体の異変を感じ取った。息が出来ない。いつの間にか身体に微細な砂粒が纏わりついていた。そして……体中から水分が失われていくような感触……。

 メネスが自分に向かって手を翳していた。メネスの仕業だと直感した。

「な……何、を……」

『お前の記憶と知識を拝借するとしよう。この国で活動するに当たって、色々と役に立ちそうだ。ここでそなたに会えた事は僥倖であった』

「か……はあぁぁ……ぁぁ…………っ」

 果たしてダンカンに、メネスの言葉の意味を考える余裕があったかどうか。不相応な欲望に身を焦がした背徳の考古学者は、誰にも知られる事無くひっそりとあっけなくその人生に幕を下ろした。それを為したメネス王の復活の一因を担ったとも言えるダンカンの、因果応報の最後であった。



 ダンカンの死体が干からびて、完全に砂と化して風化していく。ダンカンを吸い殺した砂を吸収したメネスが恍惚とした様子になる。

「おお……奴の知識と記憶が流れ込んでくる……。ふむ……インドの神獣か。中々に面白い試みを行っていたようだな。だがそれを邪魔する者達が……。ほう、これは……」

 最初のエジプト人の顔に戻ったメネス王が、何か興味深い物を見たかのように口の端を吊り上げる。

「マスター、何か面白い物でも?」

 同じように元の人間の姿に再び擬態した従者達の1人が問い掛けてくる。メネスはその従者の方に視線を向けた。


「ああ、そうだな……。中々に興味深い。余は決めたぞ。ここを……この街を手始め(・・・)に我が王国へと作り変える。ゆくゆくはこの国全体を支配する為の足掛かりとしてな。今この世界で最も力を持つのはこの国であるようだからな」


 4人の従者は物も言わずにひざまずいて平伏する。メネスは夜の空を見上げて独白する。


「くくく……あの女……ミラーカ(・・・・)と言ったか? あれ程の美女はかつて栄華を誇った我が王国にすらいなかった。気に入ったぞ。必ずや我が()としてみせよう。くくくく……」


 邪悪な喜悦を含んだその声は、忠実な従者達以外に誰も聞く者もいない夜の闇へと不気味に吸い込まれていくのであった…………




Case5に続く……
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