File4:ダークストーカー

文字数 4,236文字

 大学からアパートに帰ってきたヴェロニカは憂鬱な溜息を吐いた。

「ヴェロニカ……また来てるわよ。もういい加減、警察に相談した方がいいんじゃない?」

 ルームメイトでイタリア系移民のカロリーナ・ボッツィが、そう言って眉をひそめていた。

 彼女達のアパートの部屋には現在、大量のバラの花束が並んでいた。それぞれの花束には全てメッセージカードが添えられていて、全てを繋げると一つの文章になるという仕組みだ。ここ最近になって同様の『贈り物』が何度もアパートに届けられるようになっていた。

 といってもその内容は全て、『君の髪の毛一本一本まで舐め尽くしたい』だの『君の脳を溶かして吸い込んだら極上の味がするだろう』だの『100万匹の蝿に群がられてしゃぶり尽くされる様を想像してみて欲しい』だのといった碌でもないメッセージばかりであった。

 明らかな異常者である。それも放置していてはかなり危険な類いの……。しかもどのようにしてか宅配業者を使っている形跡が無く、ヴェロニカやカロリーナが不在の時を狙って自分でアパートのドアの前に置いているらしい。アパートの管理人に聞いても、その時間に不審な人物が出入りした記憶はないとの事であった。

 相手の狙いはヴェロニカのようでカロリーナはとばっちりだが、それでも自分の住んでいる部屋の前を異常者がうろついているかも知れないと思うといい気分はしないだろう。彼女の為にももうこれ以上放置してはおけない。


「そうね……。確かにこのままには出来ないわね。解った、警察に届けてみるわ」

 ヴェロニカは頷いたが、ローラから現在の警察の状況を聞いている身としては、ただでさえ忙しい彼女に個人的な事情で余り迷惑を掛けたくなかった。恐らくこの話をすれば親身になって対応してくれるだろうと予想できるだけに尚更だ。

 ヴェロニカとしては『力』があるので、人間のストーカー程度なら警察に頼らずとも自力で対処できる自信があった。

 だがカロリーナには当然自らの『力』の事は秘密にしているので、彼女を安心させる為に警察に相談すると嘘を吐いた。


「お願いね。全く……卒論で忙しい時期に勘弁してほしいわ」

 カロリーナがぼやく。彼女もヴェロニカも大学の最終学年に入っているので、卒業論文の執筆やまとめに忙しい時期だ。因みにヴェロニカは映画学部なので、以前ハリウッドスターのルーファスから直接色々な話を聞ける貴重な機会に恵まれた経験を活かして、卒論のテーマを決めてあった。

「本当にね……。ごめんなさい、カロリーナ。私のせいで迷惑かけちゃって」

「あ……いや、別に、あなたのせいって訳じゃ。悪いのはあくまでこのイカれたサイコ野郎なんだし」

 ヴェロニカに対して文句を言っているように聞こえたかもと、慌ててフォローするカロリーナの姿に苦笑しつつ、早速明日からでもストーカーの炙り出しと撃退の為の作戦を実行に移そうと心に決めていた。


****


 翌日になってヴェロニカは、わざと大学から帰る時間を遅くして極力人通りの少ないルートを選んで帰路に着いた。住宅街の外れを車で南下していくと、やがて人気のない公園の横を通りかかる。時刻は既に夜を回っているので、公園にも通りにも他の人や車の姿はない。

「…………」

 流石に車に乗ってる時に何かアプローチしてくる事はないようだ。ヴェロニカは僅かな逡巡の末、公園横の路肩に車を停めて下車した。

 公園は街灯に照らされているだけの無人の空間であり、彼女に何かしたいなら格好のチャンスだ。もしかして警戒されるかも知れないが、彼女は警察には連絡していないので正真正銘一人だ。ストーカーがそれに気づけば必ず彼女の前に姿を現す。その確信があった。

 そして……彼女が公園の真ん中辺りまで歩いてきた時、それは起こった。


 キキキキキッ!! という奇声と共に、何か(・・)が飛び掛かってきた! 


「……っ!?」
 怪しげな風体の男でも現れるかと思いこんでいたヴェロニカは意表を突かれた。咄嗟に『障壁』を展開してその何かを弾く。そいつは『障壁』に弾かれると、クルッと空中で一回転して地面に着地した。

「……!」
 その姿を目視したヴェロニカは息を呑んだ。そいつは蜘蛛を連想させるような節くれだった長い手足の先に鋭い鉤爪を備え、腹は醜く膨れて目は白濁して、牙の生えた口からは奇怪な唸り声をあげている。

 端的に言って怪物だが、ヴェロニカが驚いたのはそれ自体に対してではない。その怪物に見覚えがあったのだ。同時にもう絶対現れるはずがないと思っていたそれ(・・)は……

(こいつ……『ディザイアシンドローム』の時の……!?)

 友人の新聞記者ナターシャによると、確かジャーンとかいう雑魚の怪物だ。あの市庁舎の戦いではヴェロニカ自身も大量のジャーンを倒した記憶がある。単体では大した脅威ではないが、集団で襲い掛かってこられるとそれなりに厄介だ。


「……っ」

 と、公園の周囲の暗闇から同じようなジャーン達が次々と出現する。ヴェロニカに敵意を剥き出しにして唸り声を上げ、鉤爪を踏み鳴らす。

(な、何で今になってまたこいつらが……? あの時逃げた奴等が表に出てきたの?)

 かつてヴェロニカやジェシカが敗北したシャイターン達がこの街に戻ってきたのだろうか。一瞬そう思ったが、周囲のジャーン達は彼女にそれ以上考える時間を与えてくれなかった。

「キキィッ!!」
「く……!」

 一斉に飛び掛かってくる怪物達。ヴェロニカは素早く『力』を集中して応戦する。『衝撃』を使って手近なジャーン達を吹き飛ばす。その隙に撃ち漏らしたジャーンが鉤爪を振り下ろしてくるが、『障壁』を展開してガードする。そして素早く『力』を切り替えて、『衝撃』で弾き飛ばす。

 『衝撃』だけでは奴等を殺しきれない。ヴェロニカは再び起き上がって襲ってくるジャーン達の攻撃を『障壁』で防ぎつつ、並行して『力』を集中させる。

 そして一体ずつ『弾丸』で仕留めていく。ミラーカやジェシカら前衛がいない時に単独で戦うケースも想定して訓練を続けてきた成果によって、ヴェロニカは『障壁』を張りつつ、並行して攻撃動作も行えるようになっていた。

 その成果は覿面で、程なくしてジャーン達を殲滅する事が出来ていた。倒したジャーン達は皆、空気に溶け込むようにして消滅してしまい死体も残らなかった。それもまた市庁舎の時と同じだ。 

(一体どういう事? 何故こいつらが再び……)

 ただのストーカー退治のつもりが思わぬ事態となり、ヴェロニカは思案に暮れてしまう。その為、公園の外から闇に隠れるようにして今の彼女の戦いぶりを観察している存在がいた事に気づかなかった。

 そしてその存在は戦いを見届けると、彼女に気づかれないままに彼女のアパートがある方角に一足早く飛び去っていった。




 釈然としない気持ちのままアパートに戻ってきたヴェロニカ。きっとカロリーナはもう寝てしまっているだろう。まさか彼女に怪物の事を説明する訳にもいかないので、ストーカーの事をどう説明しようか悩んでいた。

 そして部屋の鍵を開けようとして……彼女は部屋の中から強烈な『陰の気』が漏れ出ている事に気づいて目を見開いた。

 鍵を開けるのももどかしく、念動力を使って強引に扉を開けて中に踏み込む。そこには……


「くくく……いけませんねぇ、美しいお嬢さん。あなたのような女性がこんな夜更けまで遊び歩いているのは感心しませんぞ?」


「……っ!?」

 部屋のリビングに見知らぬ男がいた。やや浅黒い肌で堀の深い顔。アラブ系の容姿だ。そしてその男の腕の中に……気を失っているカロリーナが囚われていた。

「私のメッセージは気に入って頂けなかったようで残念ですな」

「……っ! あなたが、あれを……! 今すぐに彼女を離しなさい。一度しか言わないわよ?」

 警告しつつ密かに『力』を集中させる。この『陰の気』からして男は人間ではない。遠慮は無用だ。カロリーナを巻き込みかねないし狭い室内なので、使うなら『衝撃』よりも『弾丸』だ。しかし男はそんな彼女を嘲笑う。

「くく……あなたの戦い方は先程の公園で拝見させて頂きました。小細工は通用しませんよ?」

「……!」
 あのジャーン達はこの男の差し金だったのだ。という事は……

「あ、あなた……シャイターンなの?」

「いかにも。マリード様の眷属として選ばれたのは市の職員や議員だけだと思っていましたか?」

「……目的は私達への復讐? だとしてもカロリーナは関係ないわ。彼女を解放して!」

「そうは行きませんな。今日は挨拶代わりのような物です。近い内に必ずあなたは私と再会するでしょう。この女性はその担保として預かっておきます。安心しなさい。利用価値(・・・・)がある内は殺しはしません」

「……っ! ふざけるなっ!」

 ヴェロニカは反射的に『弾丸』を放とうと腕を掲げるが、男は素早くカロリーナを盾にする。ヴェロニカの動きが止まる。男はその隙にカロリーナを抱えたまま部屋の窓辺に近寄った。そして窓を開けるとその枠に足を掛ける。

「待ちなさい! 彼女を離して!」
「ふぁはは! ではまた会いましょう、ミス・ヴェロニカ!」

 男が哄笑すると、その背中から巨大な蟲翅が出現する。ヴェロニカが驚いて後ずさると、その蟲翅が高速で振動し始める。男はそのまま窓の外へと飛び出した。そしてカロリーナを抱えたまま夜の空へと飛翔していく。

 ヴェロニカが窓辺に駆け寄った時には、男は人一人を抱えているとは思えないスピードであっという間に彼方へと飛び去っていってしまった。


「く……カロリーナ……! 何て事……!」

 ヴェロニカは歯噛みした。完全に後手に回ってしまった。結果カロリーナをむざむざ攫われる事を許した。

(急いでローラさんに相談しないと! 人外絡みならミラーカさんにも協力してもらえるかも)

 もう迷惑云々などと言っていられない状況だ。人外の怪物が絡んでいるとなると、事はヴェロニカ1人の手には余る。ローラ達の協力を得るしかない。

 ヴェロニカは早速明日にでもローラを直接訪ねる決心をしていた……
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