File23:グレート・ハンティング

文字数 2,983文字

「グゥ……!?」

 ジェシカが最上階に続くドアを潜った瞬間、一緒にいたはずのヴェロニカとセネムの気配が消えた。匂いまで消えたのだ。更に目の前には広い講堂のようなホールが広がっていた。

 廊下ではなくいきなりこのような部屋に出る事自体、建物の構造として不自然だ。しかもこの講堂はかなり広い。それこそ最上階のフロアがすっぽりと収まってしまいそうで、物理的にもありえない。

「……!」

 2人の姿が消えた事といい、この不可解な現象にジェシカは即座に敵の罠に嵌ったのだと悟った。だが振り返ると、たった今潜ってきたはずの扉が消失して講堂の壁が聳えているだけであった。


「ほぉ……これは……実に珍しい種類の獣だな。ハンティング(・・・・・・)のし甲斐がありそうだ!」


「ガゥッ!?」

 突然後ろから響いてきた男の声にジェシカは驚いて振り返った。講堂に入った時には確かに誰もいなかったはずだ。

 講堂の奥の壇上に、1人の男が佇んでいた。60歳過ぎと思われる初老の男であった。黒っぽい髪にちらほらと白い物が混じっている。だがその目はギラギラと精気に満ちてジェシカの姿を見据えていた。


「市議会議員のフランシス・ジャン・コルトーだ。歓迎しよう、獣の少女よ。さあ、儂に究極の狩りの興奮を体験させてくれ……!」


 フランシスと名乗った男が壇上で芝居がかった動作で両手を広げる。フランシスの放つ気配は明らかに人間のそれではなかった。恐らくセネムが言っていた霊魔(シャイターン)とやらか。

「ガゥゥゥッ!!」
 ジェシカは一声吼えると、壇上のフランシス目掛けて一気に飛び掛かった。だが……

 キキキキッという奇声と共に、座席の陰に隠れていたと思しきジャーン達が何体も飛び出てきて、ジェシカに襲い掛かった。

「グッ……?」

 雑魚とはいえ放置する事は出来ない。やむを得ずジャーンへの対処に追われるジェシカ。相手の攻撃を躱し、受け止め、お返しに引き裂き、嚙み砕く。押し寄せるジャーンを次々に屠っていると、突如として背中に強烈な殺気を感じた。

 と、次の瞬間には銃声(・・)と共に、脇腹辺りに激烈な痛み。

「グ、ガァッ!!」

 血を吐きながらも、何とか身体を横転させるようにしてジャーン達の追撃を躱しつつ壇上に向き直る。


 ――そこに奇怪な怪物の姿があった。下半身(・・・)は体高が7フィート(2メートル以上)程もある巨大な毛むくじゃらの犬だ。しかし本来は頭がある場所から人間の……フランシスの身体が生えていた。

 ケンタウロスの犬バージョンとでも言うのか、同じ獣人(・・)とは言ってもジェシカやその父親達とは根底から異なる歪な様相。更に奇怪なのはそれだけではない。

 上半身に当たるフランシスの身体は両腕が金属質に変形し、まるでライフル銃のような形状となっていたのだ。

 下半身が巨大な猟犬の身体に、両腕が銃に変形した男……。それがフランシスの霊魔(シャイターン)としての姿だった。


『儂はいわゆるスポーツハンティングが趣味でねぇ。カナダやアラスカ、時にはアフリカにまで遠征して様々な獣を狩ってきた。ふふふ……儂の家に新たな、そしてユニークな剥製(・・)を飾れるのが楽しみで仕方ないな』

「……ッ!?」
 ジェシカの全身に悪寒が走った。フランシスの目は、表情は、ジェシカを『敵』ではなく『獲物』と見做していた。ジェシカを本物の獣のように狩りで仕留め、剥製にすると言っているのだ。

 悪寒は次の瞬間には激情に取って代わった。心は人間である半人半獣の少女にとって、狩りの獣扱いは極めて屈辱的であった。

「グルルルルゥゥゥッ!!」

 怒りと屈辱を原動力に変えてジェシカが飛び掛かる。だが彼女の爪は空を切った。

「グッ!?」
『ふふふ! いいぞ、もっと抗ってみせろ!』

 何とフランシスは飛び上がってジェシカの攻撃を躱すと、その四肢で壁に張り付き、そのまま壁を走り出した!

 そして走りながら腕が変化したライフル銃を向けてくる。最初の不意打ちの一撃は、並みの銃弾など通さないはずのジェシカの肉体を容易く突き破って脇腹に銃創を穿った。ジェシカと言えども当たり所が悪ければ致命傷を負う可能性もある。

 轟音と共に発射された銃弾を必死になって躱す。しかし躱した所に生き残りのジャーン達が飛び掛かってくる。

「ガゥ!!」

 苛立たし気に唸ってジャーンを引き裂くジェシカ。だが一瞬動きが止まった彼女の太腿にフランシスの銃弾が貫通する!

「ギィッ!!」
『ふふふ、ほら、どうした? 止まっている暇はないぞ?』

 苦痛に呻くジェシカに、上からフランシスの嘲笑が浴びせられる。歯軋りしたジェシカは、太腿の傷を押して邪魔するジャーンを蹴散らしながら、獣の四肢で壁に張り付いているフランシス目掛けて跳躍する。

 だがフランシスは壁から別の壁にジャンプするようにして、またもジェシカの攻撃を躱してしまう。

『ふふふ、そら、お次はこれだ!』

 今までは右腕のライフル銃ばかりを使っていたフランシスが、今度は左腕の銃を向けてきた。右腕の銃はいわゆるハンティングライフルのような形状をしていたが、左腕の銃は若干形状が異なっており、警察や軍隊が装備するアサルトライフルのような形状をしていた。

「……!!」

 ジェシカがそれに気付いた時には、フランシスの左腕が恐ろしい勢いで火を吹いた。タタタタッ!! と間断ない射撃音が鳴り響き、ジェシカは凄まじい猛射に晒される事になった。

「グッ! ガァッ! グワアァッ!!」

 何とか座席の陰に隠れてやり過ごそうとするが、魔力を帯びたマシンガンの掃射は座席を一瞬でボロ屑に変えて、容赦なくジェシカの銃弾の豪雨に晒す。周りにいたジャーン達が巻き込まれて悲鳴と共に消滅していくがフランシスはお構いなしだ。

 最早ジェシカに出来る事は、ひたすら防御に徹して耐える事のみとなっていた。だがそれはフランシスにとっては格好の『的』にしか過ぎなかった。

「ッ!!?」
 ジェシカの身体がビクンと跳ねる。腹に巨大な銃創が穿たれていた。左腕の掃射で足を止めた所に、右腕の狙撃で止めを刺す。ジェシカは見事にその戦法に嵌ってしまったのだ。


(ち、ちく、しょ……)

 激痛と流れ出る血で立っていられず、その場に崩れ落ちてしまうジェシカ。余りのダメージに変身を維持していられなくなり、人間の姿に戻ってしまう。身体中傷だらけの全裸の少女が虫の息で横たわっていた。

『ふむ、もう少し楽しませてくれると思っていたが、まあこんな物か』

 ジェシカが戦闘不能に陥ったのを確認して、フランシスが壁から着地してこちらに歩いてくる。霞む視界の中、近付いてくるフランシスの異形を見つめるジェシカの目に悔し涙が溢れる。

(あ、あたしは……こんな所で、負けられないってのに……)

 これが父親のリチャードだったらフランシスの銃弾など物ともせずに肉薄して、容易く屠り去っていただろう。自分の力の無さが恨めしかった。ローラを助けられない事が悔しかった。

(ご、ごめん……ローラ、さん……)

 そしてジェシカは完全に意識を失った。
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