File33:夜明け

文字数 4,249文字

「終わった、の……?」


 ローラは呆然として呟く。ミラーカに促されるまま矢継ぎ早に忙しくしていた為に、今一つ実感が湧かなかった。


「ええ、間違いなく、ね……。全部あなたのお陰よ。本当にありがとう、ローラ」


 ミラーカも流石に疲労困憊の様子で、地面にへたり込んだままであったが、それでもローラの方を見て気丈に微笑む。傷だらけの身体が痛々しかった。特に左腕など根元から切断されてしまっている。ローラは慌てて彼女の方に駆け寄る。


「ミ、ミラーカ、大丈夫なの!?」

「ええ、ふふ……今はこんな有様だけど、何日かすれば元通りになると思うわ。だから大丈夫よ」

「はぁー……今更ながらに、吸血鬼って凄いのねぇ……」

「ふふふ、そうよ。見直した?」

「見直すも何も……私にとってあなたは会った時から最高の女性よ」

「……ッ。そ、そうなの? ま、まあそう思うのも当然かしらね?」

「ふふ、吸血鬼でも耳が赤くなったりするのね?  こういうミラーカも新鮮で可愛いわね」

「……ッ!」


 いよいよ返答に窮したミラーカは、増々顔を赤らめてそっぽを向いてしまう。死闘を制したばかりでいつもの精神的な余裕がないらしく、滅多に見られないミラーカの新鮮な姿であった。ローラは内心の可笑しさから笑い出しそうになるのを必死に堪えた。2人の女がそうして互いの想いを暖め合っていると……


「おいおい、見せつけてくれるじゃねぇか。こっちはむさ苦しい野郎と組んず解れつしてたってのによ」


 精悍な、それでいて疲れ切った男の声。ダリオだ。見ると焚火跡の向こうに、今度こそ完全に動かなくなったイゴールの死体が転がっていた。


「あら、生きてたのね、ダリオ」

「おい……」

「ふふ、冗談よ。あなたにはすっかり助けられちゃったわね。でもよりによってあなたが私を助ける為に、危険を冒して来てくれたなんて以外ね?」


 ダリオは目を逸らして鼻を鳴らす。


「ふん! 俺にどんだけ言われてもへこたれないお前の根性だけは買ってるんだ。こんな所で訳の解らん化け物共に殺されるには惜しいと思ったってだけさ」

「ダリオ……」

「勘違いするなよ? 刑事としてのお前を認めた訳じゃないからな? 俺に言わせりゃ独断専行が過ぎるお前は、刑事としちゃ半人前も良い所だ」

「そうかしら? 時に大胆な行動と臨機応変の判断も刑事には必要な要素だと私は思うわ」

「見解の相違ってやつだな」

「本当に残念。……でもそれとは別に、今回の事は本当に感謝してるわ。ありがとう、ダリオ」

「ああ……まあ、いいって事よ」


 ローラはミラーカの方に向き直る。


「それで……どうするの、『ソレ』?」


 ヴラドの灰を収めた宝石箱である。ミラーカは傷ついた身体に鞭打って立ち上がると宝石箱を手に取る。


「これは私が責任を持って封印するわ。今度こそ……誰にも見つからない場所に、ね……」

「え……それじゃこの街を離れるって事?」

「ええ……しばらくの間だけれど。でも私は必ずこの街に戻ってくるわ。あなたに……再び会う為に」

「ミラーカ……解った。信じて待ってるわ」


 ローラはしっかりと頷いて、ミラーカと見つめ合った。ダリオはその光景を見てウェッという感じで顔を顰めていたが、ローラは意図的に無視する。


「自分達の世界に浸ってるのはいいけどよ。お前らその格好で街に帰る気か?」

「格好って……あっ!」


 ダリオに言われて、ローラは今の自分達の姿に思い至った。

 ミラーカは黒のボンテージファッションで、しかもあちこち破けて凄い事になっている。そもそも彼女は片腕が無い状態なので、このまま街中に出たら大騒ぎになる。ローラの方も、胸と腰だけを白い布で覆った非常に煽情的な姿だ。

 大都市であるロサンゼルスは夜でも大勢の人間が出歩いている。人に見られずに自宅まで戻るのは極めて難しいだろう。ミラーカがクスッと笑う。


「まあ私の方はどうとでもなるけど、ローラの方が問題よねぇ」

「ダ、ダリオ! あんた上着だけでいいから貸しなさいよ!」


 ダリオがニヤッと笑う。

「へへ、別に構わねぇが、これは貸しだぞ?」
「むむ……!」

 ローラは唸るが背に腹は代えられない。ダリオの上着を羽織らせてもらった。これで多少は人目を凌げる。後はなるべく人目に付かないように帰るだけだ。


「ふふ、それじゃあ戻りましょうか。私達の日常へ…………ッ!」


 ミラーカがそう締めくくって皆が帰路に着こうとした時、急に彼女は何かを思い出したように驚いて立ち止まった。


「ミラーカ? どうしたの? 何か気になる事でも……?」


 ローラは不安そうに尋ねる。この上また何か新たな問題発生というのは正直勘弁して欲しい所であった。ミラーカがローラとダリオの顔を見比べて呆然と呟く。


「待って…………アンジェリーナは? アンジェリーナはどうなったの? 確かあなた達の前に現れたはずでしょう? 私はヴラドとの戦いに集中していて解らなかったけど、そう言えば彼女をどうやってやり過ごしたの?」


「「……あっ!!」」


 期せずしてローラとダリオの声が重なった。


「そうだ! 警部補っ……!」

(何で忘れてたんだろう!? アンジェリーナは警部補が引き付けていてくれたんだ!)


 ダリオも同様に思い出したらしく愕然とした表情をしている。


「ミ、ミラーカ! 大変よ! アンジェリーナは警部補が囮になって引き付けてくれたの! き、きっと今頃はもう……!」


 ローラの脳裏には怪物化したアンジェリーナの姿が浮かんでいた。間違いなく同じ姿になったシルヴィアやミラーカと同等の戦闘能力を持っているはずである。マイヤーズ1人でどうにかなる相手ではない。最悪の結果にローラは身を震わせる。


「クソッ! 何で忘れてたんだ! すぐにでも応援に駆け付けてれば……!」


 ダリオも悔し気に悪態を吐いている。そんな中ミラーカは訝し気な表情になる。


「待って、おかしくないかしら? あの警部補が殺されているとして、何でアンジェリーナはすぐに戻って来なかったの? と言うより何故今になっても(・・・・・・)戻って来ないの?」

「そ、それは……他の人間に見られたからとか……?」


 自信なさげなローラの返答にミラーカはかぶりを振る。


「それならグール共を使えばいい。彼女は侵入者の排除を命令されていたはず。そのダリオだってまだ居たんだから、主人のヴラドの命令も無視して戻って来ないのは不自然よ」

「だ、だったら何だって言うんだ? 実際に戻ってきてないのは事実だろ!?」

「解らない……だから腑に落ちないのよ」


 ダリオの戸惑いの声にミラーカは難しい顔で考え込む。
 そんな時だった。



「お前達、皆無事だったんだな!? ヴラドを倒したのか!?」
「――ッ!?」



 こちらに向かって走ってくる足音と共に闇の中から姿を現したのは……


「け、警部補!? ぶ、無事だったんですか!?」


 ダリオの素っ頓狂な声。あちこち傷は負っているが、それは正しくアンジェリーナを引き付けて囮になったはずの、リチャード・マイヤーズ警部補その人であった。

「警部補! 良かった……!」

 その無事な姿を見たローラは、最悪の結末が回避された事にホッと胸を撫で下ろすのだった。ダリオも素直にマイヤーズの無事を喜んでいた。だがミラーカは1人だけ、やはり腑に落ちない表情のままであった。


「警部補……無事だったのは何よりだけど、アンジェリーナはどうなったの? まさかあなたが倒したとか言わないでしょうね?」

「ミラーカ? ……ああ、信じられないかも知れないが、そのまさかさ。私の銃が偶然、奴の延髄を貫いたようなんだ。心臓は予め撃ち抜いてあったから、それが決定打になったようでね。塵のように崩れて消え去ったよ。まあ奴が怒りに我を忘れて、急所の防御を疎かにしていてくれた事も幸運だったがね」

「……そう」


 マイヤーズの話を聞いても、ミラーカはまだ釈然としない様子であった。だが思い直したように首を振る。


「まあいいわ。アンジェリーナが戻って来ないのは事実だし、であればあなたが倒したというのも事実なんでしょう。良くやってくれたわ。彼女が戻ってきていたら、どうなっていたか解らなかった。本当に……望外の戦果よ」


 マイヤーズが少し照れた様子になる。


「いや、なに。ただ生き延びようとがむしゃらにやっていただけさ。だが君達の役に立ったのなら嬉しいよ」

「役に立たった所じゃありませんよ! 凄すぎます、警部補! 私、増々警部補を尊敬しちゃいました!」


 ローラのやや興奮気味の賛辞にダリオも頷く。


「全くです。正直警部補の事を誤解していました。あんたは最高にタフな警官ですよ! ……で、警部補。さっきから気になってたんですが、何で服が変わってるんですか? スーツの柄、そんなんじゃ無かったですよね?」

「ん? ああ、これか。その……恥ずかしながら元の服はあの女にボロボロにされてしまってね。困っていた所に何故か服だけが落ちていたんで失敬させてもらった。非常時という事で一つ頼むよ」

「恐らくアンジェリーナが殺した人間……グールの物ね。元になった主人が死ぬとグールもまた塵になって崩れ去るのよ」


 ミラーカの説明にマイヤーズも納得していた。


「なるほど、それで……。まあ何せよ私にはありがたかったがね。ローラも失敬したらどうだ。場合が場合だし、やむを得んだろう」

「! そうですね。彼等には申し訳ないけどそうさせて貰います。残念だったわね、ダリオ? 貸しはまた今度の機会になりそうね」

「ちっ! 勝手にしろ!」


 彼等のそんなやり取りに目を細めつつ、ミラーカは今度こそ締めくくる。


「さあ、これで吸血鬼は殲滅できたはずよ。今度こそ帰りましょうか」


 ローラも力強く頷く。悪夢の夜は明ける。明日からはまたいつもの日常が戻ってくる。ミラーカは必ず帰ってくると約束してくれた。ならば自分はそれを信じて待つだけだ。


 そして彼らは人間の世界へと戻っていくのであった……
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