File10:恐怖のブラックホール
文字数 6,032文字
ジェイルに通じる出入り口の前は大きめのフロアになっている。ここに警備部の残りの人員が集結していた。数はざっと10人以上。全員がマシンガンを構えている。いや、1人だけ……
「くたばれ、化け物めがっ!」
その警官は『シューティングスター』がフロアに入って来た瞬間、構えていた……ロケットランチャーを撃ち出した!
「……っ! 伏せろっ!」
後を尾けていた4人は、ニックの警告で一斉に床に伏せた。いや、正確にはナターシャだけ反応できずに硬直していたので、クレアが引っ張って強引に床に伏せさせたのだが。
直後に爆音。そして爆風。少し離れた所に伏せているクレア達の所まで衝撃が届くほどの威力だった。恐らくあのフロアにあった物は根こそぎ吹き飛んだ事だろう。そしてそれだけではなく、追撃とばかりに残りの警官達が一斉にマシンガンを撃ち出した。
「きゃあぁぁぁぁっ!!」
轟く銃撃音に、床に伏せたままのナターシャが頭を抱えてうずくまりながら悲鳴を上げる。クレアは彼女の上から覆い被さるようにして保護しながら、必死に顔だけを上げて
最初のロケットランチャーの爆煙がようやく晴れた。勿論この間も銃撃は継続している。煙が晴れた時、そこには……
「あ……う、嘘……」
クレアは思わず呆然とした呟きを漏らしていた。『シューティングスター』は全くの無傷でそこに佇んでいた。しかし奴を覆うバリアの色が今までと異なっていた。今までは薄く青っぽい膜であったが、今は緑色の膜に覆われている。見た感じ何となくだが膜の
「……バリアの
「……!」
クリスの推測に息を呑む。つまり『シューティングスター』は今まで
「恐らく対軍隊用に使うつもりだった物じゃないかな。ここで使わされたのは奴にとっても予想外だったかも知れないよ?」
ニックが何の慰めにもならないような事を言う。クレアが睨むと彼は苦笑した。
「まあそれだけじゃなく威力や防御力が高い兵装は、
「…………」
確かにそれなら納得出来る理論ではある。だがこの場では、結局『シューティングスター』は何のダメージも負っていないという事実への打開策には繋がらなかった。
いつしかマシンガンの銃撃も止んでいた。まさかロケットランチャーの直撃を受けても無傷というのは、警官達の想像の埒外であったのだ。
動揺する彼等に向かって『シューティングスター』が右手の銃を変化させて仕舞うと、今度は両手を突き出すような動作をした。
すると警官達の眼前……丁度フロアの中央部辺りに青黒い球状の何かが出現した。大きさはバスケットボールより少し大きい位か。何かの物質というより青い光の塊のように見える。
「あ、あれは……」
ナターシャが何か言い掛けた時、その青黒い光の塊が急速に明滅して振動し始めた。それと同時に警官達の身体が浮き上がった。先程と違うのは警官達だけでなく、そのフロアに散乱していた全ての物体が無差別に浮き上がっている事だ。あのフロア一帯が無重力空間と化したかのようだ。
それだけでも信じられない驚嘆すべき光景だが、驚くのはまだ早かった。
「うわ!? うわあぁぁぁぁぁっ!!」
為す術も無く浮かんでいた警官達が悲鳴を上げる。フロアの中央部にある青黒い光は、まるで渦を巻くようにそのフロアにある全ての物を
散乱していたデスクや椅子、ソファ、ラック、観葉植物といった雑多な物品が唸りを上げて吸い込まれていく。勿論一緒に浮いていた警官達も同様に……!
吸い込まれた物は中心にある青黒い光に触れた瞬間に、粉々に粉砕されてそのまま青黒い光の中に消えていく。
「こ、これは……超極小規模の疑似
「な……!?」
クリスの言葉に、クレアは何度目になるか分からない驚愕に表情を歪めた。
「その手すりに掴まれ! 吸い込まれたら角砂糖より小さく押し潰されるぞ!」
「……っ!」
クリスの警告に全員が顔を引き攣らせて急いで彼が指し示す、壁に取り付けられた頑丈そうな手すりに駆け寄る。そして次の瞬間にはブラックホールの重力場がクレア達のいる地点にまで及んだ!
「く……あああぁぁぁぁ!!」
いきなり自分の体重が消えたかのような感覚に戸惑うのも束の間、両足が床から浮き上がり急速にブラックホールに向かって吸い込まれ始める。クレアは叫びながら必死に手すりを掴む手に力を込める。
だがブラックホールの吸引力はゾッとする程強く、クレアは徐々に両手が手すりから引き剥がされつつある事を自覚して青ざめる。必死に力を込め直そうとするが手に力が入らない。
「い、嫌ぁぁぁっ!」
(う、嘘……そんな……。い、嫌……嫌だ! 死にたくない……! こんな死に方絶対に……! た、助けて……助けてぇ……!)
既に吸い込まれた警官達の姿は跡形もない。クリスの言う所の「角砂糖よりも小さく押し潰された」のだろう。このままでは自分も確実にその後を追う事になる。クレアは涙を流し、恥も外聞もなく悲鳴を上げた。と、その時……
「クレアッ!」
「……!」
力強い手が、手すりから離れ掛かっていた自分の手をがっしりと掴んだ。見るとニックであった。
「ニ、ニック……!」
「もう大丈夫だ。僕は君を絶対離さないから安心して」
「……っ!」
自身は片手で手すりを把持し、もう片方の手でクレアの腕を掴んでいるという不安定な体勢にも関わらず全く辛そうな様子もない盤石な姿に、クレアは心の底から安堵し深い安心感に包まれた。
だがクレアが限界に来ていたという事は当然……
「あ……あぁ……嫌ぁ……」
絶望的な泣き声を上げるのはナターシャだ。もうその手は、指は手すりから殆ど離れ掛かっていた。そして……遂にその手が手すりから完全に離れた!
「きゃああァァァァァァァァァァッ!!!」
甲高い絶叫と共に、ナターシャの身体がブラックホールに向かって足から引き寄せられていく。
「ナターシャぁぁぁっ!」
クレアも絶叫していた。ニックの手は既に塞がっており、クレア自身も手の感覚が無く手を差し伸べる事さえ不可能だった。
為す術も無くブラックホールに引き寄せられていくナターシャ。終わりだ。クレアは彼女の死を覚悟した。だが……
――ガシッ!!
「……っ!?」
ナターシャの身体が止まった。その腕を掴んでいるのは……何とクリスであった。
「ぁ……」
「……ふん。10分前までの威勢はどうした、ハゲタカ?」
「……!」
ナターシャの目が信じられない物を見たかのように見開かれる。クリスは手すりにしがみ付いている間に、スーツの下に身に着けていたハーネスのような物を使って、手すりと自分の身体を繋いで固定していたようだ。それによって両手を使ってナターシャの身体を引っ張る事を可能としている。
「だから言っただろう。精々近付き過ぎてライオンに食われんようにな、と!」
喋りながら全身の力を使ってナターシャを引き寄せる。そして自分の身体に密着させると、彼女の背中に両腕を回して抱え込んだ。それは……傍目には抱き合っているような体勢であった。
「……っ!」
「動くな、馬鹿が! じっとしていろ」
その事に気付いたナターシャが思わず身じろぎし掛けるが、クリスに一喝されて大人しくなった。ただしその頬は心なしか赤らんでいるようにクレアには見えた。
「おや、クリス氏は中々大胆だね。僕も紳士として負けてはいられないな……!」
「ニ、ニック!?」
クレアが驚いたのも束の間、物凄い力で引っ張り上げられ、気付くとクレアはニックの胸に密着した状態で彼の腕に抱きかかえられていた。
「これでもう安心だ」
「……っ」
恋人の腕の中で、クレアはナターシャに負けず劣らず顔を赤らめていた。そんな風に四人二組となって地獄の吸引に抗っていると……
前触れなく唐突にブラックホールが消滅した。同時に荒れ狂っていた重力場が正常に戻り、4人は一斉に床に落下して尻餅を着いた。だがクレアはニックに、ナターシャはクリスに抱きかかえられた体勢はそのままだ。
どうやらブラックホールの
『…………』
『シューティングスター』がゆっくりと……クレア達の方を振り向いた。警官達の相手をしている内は気付かなかったが、彼等がいなくなって初めて後を付いてきていた者達の存在に気付いたようだ。
「ひっ……」
ナターシャが押し殺したような悲鳴を漏らす。クレアも悲鳴こそ上げなかったが恐怖で身体が硬直する。
「……それでいい。動くな。我々には抵抗や応戦の意思がない事を……つまり『
クリスの静かな警告。4人はまるで石の置物にでもなったかのように、一切の身じろぎも止めて息を殺した。『シューティングスター』の非人間的な
実際の時間は恐らく10秒にも満たない程度か。だがクレアには体感的に1時間以上に感じられる時間が過ぎた後、『シューティングスター』はクレア達から視線を外しジェイルの方に向き直った。そして再びアーマーを変形させて銃を作り出すと、光の粒子を発射させて扉を破壊し、ジェイルの中へと消えていった。
4人は一斉にフゥーーーと息を吐いて、その場にへたり込んだ。
「やれやれ……生きた心地がしなかったよ。この宇宙にあんな連中が大量に住んでいる惑星が存在するという事実に、どうにもゾッとさせられるよ。アイツが奴等の種族におけるヒクソン・グレイシーである事を祈りたいね」
そう言って苦笑するニック。クレアは身体が震えて彼の腕の中からまだ出れずにいた。
「ニ、ニック……本当にありがとう。あなたは命の恩人よ」
「おお、クレア! 気にしないでくれ。君を助けられて僕も本望さ! 美しい女性を助けるのは男の喜びさ。そうだろ、クリス氏?」
ニックが揶揄するような言葉と視線を向ける先には、やはり未だ抱き合った体勢のままのクリスとナターシャがいた。
「……っ!」
クリスが何か言う前に、今の体勢を改めて認識したナターシャが反応して、大慌てでその身を引きはがして離れた。ただしその顔だけでなく耳まで紅潮させたままであったが。
「……そ、その……あ、ありがとう。でも、何で私を助けたの……?」
言いづらそうに、それでも素直に礼を言うナターシャ。同時に当然の疑問も。クレアの目から見ても、クリスは余り身を挺して人を助けるようなタイプには見えなかった。ましてや直前までいがみ合っていたナターシャである。
「ふん……マスコミのいけ好かん女には違いないが、それでもお前が美しい女である事に変わりはないからな」
「……っ!?」
「え……?」
真顔でそう述べるクリスに、ナターシャは硬直し、クレアは唖然としてしまった。ニックも一瞬唖然としていたがすぐに軽く噴き出した。
「ぷ……ははは! なるほど……どうやら高校時代から、そこまで大きく人間性が変わってしまった訳でも無かったようだね!」
当時高校でも目立つ美少女だったローラやゾーイに対して二股を掛けたプレイボーイの本質は変わっていないという事か。少なくとも今までの諜報機関のエージェント然とした態度や言動からは想像もつかない動機であった事は確かだ。
「う、美しいって……本気で言ってるの?」
だがナターシャは軽蔑するどころか、増々頬を紅潮させてしまう。どうやら面と向かって美しい女と真顔で言われた事に動揺しているらしい。以前ローラのアパートに行った時も感じたが、ナターシャはこういう方面で意外と初心なようだ。
「? 何故俺がこの場で嘘など言わねばならん?」
「……っ! うぅ……!」
即座に肯定され、増々動揺して縮こまってしまうナターシャ。真っ赤になった顔を見られたくないようだ。流石に少し可哀想になってフォローしようとしたクレアだが、その時『シューティングスター』が入っていったジェイルの奥から光が明滅し、銃声や人の悲鳴が轟いてきた。
「……!!」
(そうだ……ローラ!)
命が助かった事で気が抜けていたが、そもそも『シューティングスター』の
「く……!」
咄嗟に立ち上がろうとしたクレアだがニックに腕を引かれる。
「駄目だ、クレア! 折角助かった命を溝に捨てる気かい?」
「で、でもこのままじゃローラが……!」
クレアが必死に訴えるがニックはかぶりを振った。
「今僕等が駆け付けても出来る事は何一つない。ここはこれまでの超常犯罪を乗り切ってきた彼女の機転と強運を信じる他ない。いいね?」
「……っ」
クレアは何も言えずに唇を噛み締める。そう……確かにそれしかない。友人の危機に祈る事しか出来ない自分が堪らなく無力で嫌だった。
「心配せずとも彼女は死なん。こんな所ではな」
「……!」
クリスであった。妙に静かな口調と目線でジェイルの方を見つめている。
「そう……死ぬはずがないんだ。彼女には
「な、何かって、何よ……?」
ナターシャが戸惑ったように問い掛けるが、ニックは「ほぅ……」と、少し興味を持ったように面白そうな表情となる。
「そこまでは解らん。だがその
「…………」
誰も何も言えずに、ただ何となく皆で『シューティングスター』が去ったジェイルの出入り口に視線を向けた。
(お願い、ローラ。どうか無事でいて……!)
クリスが何と言おうと関係ない。クレアはただ友人の為に一心に祈り続けた……