File48:死せる神の祝福を
文字数 6,218文字
廃病院1階のロビー。今ここに4つの遺体が並べられていた。4人は全員が若い女性である。
「嘘よ……。こんなの……嘘よ。そうよ……。これは夢。悪い夢なんだわ……」
その遺体を前にしたローラは呆然と呟いた。目の前の光景が現実の物とは思えなかった。
ジェシカ、ヴェロニカ、シグリッド、そしてセネム……。4人は明らかに死んでいた。フェイクなどでは決してない。4人は……死んでしまったのだ。
ニックとの戦いに無事勝利したローラ達は、同じく戦いに勝ったらしいミラーカとゾーイの2人と合流した。ミラーカは勿論信頼していたが、ゾーイも服がボロボロになってはいたがムスタファに単独で勝利したというのは少し意外であった。だがそれは嬉しい誤算というやつで、無事であったなら何よりである。
この調子なら他の皆も……と、やや楽観的な気持ちになるのは致し方ない事だったと言える。
だが……ミラーカとゾーイは運が良かった だけなのだと、すぐにローラは思い知る事となった。
その結果が彼女の目の前に並ぶ4つの遺体であった。ミラーカやゾーイ、そしてクレア達が皆の遺体をそのままにはしておけないと、このロビーまで運んでくれたのだ。
クレアとナターシャはショックの余り茫然自失となっているマリコとカロリーナに付き添っていた。しかし彼女達自身も泣きはらしたような跡があった。
「ローラ……これは……現実よ。現実なのよ」
「ミ、ミラーカ……」
ミラーカが彼女にしては平静を欠いた震える声でローラを諭す。感情を押し殺したような彼女の様子に却って彼女の内心を見たローラは、改めてショックを受ける。
「実は私も……スパルナとの戦いでは死にかけたのよ。奴等は……何の代償 もなしに勝てるような甘い相手ではなかった。私達はそれを充分理解していたはずよ」
「……っ」
ミラーカの言葉に、ローラは唇を噛み締める。再びジェシカ達の遺体に視線を落とすと、涙がこみ上げてきた。
ジェシカの身体には死して尚無残な傷跡が痛々しかった。クレア達からエリオットとの死闘の詳細は聞かされていた。彼女はマリコや、そしてローラ達を守る為に、自らの命を引き換えにしてでもエリオットを道連れにしてくれたのだ。
ヴェロニカは傷跡はなく綺麗な身体のままだったが、フォルネウスとの戦いはやはりナターシャから詳細を聞かされていた。彼女は逆に敵によって死出の道連れとされたのだ。
セネムとシグリッドも目撃者こそいないが、その身体に残る無数の傷跡がジョンやクリスとの死闘の激しさを物語っていた。彼女等もまた自らの命を犠牲にして、目の前の強敵を道連れにしてくれたのだろう。
自らの命を犠牲にしなければ倒せない相手だったのだ。ローラはそれを頭では解っていたはずだった。しかし実感 が伴っていなかった。
『サッカー』から直近の『シューティングスター』に至るまで、これまで多くの強敵との戦いを生き延びてきた。その中には最早これまでと覚悟したような死闘や状況もあった。だが結果的にローラ達は誰も欠ける事無く、その全ての戦いを乗り切ってきたのだ。
それはいつしか……どんな強敵と戦っても自分達が団結すれば必ず勝てる、最後には何とかなる……。そんな慢心 へと変わっていた。
勿論ローラ自身は慢心しているつもりは微塵も無く、常に真剣に全力で戦いに臨んできたつもりだ。だが心の奥底にそういった気持ちが全く無かったかと言われれば……嘘になる。
少なくとも今回の【悪徳郷】との戦いに臨むに当たって、このような結果を想定していなかった事は事実だ。
【悪徳郷】が犠牲を伴わなければ勝てない、いや、或いはこちらが全滅してもおかしくはない、恐ろしい強敵だと解っていたはずなのに……!
「ふ……く……う、うぅぅぅ……!!」
ローラの口から抑えきれない嗚咽が漏れ出る。込み上げた涙が溢れだして頬を伝う。今更後悔しても全ては手遅れだ。
彼女はその場にひざまずいて口元を手で覆いながら、嗚咽と共にひたすら死した仲間達に心の中で詫び続ける。
「ロ、ローラ……」
ゾーイが同情的な様子で、しかしどう声を掛けていいのか解らずに戸惑っている。彼女も悲しんではいるが、皆との繋がりがまだ浅かったのもあり比較的冷静さを保っているようだった。
ミラーカはローラほど感情を表に出してはいないが、しかし何かを懸命に堪えるように上を向いていた。
そんな中、厳かに4人の遺体の前に進み出てくる者がいた。修道服姿の少女……モニカである。彼女は遺体の側に屈み込むと、そっと手を翳して遺体に触れた。
「……!」
そして僅かに目を見開いた。
「……モニカ? 何を……」
「私があの時、事前に皆に掛けた……大地の精霊の祝福がまだ残っています」
「え……?」
ローラは泣きはらした顔を上げてモニカを見やった。
「まだ、彼女達の魂は完全に肉体から離れてはいないという事です」
「……っ!?」
ローラだけでなく、ミラーカもゾーイも、そして離れた所で会話を聞いていたクレアやナターシャ達も、一斉に目を見開いてモニカに注目した。
「え……つ、つまり……どういう事?」
「死してから時間が経っていないのが不幸中の幸いでした。これがもう少し経っていれば、完全に手遅れ だったでしょうから。私の祝福が皆の魂を短時間、肉体に留め置く効果を果たしてくれたようです」
モニカはローラ達の方を振り返った。
「今ならまだ……皆の魂を呼び戻して蘇生する事が出来るかも知れません」
「……っ!!」
「ただしかなり困難を極めます。死の原因となった致命傷を修復しつつ、壊死してしまった脳の機能も回復させなければなりません。それと同時に皆の魂を留め置き、完全に離れてしまう前にそれらを行う必要があります」
「皆が助かる可能性があるの!? お願い! 私に協力できる事は何でもするわ! 皆を助けてっ!!」
ローラがなりふり構わない様子でモニカに縋り付く。モニカが頷いた。
「勿論私1人の力では到底為しえない難事です。ローラさんも……そして出来ればゾーイさんとミラーカにも協力して頂けると助かります」
「解ったわ。私に出来る事なら遠慮なく使って頂戴」
「わ、私も勿論協力するわよ?」
ミラーカが即座に頷いた。ゾーイも慌てて同調する。
「ありがとうございます。と言っても何か特別な事をしてもらう訳ではありません。皆さんの霊力や魔力を私に貸し与えて欲しいのです。それを以って蘇生の儀式を行います」
「わ、解ったわ。私達はどうすればいいの?」
「簡単です。私の背中に手を当てて下さい。そして儀式の間中、絶対にその手を離さないで下さい。それだけです」
モニカはそう言って、4人の遺体の前に両膝を折ってひざまずいた。祈りを捧げるような体勢だ。ローラ達は躊躇う事無く、彼女の背中に手を当てる。
「準備はいいですか? それでは始めます」
モニカが宣言すると、4人の遺体に手を翳して聞き慣れない言語で祈りを捧げ始めた。これは恐らくハンガリー語だ。だがあの過去に跳んだ時と違い、ローラには全く聞き取れなくなっていた。
だが言語の意味など理解できなくても構わない。重要なのは心だ。いや、それだけではなく……
「くっ……!」
ローラは自身の中から恐ろしい勢いで霊力が吸い取られていくのを感じた。恐らくミラーカとゾーイも同じ感覚を味わっているはずだ。皆、歯を食いしばるような表情をしていた。
それほどの量の霊力や魔力を吸い上げて、モニカが一心不乱に祈りを捧げ続ける。4人の遺体を何らかの力が覆うのが解った。そして遺体に穿たれている痛々しい致命傷が徐々に塞がっていくのも。
その奇跡の光景にローラは大きな希望を抱いた。そしてより一層の霊力をモニカに送り込むべく意識を集中させる。
それからどれくらいの時間が過ぎただろうか。当然時間を計っている余裕などないが、それなりに長い時間が経過しているような気がした。
しかし儀式は一向に終わる気配を見せない。モニカは額に脂汗を浮かべながら必死に祈りを続けている。
「くっ……」
「モニカ……!?」
そのモニカが苦し気に呻いて身体をよろめかせる。ローラ達は思わず気遣うがモニカ自身に制止される。
「だ、大丈夫です。手を離さないで下さい」
だが気丈な言葉とは裏腹に、かなり辛そうな様子だ。
「もう大分祈っている気がするけど、まだなの?」
ミラーカが彼女を気遣う表情を見せつつも、敢えて厳しい口調で問い掛ける。モニカがかぶりを振る。
「死した者を蘇生させる……。文字通り神の御業です。簡単には行かないと解っていましたが……魔力が……霊力が圧倒的に足りません。このままでは……!」
「そ、そんな……」
ローラが絶望に呻く。既に限界まで霊力を振り絞っている状態だ。ミラーカとゾーイも同様だろう。これで圧倒的に足りないと言われると、もうどうにもならない。クレア達は魔力も霊力も持たないただの人間なので数には入れられない。
だがもたもたしていては4人の魂が完全に肉体から離れてしまう。そうなったらもうどのような奇跡でも蘇生は不可能だ。
(そんな……嫌……駄目よ、そんなの……。何か……誰か……何でもいいから皆を助けて……!)
ローラは泣きそうになりながら必死で祈る。もうそれしか出来る事がなかった。なまじ一度希望を抱いた後だけに、それが叶わないという残酷な現実に耐えられなかった。
彼女の目から涙が零れ落ちる。それでもあきらめる事無くモニカになけなしの霊力を送り込み続けていると……
――突如その場に強大な魔力が吹き荒れた。
「な……!?」
「こ、これは……」
突然の事にゾーイが驚愕するが、ミラーカと……そしてローラには、この強大な魔力に覚えがあった 。
視線を巡らせると案の定、固唾を飲んで様子を見守っていたはずのクレアやナターシャ、マリコ達がそろって気絶していた。
そしてローラ達の前に、まるで闇が形を得たかのように姿を現したのは……
「ひっ……!?」
ゾーイが恐怖に息を呑む。初見 でモニカの背中から手を離さなかったのは褒めてもいいだろう。
闇に溶け込むかのような漆黒のローブとフード。そこから覗くのは対照的な白い髑髏の貌……。同様に白い骨の手には、人の首など一瞬で刈り取れそうな大鎌が握られている。
『死神』だ。
今回の【悪徳郷】に関連した事件では姿を現さなかったが、ここに来て再び姿を見せた真意は何か。
尚『死神』が初見なのはモニカも同様のはずだったが、特にその存在に驚いている様子が無い。【悪徳郷】との戦いにもすぐに対応していたので、どうもローラを通して外の世界 を認識していた節がある。
「……何しに来たの? 見ての通り今取り込み中だから、用件があるなら後にしてもらえないかしら?」
この中では『死神』と最も付き合い の長いミラーカが代表して問い掛ける。
『……終焉ノ時ハ近イ。ソシテ汝ラニハ抗ウ 権利ガアル』
「……相変わらず意味の解らない事をベラベラと。今はあなたの言葉遊びに付き合ってるほど暇じゃないのが見て解らない? 用件がそれだけなら苛々するから消えて――」
ミラーカの苛立ち混じりの言葉が途切れる。『死神』がその骨の手をこちらに伸ばしてきたのだ。一瞬警戒するローラ達だったが、『死神』は構わずに……何とモニカの肩にその手を触れた。
「…………っ!!」
モニカがその目を驚きで大きく見開いた。驚いたのはローラ達も同じだ。モニカの身体を通して膨大な魔力が流れ込んでくるのを感じたのだ。
これは……『死神』の魔力だ。
「くっ……な、何て濃密な魔力……! で、でも、これなら……!!」
モニカは自身に流れ込んでくる圧倒的な魔力の圧に怯みながらも、『死神』の意図を悟って素早くその魔力を蘇生の儀式に変換していく。
その効果は如実に現れ始めた。
ジェシカの、ヴェロニカの、セネムの、そしてシグリッドの顔色が……見る見るうちに血色を取り戻していくのが見て取れた。そして遂に……
「あ……あ……み、皆が……!」
ローラの見ている前で、ジェシカ達がゆっくりとだが……胸を上下させ始めたのだ。意識はないものの、4人が呼吸 をしているのだ!
「う、嘘……本当に生き返った……?」
ゾーイが呆然と目の前で起きた奇跡を眺めながら呟く。
「あ、あなた……」
ミラーカがやはり唖然とした表情で、手を離して元の位置に戻った『死神』を見やる。『死神 』が……人の命を救ったのだ。それは何という皮肉であろうか。
『終末ノ時ガ迫ッテイル……。備エヨ……ソノ時ニ……』
『死神』は一方的にそれだけ告げるとこの場から姿を消そうとする。だがそこに……
「待ってっ!」
『……!』
大きな声を張り上げて『死神』の注意を引いたのはローラだ。彼女は涙に濡れたままの目をじっと『死神』に向ける。
「何故助けてくれたのか……それは聞かないわ。でも例えどんな理由があれ、あなたの協力が無ければこの奇跡は起こせなかった。それだけは紛れもない事実よ。だから……ありがとう。あなたの目的が何であれ、私はこの恩を生涯忘れないと誓うわ」
『…………』
言葉はない。だが、何の怖れも打算もない純粋な感謝の視線と言葉を受けて、ほんの僅かだが『死神』が動揺したような気配があった。そして……
『……サラバダ』
それだけを告げて、『死神』はゆっくりと闇に同化するように消えていった。ローラは彼 が消えた空間に向かって、いつまでも感謝の視線を向け続けていた……
かくして呪われた長い一夜は幕を下ろした。『奇跡』によって甦った4人だが、意識を取り戻すにはもう少し時間がかかるとの事で、モニカの勧めに従って皆病院へ入院させる事になった。
入院その他の医療費はルーファスが全額請け負うと約束してくれた。
目を覚ましたクレアやナターシャ達にもようやく落ち着いて事情を説明する事ができ、彼女らはニックやクリスが死んだ事を改めて知らされ、しかし覚悟はしていたように涙を呑んで心の中で彼等に別れを告げていた。
ローラもジョンが本当に 死んだ事を意識して、彼の為にせめてもの冥福を祈った。
マリコとカロリーナはそれぞれジェシカとヴェロニカに付き添って一緒に病院へ向かい、ローラ達はこの悪夢の夜を生き残った僅かな人質の女性達を救出する事ができた。
ここに【悪徳郷】は壊滅し、彼等によって引き起こされた災禍もようやく終息を見た。全てを終えたローラ達は、そこでようやくモニカと向き合って彼女と落ち着いて話をする機会を得たのだった……
「嘘よ……。こんなの……嘘よ。そうよ……。これは夢。悪い夢なんだわ……」
その遺体を前にしたローラは呆然と呟いた。目の前の光景が現実の物とは思えなかった。
ジェシカ、ヴェロニカ、シグリッド、そしてセネム……。4人は明らかに死んでいた。フェイクなどでは決してない。4人は……死んでしまったのだ。
ニックとの戦いに無事勝利したローラ達は、同じく戦いに勝ったらしいミラーカとゾーイの2人と合流した。ミラーカは勿論信頼していたが、ゾーイも服がボロボロになってはいたがムスタファに単独で勝利したというのは少し意外であった。だがそれは嬉しい誤算というやつで、無事であったなら何よりである。
この調子なら他の皆も……と、やや楽観的な気持ちになるのは致し方ない事だったと言える。
だが……ミラーカとゾーイは
その結果が彼女の目の前に並ぶ4つの遺体であった。ミラーカやゾーイ、そしてクレア達が皆の遺体をそのままにはしておけないと、このロビーまで運んでくれたのだ。
クレアとナターシャはショックの余り茫然自失となっているマリコとカロリーナに付き添っていた。しかし彼女達自身も泣きはらしたような跡があった。
「ローラ……これは……現実よ。現実なのよ」
「ミ、ミラーカ……」
ミラーカが彼女にしては平静を欠いた震える声でローラを諭す。感情を押し殺したような彼女の様子に却って彼女の内心を見たローラは、改めてショックを受ける。
「実は私も……スパルナとの戦いでは死にかけたのよ。奴等は……何の
「……っ」
ミラーカの言葉に、ローラは唇を噛み締める。再びジェシカ達の遺体に視線を落とすと、涙がこみ上げてきた。
ジェシカの身体には死して尚無残な傷跡が痛々しかった。クレア達からエリオットとの死闘の詳細は聞かされていた。彼女はマリコや、そしてローラ達を守る為に、自らの命を引き換えにしてでもエリオットを道連れにしてくれたのだ。
ヴェロニカは傷跡はなく綺麗な身体のままだったが、フォルネウスとの戦いはやはりナターシャから詳細を聞かされていた。彼女は逆に敵によって死出の道連れとされたのだ。
セネムとシグリッドも目撃者こそいないが、その身体に残る無数の傷跡がジョンやクリスとの死闘の激しさを物語っていた。彼女等もまた自らの命を犠牲にして、目の前の強敵を道連れにしてくれたのだろう。
自らの命を犠牲にしなければ倒せない相手だったのだ。ローラはそれを頭では解っていたはずだった。しかし
『サッカー』から直近の『シューティングスター』に至るまで、これまで多くの強敵との戦いを生き延びてきた。その中には最早これまでと覚悟したような死闘や状況もあった。だが結果的にローラ達は誰も欠ける事無く、その全ての戦いを乗り切ってきたのだ。
それはいつしか……どんな強敵と戦っても自分達が団結すれば必ず勝てる、最後には何とかなる……。そんな
勿論ローラ自身は慢心しているつもりは微塵も無く、常に真剣に全力で戦いに臨んできたつもりだ。だが心の奥底にそういった気持ちが全く無かったかと言われれば……嘘になる。
少なくとも今回の【悪徳郷】との戦いに臨むに当たって、このような結果を想定していなかった事は事実だ。
【悪徳郷】が犠牲を伴わなければ勝てない、いや、或いはこちらが全滅してもおかしくはない、恐ろしい強敵だと解っていたはずなのに……!
「ふ……く……う、うぅぅぅ……!!」
ローラの口から抑えきれない嗚咽が漏れ出る。込み上げた涙が溢れだして頬を伝う。今更後悔しても全ては手遅れだ。
彼女はその場にひざまずいて口元を手で覆いながら、嗚咽と共にひたすら死した仲間達に心の中で詫び続ける。
「ロ、ローラ……」
ゾーイが同情的な様子で、しかしどう声を掛けていいのか解らずに戸惑っている。彼女も悲しんではいるが、皆との繋がりがまだ浅かったのもあり比較的冷静さを保っているようだった。
ミラーカはローラほど感情を表に出してはいないが、しかし何かを懸命に堪えるように上を向いていた。
そんな中、厳かに4人の遺体の前に進み出てくる者がいた。修道服姿の少女……モニカである。彼女は遺体の側に屈み込むと、そっと手を翳して遺体に触れた。
「……!」
そして僅かに目を見開いた。
「……モニカ? 何を……」
「私があの時、事前に皆に掛けた……大地の精霊の祝福がまだ残っています」
「え……?」
ローラは泣きはらした顔を上げてモニカを見やった。
「まだ、彼女達の魂は完全に肉体から離れてはいないという事です」
「……っ!?」
ローラだけでなく、ミラーカもゾーイも、そして離れた所で会話を聞いていたクレアやナターシャ達も、一斉に目を見開いてモニカに注目した。
「え……つ、つまり……どういう事?」
「死してから時間が経っていないのが不幸中の幸いでした。これがもう少し経っていれば、完全に
モニカはローラ達の方を振り返った。
「今ならまだ……皆の魂を呼び戻して蘇生する事が出来るかも知れません」
「……っ!!」
「ただしかなり困難を極めます。死の原因となった致命傷を修復しつつ、壊死してしまった脳の機能も回復させなければなりません。それと同時に皆の魂を留め置き、完全に離れてしまう前にそれらを行う必要があります」
「皆が助かる可能性があるの!? お願い! 私に協力できる事は何でもするわ! 皆を助けてっ!!」
ローラがなりふり構わない様子でモニカに縋り付く。モニカが頷いた。
「勿論私1人の力では到底為しえない難事です。ローラさんも……そして出来ればゾーイさんとミラーカにも協力して頂けると助かります」
「解ったわ。私に出来る事なら遠慮なく使って頂戴」
「わ、私も勿論協力するわよ?」
ミラーカが即座に頷いた。ゾーイも慌てて同調する。
「ありがとうございます。と言っても何か特別な事をしてもらう訳ではありません。皆さんの霊力や魔力を私に貸し与えて欲しいのです。それを以って蘇生の儀式を行います」
「わ、解ったわ。私達はどうすればいいの?」
「簡単です。私の背中に手を当てて下さい。そして儀式の間中、絶対にその手を離さないで下さい。それだけです」
モニカはそう言って、4人の遺体の前に両膝を折ってひざまずいた。祈りを捧げるような体勢だ。ローラ達は躊躇う事無く、彼女の背中に手を当てる。
「準備はいいですか? それでは始めます」
モニカが宣言すると、4人の遺体に手を翳して聞き慣れない言語で祈りを捧げ始めた。これは恐らくハンガリー語だ。だがあの過去に跳んだ時と違い、ローラには全く聞き取れなくなっていた。
だが言語の意味など理解できなくても構わない。重要なのは心だ。いや、それだけではなく……
「くっ……!」
ローラは自身の中から恐ろしい勢いで霊力が吸い取られていくのを感じた。恐らくミラーカとゾーイも同じ感覚を味わっているはずだ。皆、歯を食いしばるような表情をしていた。
それほどの量の霊力や魔力を吸い上げて、モニカが一心不乱に祈りを捧げ続ける。4人の遺体を何らかの力が覆うのが解った。そして遺体に穿たれている痛々しい致命傷が徐々に塞がっていくのも。
その奇跡の光景にローラは大きな希望を抱いた。そしてより一層の霊力をモニカに送り込むべく意識を集中させる。
それからどれくらいの時間が過ぎただろうか。当然時間を計っている余裕などないが、それなりに長い時間が経過しているような気がした。
しかし儀式は一向に終わる気配を見せない。モニカは額に脂汗を浮かべながら必死に祈りを続けている。
「くっ……」
「モニカ……!?」
そのモニカが苦し気に呻いて身体をよろめかせる。ローラ達は思わず気遣うがモニカ自身に制止される。
「だ、大丈夫です。手を離さないで下さい」
だが気丈な言葉とは裏腹に、かなり辛そうな様子だ。
「もう大分祈っている気がするけど、まだなの?」
ミラーカが彼女を気遣う表情を見せつつも、敢えて厳しい口調で問い掛ける。モニカがかぶりを振る。
「死した者を蘇生させる……。文字通り神の御業です。簡単には行かないと解っていましたが……魔力が……霊力が圧倒的に足りません。このままでは……!」
「そ、そんな……」
ローラが絶望に呻く。既に限界まで霊力を振り絞っている状態だ。ミラーカとゾーイも同様だろう。これで圧倒的に足りないと言われると、もうどうにもならない。クレア達は魔力も霊力も持たないただの人間なので数には入れられない。
だがもたもたしていては4人の魂が完全に肉体から離れてしまう。そうなったらもうどのような奇跡でも蘇生は不可能だ。
(そんな……嫌……駄目よ、そんなの……。何か……誰か……何でもいいから皆を助けて……!)
ローラは泣きそうになりながら必死で祈る。もうそれしか出来る事がなかった。なまじ一度希望を抱いた後だけに、それが叶わないという残酷な現実に耐えられなかった。
彼女の目から涙が零れ落ちる。それでもあきらめる事無くモニカになけなしの霊力を送り込み続けていると……
――突如その場に強大な魔力が吹き荒れた。
「な……!?」
「こ、これは……」
突然の事にゾーイが驚愕するが、ミラーカと……そしてローラには、この強大な魔力に
視線を巡らせると案の定、固唾を飲んで様子を見守っていたはずのクレアやナターシャ、マリコ達がそろって気絶していた。
そしてローラ達の前に、まるで闇が形を得たかのように姿を現したのは……
「ひっ……!?」
ゾーイが恐怖に息を呑む。
闇に溶け込むかのような漆黒のローブとフード。そこから覗くのは対照的な白い髑髏の貌……。同様に白い骨の手には、人の首など一瞬で刈り取れそうな大鎌が握られている。
『死神』だ。
今回の【悪徳郷】に関連した事件では姿を現さなかったが、ここに来て再び姿を見せた真意は何か。
尚『死神』が初見なのはモニカも同様のはずだったが、特にその存在に驚いている様子が無い。【悪徳郷】との戦いにもすぐに対応していたので、どうもローラを通して
「……何しに来たの? 見ての通り今取り込み中だから、用件があるなら後にしてもらえないかしら?」
この中では『死神』と最も
『……終焉ノ時ハ近イ。ソシテ汝ラニハ
「……相変わらず意味の解らない事をベラベラと。今はあなたの言葉遊びに付き合ってるほど暇じゃないのが見て解らない? 用件がそれだけなら苛々するから消えて――」
ミラーカの苛立ち混じりの言葉が途切れる。『死神』がその骨の手をこちらに伸ばしてきたのだ。一瞬警戒するローラ達だったが、『死神』は構わずに……何とモニカの肩にその手を触れた。
「…………っ!!」
モニカがその目を驚きで大きく見開いた。驚いたのはローラ達も同じだ。モニカの身体を通して膨大な魔力が流れ込んでくるのを感じたのだ。
これは……『死神』の魔力だ。
「くっ……な、何て濃密な魔力……! で、でも、これなら……!!」
モニカは自身に流れ込んでくる圧倒的な魔力の圧に怯みながらも、『死神』の意図を悟って素早くその魔力を蘇生の儀式に変換していく。
その効果は如実に現れ始めた。
ジェシカの、ヴェロニカの、セネムの、そしてシグリッドの顔色が……見る見るうちに血色を取り戻していくのが見て取れた。そして遂に……
「あ……あ……み、皆が……!」
ローラの見ている前で、ジェシカ達がゆっくりとだが……胸を上下させ始めたのだ。意識はないものの、4人が
「う、嘘……本当に生き返った……?」
ゾーイが呆然と目の前で起きた奇跡を眺めながら呟く。
「あ、あなた……」
ミラーカがやはり唖然とした表情で、手を離して元の位置に戻った『死神』を見やる。『
『終末ノ時ガ迫ッテイル……。備エヨ……ソノ時ニ……』
『死神』は一方的にそれだけ告げるとこの場から姿を消そうとする。だがそこに……
「待ってっ!」
『……!』
大きな声を張り上げて『死神』の注意を引いたのはローラだ。彼女は涙に濡れたままの目をじっと『死神』に向ける。
「何故助けてくれたのか……それは聞かないわ。でも例えどんな理由があれ、あなたの協力が無ければこの奇跡は起こせなかった。それだけは紛れもない事実よ。だから……ありがとう。あなたの目的が何であれ、私はこの恩を生涯忘れないと誓うわ」
『…………』
言葉はない。だが、何の怖れも打算もない純粋な感謝の視線と言葉を受けて、ほんの僅かだが『死神』が動揺したような気配があった。そして……
『……サラバダ』
それだけを告げて、『死神』はゆっくりと闇に同化するように消えていった。ローラは
かくして呪われた長い一夜は幕を下ろした。『奇跡』によって甦った4人だが、意識を取り戻すにはもう少し時間がかかるとの事で、モニカの勧めに従って皆病院へ入院させる事になった。
入院その他の医療費はルーファスが全額請け負うと約束してくれた。
目を覚ましたクレアやナターシャ達にもようやく落ち着いて事情を説明する事ができ、彼女らはニックやクリスが死んだ事を改めて知らされ、しかし覚悟はしていたように涙を呑んで心の中で彼等に別れを告げていた。
ローラもジョンが
マリコとカロリーナはそれぞれジェシカとヴェロニカに付き添って一緒に病院へ向かい、ローラ達はこの悪夢の夜を生き残った僅かな人質の女性達を救出する事ができた。
ここに【悪徳郷】は壊滅し、彼等によって引き起こされた災禍もようやく終息を見た。全てを終えたローラ達は、そこでようやくモニカと向き合って彼女と落ち着いて話をする機会を得たのだった……