File23:急転直下
文字数 3,173文字
翌日。何事もなく朝を迎えたローラはホッとしながら起床して身支度を整える。今日はウォーレンの所に行って彼の成果を確認しなければならない。尤もローラは成功を疑っていなかったが。
出掛けようとした時に丁度携帯が鳴った。ミラーカかと思って見ると知らない番号であった。
「…………」
ローラは居留守を使うか迷ったが、もし仕事絡みの何らかの用事だったら無視はマズい。とりあえずはと電話に出た。
『……ギブソンですが』
『ああ、良かった。突然のお電話失礼します。私はロサンゼルス市警の内務調査室所属のクリス・ドワイヤーと申します』
「……ッ!」
内務調査室。つまりロス市警内部の汚職や不正、怠慢などを監視・調査する専門の部署だ。当然ながら一般の警察官達からは嫌われている。
(なぜ監察部が私に……? まさかロバートの事がバレたの!?)
だとしたら心臓を手に入れる当てが無くなりマズい事になる。息を呑むローラだが男――クリスは構わず続ける。
『ええ、実はあなたが先日提出された『サッカー』に関しての報告書について、いくつかお聴きしたい事がありましてね。この後お時間はありますか?』
「……!」
予想していた事態とは違ったが、これはこれで意味が解らなかった。あれは確かに警部補に信じてもらえず黙殺された形になってはいるが、別にローラは何か不正などをした訳ではない。監察部に目を付けられる理由が……
(まさか……)
そこまで考えた時、いやな予感がした。ダリオの糾弾が思い出されたのだ。ローラがトミーを殺して死体を隠しただの何だのという馬鹿げた憶測。
(冗談じゃないわ!)
だが客観的に見れば馬鹿げているのはローラの報告の方であり、ダリオの憶測の方が余程真実味がある。そこまで考えてローラはゾッとした。自分には潔白を証明する手段が無いのだ。
『い、一体、私に何の話があるって言うの……?』
『それは電話ではちょっと……。とにかく直接お会い出来ませんか? 出来れば余り人目に付かない所がいいと思いますが……ご自宅へ伺っても?』
「…………」
ローラは一瞬考えたが、確かに事が事だけに余り人目に付きたくない。出来れば何とか穏便に済ませたかった。
『……ええ、良いわ。どれ位で着く?』
『ありがとうございます。30分もあればそちらに着くと思います』
『解った。待ってるわ』
『……では』
そう言って電話は切れた。ここでローラに冷静な思考が出来れば、今の電話にいくつか不審な点があった事に気付けたかも知れない。だが自分が冤罪で捕まるかもしれないという懸念に心を奪われていた彼女は、その違和感に気付けなかった。
またこんな醜聞を誰にも知られたくないという心理が働いて、ミラーカに電話をする事もしなかった。結果……事態は思わぬ方向へ進んでいく事となる。
****
きっかり30分後、ローラの部屋のチャイムが鳴る。そわそわしながら待っていたローラは飛びつくようにインターホンを確認する。
モニターには鷲鼻が印象的な30歳位の若い男が映っていた。スーツにジャケット姿だ。
「どちら様ですか?」
『先程お電話した内務調査室のドワイヤーです。ギブソンさんですね?』
「は、はい。少々お待ち下さい」
ローラはエントランスの自動ドアを開く。程なくして玄関のブザーが鳴る。ドアを開けると先程のモニターに映っていたままのドワイヤーが立っていた。直接相対すると意外と立派な体格で驚いた。服の上からでも相当に鍛えているのが解る。
「こんにちは、ギブソンさん。本日はお手間を取らせて申し訳ありませんでした。すぐに済みますので入れて頂いても宜しいでしょうか?」
「は、はい、どうぞ……」
ここでローラは完全に致命的なミスを犯した。気が急くあまり、相手の素性も確認せずに部屋に上げてしまったのだ。いや、素性は先程から説明されていたから知っていると思い込んでいた。
本来は相手の身分証を提示して貰って、尚且つ署の方にも事前に確認を入れておくべきだっただろう。だが内部の人間しか知らない筈のあの報告書の内容を話題に出されたローラは、少なくとも目の前の人物の素性を疑うという所まで思考が行き着かなかった。
クリスは報告書の具体的な内容について一度でも触れただろうか? ローラが吸血鬼と接触した事を知っている者達は他にもいるのだ。そう、正にその当事者達 の事である。
だがやはりローラは相手が人間 だった事もあって、完全にその可能性 を頭から排除してしまっていた。
「失礼します……」
クリスがローラの部屋に上がり込んだ。クリスを客間まで通したローラは、彼に椅子を勧めると自分が座る時間ももどかしく尋ねた。
「あ、あの……それで、訊きたいことと言うのは……」
「勿論、例 の報告書の件ですよ。目は通しましたが、改めてあなたの口から聞かせて頂きたくて」
「そ、それは……ええ」
その態度に若干訝しんだものの、ローラは改めて自分の口からあの夜の出来事を語った。
「……なるほど」
大体の所を聞き終えたクリスは何かに納得したように頷いていた。
「つまりあなたは……その黒髪の女吸血鬼と友人のような関係になったという事ですね?」
確認のように聞いてくるクリスの態度に、ローラは初めて不審なものを覚えた。ローラを信頼してくれていたマイヤーズ警部補ですら取り合ってくれなかったような報告を、何故この男は事実を前提のように話しているのだろう。いや、確かに事実ではあるのだが腑に落ちなかった。
「あの、ドワイヤーさん? 申し訳ないけどバッジを見せて貰えるかしら? それと一応マイヤーズ警部補にあなたの事を確認させて頂戴」
ローラは無意識の内にクリスから距離を取りながら、拳銃が入っているバッグが置いてある方向へジリジリとさりげなく移動しようとする。するとその動きを悟ったのかクリスが嗤う。
「ふ……今頃気付いたか。馬鹿な女だ」
「……!」
先程までの丁寧な口調から一変して、全く感情の見えない平坦な声に切り替わった。同時にそれまでの無害そうな雰囲気が一変する。
ローラは弾かれたようにバッグに向かって跳んだ。だがクリスの方が速かった。相当な身のこなしだ。一足飛びに距離を詰めたクリスは、飛び上がった体勢からそのまま拳を打ち下ろしてくる。
「く……!」
打ち下ろしを躱したローラだが、バッグとの間に割り込まれてしまう。躱した事で体勢の崩れたローラに、クリスの前蹴りがヒットする。
「がはっ……」
腹部に強烈な蹴りを貰ったローラは呻きながら壁際まで吹き飛ばされる。床に倒れ込んだローラに間髪を入れずにクリスが伸し掛かって来る。このようなもみ合いになると膂力に劣る女は圧倒的に不利だ。ましてや相手は6フィートを越える大男で、体重も200ポンドはありそうだ。ローラに勝ち目は無かった。
為す術もなくうつ伏せに組み伏せられると、口に布を充てがわれた。何か薬品でも染み込んでいるのか、刺激臭が鼻についた。
「んん!? んんーー!!」
本能的に暴れるローラだが、背中から押さえつけている男の体は全く動かなかった。暴れている内に薬品が効いてきたのか、急速に意識が遠のいてくるのが解った。ここで気絶したら非常にマズい事になる。それが解っていながら抗う事は出来なかった。
(ミラーカ……ごめんなさい……)
意識が闇に包まれる寸前ローラが思い浮かべたのは、事前に警告してくれていたミラーカの美しい顔だった……
出掛けようとした時に丁度携帯が鳴った。ミラーカかと思って見ると知らない番号であった。
「…………」
ローラは居留守を使うか迷ったが、もし仕事絡みの何らかの用事だったら無視はマズい。とりあえずはと電話に出た。
『……ギブソンですが』
『ああ、良かった。突然のお電話失礼します。私はロサンゼルス市警の内務調査室所属のクリス・ドワイヤーと申します』
「……ッ!」
内務調査室。つまりロス市警内部の汚職や不正、怠慢などを監視・調査する専門の部署だ。当然ながら一般の警察官達からは嫌われている。
(なぜ監察部が私に……? まさかロバートの事がバレたの!?)
だとしたら心臓を手に入れる当てが無くなりマズい事になる。息を呑むローラだが男――クリスは構わず続ける。
『ええ、実はあなたが先日提出された『サッカー』に関しての報告書について、いくつかお聴きしたい事がありましてね。この後お時間はありますか?』
「……!」
予想していた事態とは違ったが、これはこれで意味が解らなかった。あれは確かに警部補に信じてもらえず黙殺された形になってはいるが、別にローラは何か不正などをした訳ではない。監察部に目を付けられる理由が……
(まさか……)
そこまで考えた時、いやな予感がした。ダリオの糾弾が思い出されたのだ。ローラがトミーを殺して死体を隠しただの何だのという馬鹿げた憶測。
(冗談じゃないわ!)
だが客観的に見れば馬鹿げているのはローラの報告の方であり、ダリオの憶測の方が余程真実味がある。そこまで考えてローラはゾッとした。自分には潔白を証明する手段が無いのだ。
『い、一体、私に何の話があるって言うの……?』
『それは電話ではちょっと……。とにかく直接お会い出来ませんか? 出来れば余り人目に付かない所がいいと思いますが……ご自宅へ伺っても?』
「…………」
ローラは一瞬考えたが、確かに事が事だけに余り人目に付きたくない。出来れば何とか穏便に済ませたかった。
『……ええ、良いわ。どれ位で着く?』
『ありがとうございます。30分もあればそちらに着くと思います』
『解った。待ってるわ』
『……では』
そう言って電話は切れた。ここでローラに冷静な思考が出来れば、今の電話にいくつか不審な点があった事に気付けたかも知れない。だが自分が冤罪で捕まるかもしれないという懸念に心を奪われていた彼女は、その違和感に気付けなかった。
またこんな醜聞を誰にも知られたくないという心理が働いて、ミラーカに電話をする事もしなかった。結果……事態は思わぬ方向へ進んでいく事となる。
****
きっかり30分後、ローラの部屋のチャイムが鳴る。そわそわしながら待っていたローラは飛びつくようにインターホンを確認する。
モニターには鷲鼻が印象的な30歳位の若い男が映っていた。スーツにジャケット姿だ。
「どちら様ですか?」
『先程お電話した内務調査室のドワイヤーです。ギブソンさんですね?』
「は、はい。少々お待ち下さい」
ローラはエントランスの自動ドアを開く。程なくして玄関のブザーが鳴る。ドアを開けると先程のモニターに映っていたままのドワイヤーが立っていた。直接相対すると意外と立派な体格で驚いた。服の上からでも相当に鍛えているのが解る。
「こんにちは、ギブソンさん。本日はお手間を取らせて申し訳ありませんでした。すぐに済みますので入れて頂いても宜しいでしょうか?」
「は、はい、どうぞ……」
ここでローラは完全に致命的なミスを犯した。気が急くあまり、相手の素性も確認せずに部屋に上げてしまったのだ。いや、素性は先程から説明されていたから知っていると思い込んでいた。
本来は相手の身分証を提示して貰って、尚且つ署の方にも事前に確認を入れておくべきだっただろう。だが内部の人間しか知らない筈のあの報告書の内容を話題に出されたローラは、少なくとも目の前の人物の素性を疑うという所まで思考が行き着かなかった。
クリスは報告書の具体的な内容について一度でも触れただろうか? ローラが吸血鬼と接触した事を知っている者達は他にもいるのだ。そう、正にその
だがやはりローラは相手が
「失礼します……」
クリスがローラの部屋に上がり込んだ。クリスを客間まで通したローラは、彼に椅子を勧めると自分が座る時間ももどかしく尋ねた。
「あ、あの……それで、訊きたいことと言うのは……」
「勿論、
「そ、それは……ええ」
その態度に若干訝しんだものの、ローラは改めて自分の口からあの夜の出来事を語った。
「……なるほど」
大体の所を聞き終えたクリスは何かに納得したように頷いていた。
「つまりあなたは……その黒髪の女吸血鬼と友人のような関係になったという事ですね?」
確認のように聞いてくるクリスの態度に、ローラは初めて不審なものを覚えた。ローラを信頼してくれていたマイヤーズ警部補ですら取り合ってくれなかったような報告を、何故この男は事実を前提のように話しているのだろう。いや、確かに事実ではあるのだが腑に落ちなかった。
「あの、ドワイヤーさん? 申し訳ないけどバッジを見せて貰えるかしら? それと一応マイヤーズ警部補にあなたの事を確認させて頂戴」
ローラは無意識の内にクリスから距離を取りながら、拳銃が入っているバッグが置いてある方向へジリジリとさりげなく移動しようとする。するとその動きを悟ったのかクリスが嗤う。
「ふ……今頃気付いたか。馬鹿な女だ」
「……!」
先程までの丁寧な口調から一変して、全く感情の見えない平坦な声に切り替わった。同時にそれまでの無害そうな雰囲気が一変する。
ローラは弾かれたようにバッグに向かって跳んだ。だがクリスの方が速かった。相当な身のこなしだ。一足飛びに距離を詰めたクリスは、飛び上がった体勢からそのまま拳を打ち下ろしてくる。
「く……!」
打ち下ろしを躱したローラだが、バッグとの間に割り込まれてしまう。躱した事で体勢の崩れたローラに、クリスの前蹴りがヒットする。
「がはっ……」
腹部に強烈な蹴りを貰ったローラは呻きながら壁際まで吹き飛ばされる。床に倒れ込んだローラに間髪を入れずにクリスが伸し掛かって来る。このようなもみ合いになると膂力に劣る女は圧倒的に不利だ。ましてや相手は6フィートを越える大男で、体重も200ポンドはありそうだ。ローラに勝ち目は無かった。
為す術もなくうつ伏せに組み伏せられると、口に布を充てがわれた。何か薬品でも染み込んでいるのか、刺激臭が鼻についた。
「んん!? んんーー!!」
本能的に暴れるローラだが、背中から押さえつけている男の体は全く動かなかった。暴れている内に薬品が効いてきたのか、急速に意識が遠のいてくるのが解った。ここで気絶したら非常にマズい事になる。それが解っていながら抗う事は出来なかった。
(ミラーカ……ごめんなさい……)
意識が闇に包まれる寸前ローラが思い浮かべたのは、事前に警告してくれていたミラーカの美しい顔だった……