File9:肥大する悪意
文字数 3,981文字
「し、市長を討伐 する方法を探る、ですか?」
LAPDの警部補のオフィス。先日の『作戦会議』で決まった内容をリンファと、そして警部補であるジョンにも伝えておく。リンファが目を丸くする横で、ジョンは難しい顔をして腕組みしていたがやがてフッと嘆息した。
「……ジョフレイ市長が例の『ディザイアシンドローム』の犯人であるってのは、本当に確信があるんだな?」
誤魔化しを許さない目でローラを見据えてくるジョン。市長と精霊を切り離す手段があるのならそれに越した事はないが、全く未知の相手だけに必ずしもその限りではないだろう。そうなれば最悪の事態もあり得る。
即ち……悪霊ごとジョフレイ市長を葬り去る という事態だ。彼は判明しているだけでも既に4人の人間を手に掛けており、その被害は今後も増える可能性が高い。恐怖に歪んでいたデボラの表情が脳裏に浮かぶ。ジョフレイの目的は不明だが、刑事という立場からしても彼を放置するという選択肢はない。
「ええ、あるわ。ミラーカ達も同じ結論よ」
その為なら、仮にジョフレイを悪霊ごと倒さねばならない事態になったとしても躊躇うつもりはない。ローラは目を逸らさずにジョンの視線を受け止めた。
「……ふぅ。ま、人外の怪物に関してのお前さんの勘は、恐ろしく良く当たるからな。カ……ミラーカも認めているんなら俺に文句は無いさ」
リンファにはジョンもまた吸血鬼である事は言っていない。流石にそれはやめておいた方がいいとミラーカにも警告された為だ。自分の上司が吸血鬼だと彼女が知った時に、どういう感情を抱くかが予測できなかったのだ。もしかしたら警察が吸血鬼に乗っ取られるなどと考え、的外れな正義感に目覚める可能性もある。余計なリスクは極力回避しておいた方が無難だ。
「警察としては本来褒められた話じゃないが、相手が相手だ。お前の言う所の最悪の事態 も想定しておこう」
「ありがとう、ジョン」
ローラが礼を言うと彼は肩を竦めた。
「いいさ。早く解決したいって気持ちは同じだからな。人外が絡んだ事件なら所轄争いだの手柄争いだのしてる場合じゃないしな。という訳で、今日からお前らはこの『市議会議員変死事件』の正式な担当だ。周りの雑事は気にせずにお前のやりたいようにやってみろ」
まさにローラが求めていた反応を返してくれるジョン。これが上司がネルソンだったら、足を引っ張られてまともに捜査すらさせて貰えなかっただろう。ジョンが警部補になってくれて本当に良かったと思うローラであった。
「本当に恩に着るわ、ジョン。あなたが警部補になってくれて良かった」
気付くとそう口に出して言っていた。ジョンは苦笑したように手を振る。
「ああ、いい! いい! それより早く行け。捜査はもう始まってるぞ!?」
ジョンに促されて、ローラ達は慌ててオフィスを飛び出していった。それを見届たジョンは一切の表情を消すと、椅子に深く座り込んだ。
「…………」
(俺が上司になって良かった、か……。お前にとってはそうだろうな。だが……)
彼を吸血鬼化させる事で死の淵から救うようにカーミラに頼んだのはローラだ。それ自体には本心から恩義を感じている。だが彼女はその後の事 を考慮に入れていなかった。
カーミラは500年前にローラと同じ名を持つ聖女によって浄化 された事で、吸血鬼としての本能 を忘れ去った。500年もの間誰も殺さずに、吸血鬼としての力を殆ど振るう事もなく生きてこれたのはそれが理由だ。
だが浄化されたのはカーミラ個人 だけであった。彼女が生み出す吸血鬼にはその後天的 な性質が引き継がれる事はない。それがジョン自身によって証明された。カーミラもまた500年の間で下僕の吸血鬼を作り出すのはジョンが初めてであった為に、その事に思い至らなかったのだ。
もしカーミラが浄化されておらずに、シルヴィアやアンジェリーナと同じ邪悪な吸血鬼のままであったなら、ジョンはトミーと同じように喜んで自らを作り出した女主人に仕えたであろう。だが彼に吸血鬼としての本能に従う事を禁じ戒めてくる今のカーミラに対する不満や鬱憤は、『親』に対する忠誠心を容易く上回った。
(カーミラは必ず排除する。そしてその時には、ローラ……お前にも代償 を支払ってもらうぞ? その時になってもまだ、俺を甦らせて良かったと言っていられるかな?)
心の中で独りごちる。準備 は着々と整いつつある。ニックに『同盟』を持ちかけたのは、今になって思えば英断であった。彼には意外な隠し玉 があり、ジョンには思いもよらない方法で準備 を整えつつあった。
アレ を見たジョンは、この叛逆の成功を半ば確信していた。だが慎重なニックはそれでもまだ今一つ不安があるらしい。
「もう一押し……後もう一押し、何か追加の戦力 となる物が欲しい所だね。それで完全に下準備は整う」
そう言って唸っていたニックの姿が思い出される。ジョンとしては既に充分過ぎる戦力 が整っているような気もするが、念には念を入れたいのだろう。まあ叛逆のチャンスは一度きりであり、やるからには絶対に失敗できないので、ジョンは逸りつつもニックの方針には従っていた。
(もう一押しか……。今回の『ディザイアシンドローム』がその鍵になりはすまいか……)
思い立ったジョンはスマホを取り出し、ニックの番号へと電話を掛けるのであった。
****
件のイスラム女性と接触する機会は、ローラが思っているよりも早く訪れた。
ジョンから正式に事件の担当に任命されたので、とりあえず思うように動く事が出来るのはありがたい。ローラは早速残りの議員への聞き込みと場合によっては『保護』を行うべく、市議の一人アーノルド・レイ・シモンズの自宅へと向かった。シモンズには事前に電話でアポを取ってある。
ジョフレイ市長が犯人だという確信はあるものの、いきなり市長の元に突撃するというのは、色々な意味でリスクが大き過ぎる。相手の能力の詳細も解らない内に敵の懐に飛び込めば、最悪自分自身がデボラ達の二の舞となってしまう。またそうでなくとも、ジョフレイがあくまで白を切り通してきたらローラ達には打つ手がない。
その為まずは外堀 から埋めていかねばならない。焦りは禁物だ。
「何の事か皆目分らんね。市長? 私達の関係は至って良好だよ」
シモンズの自宅。『市議会議員変死事件』の聞き込みという名目で訪れたローラ達だが、シモンズの態度は冷淡を極めた。仮にも同僚である市議が立て続けに2人も変死しているというのに、彼には全く動揺が見られなかった。デボラとは正反対だ。
この反応は予想しておらず、リンファだけでなくローラも戸惑いを隠せなかった。
「し、しかし、シモンズさん。皆様が市長の独断専行を諫める為に市庁舎にまで出向いた事は既に裏付けが取れています。そしてその日の夜にパターソンさん、そしてつい先日はアルトマンさん……。同じく市庁舎に出向いた市議の方々が立て続けに変死 しているのです。全くの無関係とは思えませんが」
「それは全てあなたの推測に過ぎないでしょう? 実際には私達と市長の間には何もなかった。話し合いはお互い納得ずくで平和裏に終わったよ。何の問題もなしだ」
表情一つ変えずに否定するシモンズ。だが彼が何と言おうと、市長が犯人であるというローラの確信は揺るがない。平和裏に終わったのなら、ドナルドが青白い顔をしてその日の夜に『重大な話がある』などと妻に言ったりしないはずだ。またエストラーダ議長も行方不明になっているのだ。
シモンズは確実に何かを隠している。
「シモンズさん。あなた方の身柄は警察が全力で保護するとお約束します。どうかあの日、市庁舎で本当は何があったのかお話して頂けませんか?」
「君もしつこいね! 何も無かったと言っているだろう!」
シモンズは声を荒げながらローラに近付くと、そのままサッと手に握っていた何かをローラの手の中に押し込んだ。
「……!」
ローラはそっと手を開いて、シモンズから渡された物を見てみた。それは丸められたメモ用紙であった。
『盗聴されている。夜の11時に以下の住所へ。そこで全て話す』
その文言の下には住所が書かれていた。沿岸部にある今は使われていない倉庫か何かのようだ。これをローラ達と話している間に書けたはずはない。恐らくアポの電話を受けた後に書いて用意していたのだろう。
ローラはゆっくりと顔を上げた。
「……解りました、シモンズさん。今日の所は退散しますが、また近い内に にお伺いさせて頂きます」
「何度来ても同じだよ。さあ、さっさと帰り給え」
シモンズに促されて彼の家を後にするローラ達。車に戻ると真っ先にリンファが顔を寄せてきた。
「先輩、どうしたんですか? あんなにアッサリ引き下がるなんて……」
「これよ」
シモンズから手渡された紙片を彼女にも見せる。中身を読んだリンファが目を丸くする。
「と、盗聴……? そ、それじゃやっぱり市長が……?」
「それを確かめに行くのよ。念の為今から行って周辺の確認はしておきましょうか」
「は、はい! 出発します!」
リンファが車を発進させて、メモに書いてある住所に向かう。
(さて……以前にミラーカが言ってた東洋の諺……。オニが出るかジャが出るかって奴ね……)
LAPDの警部補のオフィス。先日の『作戦会議』で決まった内容をリンファと、そして警部補であるジョンにも伝えておく。リンファが目を丸くする横で、ジョンは難しい顔をして腕組みしていたがやがてフッと嘆息した。
「……ジョフレイ市長が例の『ディザイアシンドローム』の犯人であるってのは、本当に確信があるんだな?」
誤魔化しを許さない目でローラを見据えてくるジョン。市長と精霊を切り離す手段があるのならそれに越した事はないが、全く未知の相手だけに必ずしもその限りではないだろう。そうなれば最悪の事態もあり得る。
即ち……悪霊ごとジョフレイ市長を
「ええ、あるわ。ミラーカ達も同じ結論よ」
その為なら、仮にジョフレイを悪霊ごと倒さねばならない事態になったとしても躊躇うつもりはない。ローラは目を逸らさずにジョンの視線を受け止めた。
「……ふぅ。ま、人外の怪物に関してのお前さんの勘は、恐ろしく良く当たるからな。カ……ミラーカも認めているんなら俺に文句は無いさ」
リンファにはジョンもまた吸血鬼である事は言っていない。流石にそれはやめておいた方がいいとミラーカにも警告された為だ。自分の上司が吸血鬼だと彼女が知った時に、どういう感情を抱くかが予測できなかったのだ。もしかしたら警察が吸血鬼に乗っ取られるなどと考え、的外れな正義感に目覚める可能性もある。余計なリスクは極力回避しておいた方が無難だ。
「警察としては本来褒められた話じゃないが、相手が相手だ。お前の言う所の
「ありがとう、ジョン」
ローラが礼を言うと彼は肩を竦めた。
「いいさ。早く解決したいって気持ちは同じだからな。人外が絡んだ事件なら所轄争いだの手柄争いだのしてる場合じゃないしな。という訳で、今日からお前らはこの『市議会議員変死事件』の正式な担当だ。周りの雑事は気にせずにお前のやりたいようにやってみろ」
まさにローラが求めていた反応を返してくれるジョン。これが上司がネルソンだったら、足を引っ張られてまともに捜査すらさせて貰えなかっただろう。ジョンが警部補になってくれて本当に良かったと思うローラであった。
「本当に恩に着るわ、ジョン。あなたが警部補になってくれて良かった」
気付くとそう口に出して言っていた。ジョンは苦笑したように手を振る。
「ああ、いい! いい! それより早く行け。捜査はもう始まってるぞ!?」
ジョンに促されて、ローラ達は慌ててオフィスを飛び出していった。それを見届たジョンは一切の表情を消すと、椅子に深く座り込んだ。
「…………」
(俺が上司になって良かった、か……。お前にとってはそうだろうな。だが……)
彼を吸血鬼化させる事で死の淵から救うようにカーミラに頼んだのはローラだ。それ自体には本心から恩義を感じている。だが彼女は
カーミラは500年前にローラと同じ名を持つ聖女によって
だが浄化されたのはカーミラ
もしカーミラが浄化されておらずに、シルヴィアやアンジェリーナと同じ邪悪な吸血鬼のままであったなら、ジョンはトミーと同じように喜んで自らを作り出した女主人に仕えたであろう。だが彼に吸血鬼としての本能に従う事を禁じ戒めてくる今のカーミラに対する不満や鬱憤は、『親』に対する忠誠心を容易く上回った。
(カーミラは必ず排除する。そしてその時には、ローラ……お前にも
心の中で独りごちる。
「もう一押し……後もう一押し、何か追加の
そう言って唸っていたニックの姿が思い出される。ジョンとしては既に充分過ぎる
(もう一押しか……。今回の『ディザイアシンドローム』がその鍵になりはすまいか……)
思い立ったジョンはスマホを取り出し、ニックの番号へと電話を掛けるのであった。
****
件のイスラム女性と接触する機会は、ローラが思っているよりも早く訪れた。
ジョンから正式に事件の担当に任命されたので、とりあえず思うように動く事が出来るのはありがたい。ローラは早速残りの議員への聞き込みと場合によっては『保護』を行うべく、市議の一人アーノルド・レイ・シモンズの自宅へと向かった。シモンズには事前に電話でアポを取ってある。
ジョフレイ市長が犯人だという確信はあるものの、いきなり市長の元に突撃するというのは、色々な意味でリスクが大き過ぎる。相手の能力の詳細も解らない内に敵の懐に飛び込めば、最悪自分自身がデボラ達の二の舞となってしまう。またそうでなくとも、ジョフレイがあくまで白を切り通してきたらローラ達には打つ手がない。
その為まずは
「何の事か皆目分らんね。市長? 私達の関係は至って良好だよ」
シモンズの自宅。『市議会議員変死事件』の聞き込みという名目で訪れたローラ達だが、シモンズの態度は冷淡を極めた。仮にも同僚である市議が立て続けに2人も変死しているというのに、彼には全く動揺が見られなかった。デボラとは正反対だ。
この反応は予想しておらず、リンファだけでなくローラも戸惑いを隠せなかった。
「し、しかし、シモンズさん。皆様が市長の独断専行を諫める為に市庁舎にまで出向いた事は既に裏付けが取れています。そしてその日の夜にパターソンさん、そしてつい先日はアルトマンさん……。同じく市庁舎に出向いた市議の方々が立て続けに
「それは全てあなたの推測に過ぎないでしょう? 実際には私達と市長の間には何もなかった。話し合いはお互い納得ずくで平和裏に終わったよ。何の問題もなしだ」
表情一つ変えずに否定するシモンズ。だが彼が何と言おうと、市長が犯人であるというローラの確信は揺るがない。平和裏に終わったのなら、ドナルドが青白い顔をしてその日の夜に『重大な話がある』などと妻に言ったりしないはずだ。またエストラーダ議長も行方不明になっているのだ。
シモンズは確実に何かを隠している。
「シモンズさん。あなた方の身柄は警察が全力で保護するとお約束します。どうかあの日、市庁舎で本当は何があったのかお話して頂けませんか?」
「君もしつこいね! 何も無かったと言っているだろう!」
シモンズは声を荒げながらローラに近付くと、そのままサッと手に握っていた何かをローラの手の中に押し込んだ。
「……!」
ローラはそっと手を開いて、シモンズから渡された物を見てみた。それは丸められたメモ用紙であった。
『盗聴されている。夜の11時に以下の住所へ。そこで全て話す』
その文言の下には住所が書かれていた。沿岸部にある今は使われていない倉庫か何かのようだ。これをローラ達と話している間に書けたはずはない。恐らくアポの電話を受けた後に書いて用意していたのだろう。
ローラはゆっくりと顔を上げた。
「……解りました、シモンズさん。今日の所は退散しますが、また
「何度来ても同じだよ。さあ、さっさと帰り給え」
シモンズに促されて彼の家を後にするローラ達。車に戻ると真っ先にリンファが顔を寄せてきた。
「先輩、どうしたんですか? あんなにアッサリ引き下がるなんて……」
「これよ」
シモンズから手渡された紙片を彼女にも見せる。中身を読んだリンファが目を丸くする。
「と、盗聴……? そ、それじゃやっぱり市長が……?」
「それを確かめに行くのよ。念の為今から行って周辺の確認はしておきましょうか」
「は、はい! 出発します!」
リンファが車を発進させて、メモに書いてある住所に向かう。
(さて……以前にミラーカが言ってた東洋の諺……。オニが出るかジャが出るかって奴ね……)